yokando22023年12月19日1 分徳川吉宗昔、遊び人の金さんというのがいて、背中に桜吹雪のいれずみをし、飲む・打つ・買う、の三拍子そろったイナセでやくざなお調子者なのだが、実は、八百八町のお江戸を取り締まる町奉行の遠山左衛門尉景元金四郎であった。 金さんは天保の改革のころに活躍したのであるが、それより50年ほど前に...
yokando22023年12月19日2 分小堀遠州小堀遠州(1579-1647年)は、本職は秀吉、家康に仕えた武士でありながら、茶人であり、築城家であり、庭師でもあった。 茶人としては千利休の弟子の古田織部の弟子であり、ストイックなまでに「わび」を追求した利休に比べ、遠州はもうすこしおおらかな「きれいさび」の世界を築き上げ...
yokando22023年12月19日3 分夢窓国師「山水に得失なし、得失は人の心にあり」 これは鎌倉~室町時代の禅僧で庭師、夢窓国師(1275-1351年)の言葉である。山水とは庭園のことで、利害得失は自然や庭園そのものにはなく、人の心にあるのだ、と説いていて、夢窓国師にとって、作庭は自らの修行であり、人々に仏の教えを説く...
yokando22023年12月19日5 分徳川家康松本清張が青少年向けに書いた伝記『徳川家康』には、家康の考え方や行動がわかりやすく紹介されている。 例えば道楽であるが、信長の道楽は猿楽で、秀吉のそれは茶の湯であるとすれば、家康の道楽は鷹狩りだった。鷹狩りは足腰が鍛えられるため健康によく、また、田や畑を歩き回るので民の生活...