top of page

長沢道寿

  • yokando2
  • 2023年9月20日
  • 読了時間: 2分

更新日:2023年9月21日


後世派漢方医、長沢道寿は京都に生まれ、同地で成人し、医を曲直瀬玄朔に学び、運気を吉田宗恂に学び、のち土佐に移ったが、晩年は京都に戻り、仁和寺傍の双ヶ岡に隠棲して医業に従事し、1637年に没している。


道寿は修行中のころ博覧強記を自負しており、近隣に一人の老医がいて医術に優れているとの評判を聞き、あるとき難治の患者をその老医に紹介して診てもらった。すると、たちまちにしてその難病が治った。ここに、道寿は始めて自分の技術の未熟なことに思い至り、その老医に弟子入りしようとしたが、老医は受けず、「私には特別な才能があるわけではありませんが、若いころから『万病回春』を熟読して手離すことがありませんでした。そうしてこの年になって考えてみますと、何か得るところがあったように思います」と云って、その『万病回春』を示したそうだ。示された冊子を見ると、韋編が断絶し、紙は擦り切れ収拾がつかなくなっていた。道寿は大いに恥じて一層研鑽に専心したそうである。


道寿は朱子の小大学の意に倣って医学進修の課程を小学と大学に分けている。それによると、小学は次の七科から成る。


1.凡そ三百余種の薬について、その陰陽・気味・効能を弁ずる

2.古方三百余種について、その本旨と製方を弁ずる

3.五十門にわたる治療の大法を識る

4.凡そ五百余条にわたる古医案を読んで、自らの判断で処方する

5.弁脈

6.鍼灸で百余所の兪穴の所在を弁ずる

7.経方を羽翼する十余部の医書を講習する


大学は次の八科である。


1.経絡兪穴の終始する所を審かにして病の所在を識る

2.栄衛循行の度数を審かにして病の所在を識る

3.筋骨、皮部、血絡、分肉、九竅の分尺を審かにして病の所在を識る

4.臓腑の形象統属を審かにする

5.気運の常変を審かにして病機を察する

6.四診法を審かにする

7.死生を決する

8.八風虚邪の乗ずる所、労倦、飲食、色欲、諸傷を審かにし、以って鍼灸薬治方を定む


道寿はこれらすべてを身を以って躬行したといわれている。

Comentários


©2019 by お灸とハリの洋漢堂。Wix.com で作成されました。

bottom of page