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黄帝内経太素29-4 脹論

  • yokando2
  • 2022年6月18日
  • 読了時間: 4分

脈が寸口に応じるに、大・堅・濇であるのを脹と為す。


陰は蔵であり陽は府であることから、府蔵の脹だと分かる。そもそも、気が人に脹を起こす場合、血脈の中か蔵府の内に在る。脹は皆府蔵の外に在って、蔵府を押し開いて胸脇と皮膚を拡げる。命じて脹と曰う。


そもそも、胸腹は蔵府の城郭にあたり、膻中は王の宮にあたり、胃は大倉にあたり、咽喉・小腸は伝道にあたり、胃の五竅は閭里の門戸にあたり、廉泉(涎唾の道)・玉英(溲便の道)は津液の道である。故に、五蔵六府には各々畔界があり、それらの病も各々形状をもっている。


営気は脈を循り脈脹を為し、衛気は脈に並んで分肉を循り膚脹を為す。三里を瀉すべきで、近いと一度で下り、遠くとも三度で下り、虚実を問わない。工は疾瀉するに在る。


そもそも、心脹は煩心・短気し臥すも不安、肺脹は虚満して喘咳、肝脹は脇下満して痛みが少腹に引き、脾脹は喜く噦し四肢が引き攣れ体が重く衣を着るにたえず、腎脹は腹満し背に引き怏然(伸びない)とし、腰・髀(ふともも)が痛む。


六府の脹の場合、胃脹は腹満して胃管が痛み、鼻に焦臭して食を妨げて大便不利、大腸脹は腸鳴して痛み濯濯とし、冬日寒に重寒すると洩して食が化せず、小腸脹は少腹が脹れて腰に引いて痛み、膀胱脹は少腹満して神経性頻尿となり、三焦脹は皮膚中に気満し殻殻然としても堅からず、胆脹は脇下痛脹し口中苦く、よく大息する。


およそこれらの諸脹については、その道は一つであり、逆順を明知しておれば、針法に失策はない。虚を瀉し実を補すと、神はその室から去り、邪を致し正を失い、真が安定しない。粗の失敗する所であり、夭命と謂う。虚を補し実を瀉せば、神はその室に帰り、久しくその空を塞ぐ。これを良工と謂う。


衛気は身にあっては常に脈に並んで分肉を循る。行りには逆順があり、陰陽が相随っていれば天の和が得られる。五蔵が交代で四時を治め、序があれば五穀は乃ち化すことができる。しかし、後から厥気(逆乱した気)が下に在ると営衛が留止し、寒気が逆上して真邪が相攻め、両気が相薄って合して脹となる。


真に合すると、三合で得られ、解惑する。肉肓に入れて気穴に中ると解惑するが、気穴に中らないと気が内閉し、針が肓に入らないと気は行らず、皮が起きて肉に中らないと衛気は相乱し陰陽が相遂する。この脹の場合は当に瀉すべきだが、瀉せないと気が下らない。三回で下らなければ、必ずその道を変えて気が下ったら止め、下らなければ復た始め、それで万全を期すべきである。脹の場合は、必ずその診を審らかにし、瀉すべきは瀉し、補すべきは補すと、鼓が桴に応ずるように、下らないことはない。


水の起こり始めは目果上が微かにむくみ、寝ていて新たに起きた状の如くであり、頸脈が動じ、時に咳し、陰股間が冷え、足胻がむくみ、腹が大となる。その水が已に成ってしまうと、手でその腹を按ずれば手に随って起き上がり、水を裹んだ状の如くなる。これらが水の候である。


膚脹は、寒気が皮膚の間に客したもので、殻殻然としても堅からず、腹は大で身は尽く腫れ、皮は厚く、その腹を按ずると深くて起きあがらず、腹の色は不変である。これらがその候である。


鼓脹は、腹・身ともに大であり膚脹と等しく、色が蒼黄で、腹の脈が起き上っている。これらがその候である。


腸癉は、寒気が腸の外に客し、衛気と相薄って気がめぐらず、因って繋がる所に瘕ができて内に着き、悪気が起こって息肉が生じる。その始めは鶏卵ぐらいの大きさで、稍すると大きさを益し、それが成ると懐子の状の如くで、久しく歳を経て按ずれば堅く、推せば動き、月事は時を以て下る。これらがその候である。


石瘕は、胞中に生じる。寒気が子門に客し、子門が閉塞して気が不通となり、悪血が出るべきなのに出ず、衃(固まった血)が留止し日に大きさを益すし、状は懐子の如く、月事が時を以て下らなくなる。皆女子の生ずるもので、導いて下すべきである。


膚脹・鼓脹の刺法は、先ずその腹の血絡を瀉し、後でその経を調え、また刺してその血脈を去る。


病で心腹が満ち、朝食べると暮れには食べられないことがある。これは鼓脈脹といい、治すには鶏醴(鶏糞を丸めて煙でいぶし、清酒一斗半を注ぎ、漉して汁を取る)を用いる。一剤で分り、二剤で癒える。しかし、飲食の不節を続ければ再発する。

 
 
 

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