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エルヴィン・ベルツ

  • yokando2
  • 2023年9月18日
  • 読了時間: 2分

日本の西洋医学を築いた立役者は、内科のベルツと外科のスクリッパといわている。ベルツもスクリッパも明治時代に日本に20年以上滞在し、日本人医師の育成に尽力した。


エルヴィン・ベルツ(1849-1913年)には日記が残っているので、彼の目指した医療が見えてくる。医学は学問であると同時に技術であり、患者が医師に期待するのはその知識でなくその知識を病人に役立てることだと述べている。とくに、予防医学と物理療法の重要性を強調している。予防医学とは、東洋医学でいうところの「未病治」である。物理療法では、体育による健康な体力作りを推進し、また、温泉治療の効果を啓蒙するために各地の温泉場を訪れている。草津温泉にはスクリッパといっしょに行って視察している。


また、彼の日記の後半では、日露戦争の裏面が活写されている。そして、泥沼化しそうになっていた戦争を、戦争賠償は受け取らず、樺太の半分は無償で引き渡すという、日本側に不利な条件にもかかわらず講和条件を受諾したことを高く評価している。日露戦争におけるこの妥協こそが、今日でも日本が世界の日本として認められている原点となっているようだ。


晩年のベルツは、日本人妻・戸田花子と帰国し、ふるさとドイツの地で日本滞在中に収集した資料を基に人種の研究に着手していたが、動脈瘤のため、明治天皇没の翌年、64歳で亡くなった。

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