yokando22023年9月29日2 分韓非子韓非は、もと韓の国の諸公子であったが、口吃であったため、貴族生活になじめず、思索の人となった。初め儒家の荀子に学び、のち法家の商鞅に師事し、その後数々の名文を生んだ。その中で、「孤憤」と「五蠹」が秦王政(のちの始皇帝)の目にとまり、以後、中国の権力者は韓非の法家思想を基本と...
yokando22023年9月28日3 分森敦森敦(1912-1989年)は熊本県天草で旨い魚を食べて育ち、熊野川の源流にダムを建設する仕事に従事し、湯殿山の麓の注連寺にこもり、62歳のとき『月山』で芥川賞を受賞し、晩年、NHKの企画「マンダラ紀行」で真言密教の聖地を車椅子で訪ねている。森敦の母は讃岐の出で旧姓佐伯とい...
yokando22023年9月27日4 分龍樹荒井由実の歌に「ルージュの伝言」というのがあったが、次のことばは、仏教僧・龍樹が書いた『中論』という書物の中にある伝言である。 ・・・ 宇宙においては何ものも消滅することなく、何ものも新たに生ずることなく、何ものも終わりがなく、何ものも常住することなく、何ものもそれ自身と同...
yokando22023年9月26日1 分空也上人一遍は、「空也上人は私の先達です」と信徒には申しており、普段から空也上人(903—972年)のお言葉を心にとめて口ずさんでいたとのことである。そのお言葉というのは、次の通り。 「心に所縁なければ日の暮るるに随って止まり、身に所住なければ夜の明くるに随って去る。忍辱の衣厚けれ...