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徳川吉宗

  • yokando2
  • 2023年12月19日
  • 読了時間: 1分

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昔、遊び人の金さんというのがいて、背中に桜吹雪のいれずみをし、飲む・打つ・買う、の三拍子そろったイナセでやくざなお調子者なのだが、実は、八百八町のお江戸を取り締まる町奉行の遠山左衛門尉景元金四郎であった。


金さんは天保の改革のころに活躍したのであるが、それより50年ほど前に享保の改革を断行したのが、暴れん坊将軍の8代将軍吉宗だ。将軍自らが幕府の財政を立て直しており、吉宗は名君の誉れ高い人物とされた。


吉宗(1684-1751年)は、家康の血は引くものの、元は紀州藩の当主で、藩主・徳川光貞と妾の巨勢六左衛門利清の娘・於由利の方(浄円院)との子である。母方の巨勢氏といえば素封家で、飛鳥時代の「壬申の乱」で大友皇子側に付き大海人皇子に敗れ、乱後没落したものの名家であり、一説には奈良・大神神社の社家といわれている。浄円院は、息子が将軍となってお江戸へ出向くと、自分は和歌山に残り、のち江戸に呼ばれるまで農業に専念していたという。

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