top of page
  • yokando2

夢窓国師


「山水に得失なし、得失は人の心にあり」


これは鎌倉~室町時代の禅僧で庭師、夢窓国師(1275-1351年)の言葉である。山水とは庭園のことで、利害得失は自然や庭園そのものにはなく、人の心にあるのだ、と説いていて、夢窓国師にとって、作庭は自らの修行であり、人々に仏の教えを説く手立てであった訳だ。


遊行の僧であった夢窓国師の手掛けた庭は全国に多く残っていて、


岐阜県多治見の永保寺

山梨県甲州の恵林寺

鎌倉の瑞泉寺

京都の天龍寺、西芳寺


などがある。特に、晩年に手掛けた西芳寺は、後の金閣、銀閣、桂離宮、修学院離宮、醍醐寺三宝院などの名庭の手本となっている。


西芳寺の庭園は上下二段構造になっていて、下段は池泉廻遊式庭園、上段は枯山水庭園で、下段は浄土、すなわち清らかなあの世、上段は穢土、すなわち穢れた不浄の場を表していて、全体で仏教の宇宙である須弥山の世界を表しているといわれている。


西芳寺は夢窓国師が手を入れた頃にはまだ苔など生えておらず、時の経過とともに、この地の自然環境に適した苔が地表を覆い、今、「苔寺」と称されるほどの幽邃な趣を見せるまでになったのである。


また、多治見の永保寺は観音堂と開山堂という2つの国宝をもち、庭は国の名勝に指定されている。どうも、人間心理として、拝観料が高いと観たくなり、安いとわざわざ足を運ぶまでもないと考えるのか、昔、永保寺を訪れたとき、拝観料は只なのに人はまばらで、ゆっくりと見学できてしまった。紅葉にはまだ早いものの、境内の隅の方には赤い曼珠沙華が咲きそろっていた。


虎渓山永保寺は鎌倉末、夢窓国師によって開かれた臨済宗の禅寺である。寺の裏手に土岐川が流れている自然の景観は絶品(=幽谷)であり、寺の中にある庭は人の手を介した象徴自然で、これまた絶品(=古刹)である。この庭は池泉廻遊式の浄土庭園である。観音堂の前に展開する臥竜池には無際橋がかかり、観音堂の横に屹立する梵音巌からは付近の湧水を集めた流れが滝となって臥竜池に落ちている。


『夢中問答』は、夢窓国師が足利尊氏の弟直義の疑問に懇切丁寧に答えていった禅問答集である。不立文字、教外別伝の禅宗にとっては経典や解説書などは不要なのであるが、悟りは開きたいものの、偉いお坊さんが身近にいない私たち庶民にとっては、このような分かりやすい禅談義はまことに有難い書物だ。


禅の根本であるところの「本分の田地」とはいかなるところか、そしてどのようにしたらそこに達することができるのか、この疑問に対する回答がこの談義の主題である。最後の93番目の問と答は以下のとおりである。


問。如何なるか是れ和尚真実に人にしめす法門。

答。新羅(しんら)夜半に日頭明らかなり。


ここで、新羅とは昔、朝鮮半島を支配していた国のことで、日頭とは太陽のことです。隣の国では夜中に太陽が真っ赤に輝いている、これが禅の真理である、と夢窓国師は言っているのであるが、その心はいかに?

閲覧数:1回0件のコメント

最新記事

すべて表示

小堀遠州

bottom of page