増永静人
- yokando2
- 2023年9月21日
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西洋医学と東洋医学の違いは、前者が病人の中の病気を治療するのに対し、後者は病気をからだの歪の現れととらえ病人を全的に治療するところにある。その歪は病的なものではなく、身体の自己防衛力の結集された箇所であり、治療はこの自己防衛力を発揮できるように手助けするものだと考えられる。治療手段には、東方起源のメス、西方起源の薬剤、北方起源のお灸、南方起源の鍼、そして中央起源の按摩がある。
かように、按摩は元来、治療の中心にすえられていたものであるが、時代の流れとともに医療ではなく、慰安やリラクゼーションの手段として用いられることが多くなってきた。増永静人(1925-1981年)は、用具を使わず手技だけで治療するこの按摩という技法を、慰安の按摩から治療の按摩、すなわち経絡指圧として復活させた。
古典に示されている経絡は手に六経、足に六経で合計12の経絡から構成されている。これが2000年ものあいだ信じられ、臨床に応用されて、しかも多くの患者を救ってきた訳だ。いわゆる、漢方医学の根本である。この漢方医学を継承し、さらに発展させた(革命を起こした)のが我が日本の指圧師、増永静人である。
増永静人は指圧治療の臨床を通して、経絡が手足それぞれに六経でなく十二経あることを確認し、これが全身を連絡し、お腹や背中の臓腑診断とも一致することを検証した。さらに、経絡を六対の臓腑とし、深呼吸で肺-大腸経、食物を抱きかかえようとすれば脾-胃経、沈思黙考すれば心-小腸経、突進準備をすれば腎-膀胱経、寒気を防ごうとすれば心包-三焦経、方向に迷えば肝-胆経が夫々に緊張することを見出し、これら6対の経絡を刺激する体型を考案した。
この「全身十二経」を発表してから、古典の手足六経以外にどうしてルートを追加したのかと質問され続けてきたそうである。これに対して増永静人は、「臨床的に確かめたから」と言う以外になかったそうだが、晩年には「なぜ手を動かす気が同時に足に及ばず、足を動かす気は手に到らないのか」と反論しました。「気の動きは全身的表現になってこそ生命的であり統一的である。そして気の動きが偏ったまま、正常の循環を妨げれば当然邪気として身体に実の歪みを作り、そのような気の捉われは気の不足の持続に原因があり、それが隠された虚を示している」、と説明している。そして、経絡診断とは、このような気の動きが何かに捉われて、円満な循行を妨げている原因を見出すことである、としている。
経絡指圧を打ち立てた増永静人は京都大学文学部哲学科を卒業した変り種だが、死の半月ほど前、病床のベッドから妻に、息苦しく眠れぬままに明け方まで語ったという。それは彼の人生哲学であった。
「・・・僕の経絡説をここで中断しては勿体ないと思う。経絡というものは人間の生命、経絡の中に生命がある。歪は悪ではない。人間歪むところに働きがある。動かなくては生命はない。善悪という歪ができてはじめて人間という存在が成り立つわけだ。それだからこそ人間が存在したのだ。善悪というものは神の世界にはない。神のおもわくは別である。・・・これは善い、これは悪い、と人間はそれを分けて考えるがその出発点は間違っている。善悪あってこそ人間は存在したのだという大前提が経絡を勉強することによってはじめて解ってきた。人間が存在するということは、すべてを肯定しなければ自分が否定されるということ、その実践の裏付けを論理的に僕はみつけた。それを展開していったら物事の一大革命になる・・・」
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