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黄帝内経太素Ⅱ

  • yokando2
  • 2023年7月29日
  • 読了時間: 72分

2022-02-26

【黄帝内経太素10-1 督脈】

営気の道は穀を内(い)れることを宝とし、穀が胃に入ると肺に伝えられて中に流溢し外に布散し、精は専ら経隧を行(めぐ)り常営して已むことなく、終わって復始まる。これを天地の紀という。


ゆえに、気は太陰より出て陽明に注いで肝に至り、肝より上り肺に注ぎ、喉嚨(のど)を上り循(めぐ)って後鼻孔の竅に入り外鼻孔に窮まる。その支別は額(ひたい)を上り頭頂部を循り、項(うなじ)の中を下り脊を循って尾骶骨に入る。これが督脈であり、陰器に絡し毛中を上過し臍の中に入り、腹裏を上循し缺盆に入り、肺の中に下注し復た太陰に出る。


督脈は少腹より起こって骨の中央を下り、女子は尿孔の端に入繋する。その絡は陰器を循り、会陰に合してその後ろを繞る。別は臀(しり)を繞り足少陰と足太陽の中絡に至り少陰に合し、腹内後廉を上り脊を貫き腎に属し、足太陽とともに上行し、目内眥より起こり、額を上り頭頂で交わり脳に入絡して還出し、別れて項を下り肩髃内を循り、脊を挟み腰中に至り膂(=腰椎)を入循し、腎に絡して止まる。男子にあって陰茎を循り会陰に下至するは女子と同じ。その少腹を直上するのは臍の中央を貫き、心を上貫し喉に入り頤(おとがい)を上り、脣(くちびる)を環り両目の下中央に上繋する。


これが病を生ずると、少腹から心を上衝して痛み、前後できないのを衝疝といい、不字・癃(=排尿困難)・痔・遺尿・嗌乾など、督脈で生じた病は督脈で治す。



2022-02-27

【黄帝内経太素10-2 帯脈】

足少陰の正は膕中に至り太陽に別走して合し、腎に上至し十四椎に当って出て帯脈に蔵す。


陽明は五蔵六府の海であり、宗筋を潤すことを主る。宗筋とは肉・骨を束ねて機関を利するものである。


衝脈は経脈の海であり、溪谷を滲灌することを主る。陽明と筋陰で合し宗筋の会を総べ、気街で会し、陽明が長となり、みな帯脈に属して督脈に絡す。


故に陽名が虚すと宗筋が緩み帯脈が引かれなくなり、足が萎えて用いられなくなる。



2022-02-28

【黄帝内経太素10-3 陰陽蹻脈】

陰蹻脈は少陰の別であり、然骨(=舟状骨)の後より起こり内踝の上に上り、直上して陰股を循り陰に入り、胸裏を上循し缺盆に入り、人迎の前に上出し鼻に入り、目内眥(=目の内角)に属し太陽・陽蹻を合して上行し、気が相い集まって還ると目を潤し、気が営しないと目が閉じず眠れなくなる。陰蹻・陽蹻では陰陽が相い交わり、陽は入り陰は出る。陰陽は目兌眥(=目の外角)で交わり、ともに目内眥に至る。陽気の盛は目を開き、陰気の盛は目を閉ざす。邪が足陽蹻に客すと目の痛みが内眥から起こる。



2022-03-01

【黄帝内経太素10-4 任脈】

任脈・衝脈はみな胞中(=膀胱)より起こり、脊裏を上循し経絡の海となり、その浮き出たのは腹を循り上行して咽喉で会し、別れて脣口を絡す。血気が盛んなるときは膚を充たし肉を熱し、血だけが盛んなときは皮膚に集まり豪毛(=細い毛)を生ずる。


婦人は生まれつき気が有余し血が不足している。それはしばしば脱血するからであり、任・衝の脈がその口脣を栄養しがたく、ゆえに髭(頤の毛)が生えない。


男子はその陰を傷つけると、陰気が絶して起たず陰が用いられないことがあるが、髭はぬけない。去勢した者はぬける。それは、去勢した者はその宗筋(陰茎と睾丸)をなくし、その衝脈を傷つけ、血がぬけて回復せず、肉膚が内結し口脣が栄養されない、そのために髭が生えないのである。生まれつきの性的不能者は、自然の身形のままで未だかって傷をうけておらず、血も脱してないが、髭が生えない。それは、天性の血に不足があり、その任・衝が不盛のため宗筋が成長せず、気あるものの血がないので口唇を栄養できず、髭が生えないのである。


聖人にはその真の色が見える。黄・赤(足陽明・手太陽の色)は熱気が多く、青・白(足少陽・手陽明の色)は熱気が少なく、黒(陰色)は多血・少気である。美眉は太陽の多血、通髭(頬の毛)・極髪は少陽の多血、美髭は陽明の多血である。そもそも人の常数は、太陽は多血・小気、少陽は多気・少血、陽明は多血気、厥陰は多気・少血、少陰は多血・少気、太陰は多血気である。



2022-03-02

【黄帝内経太素10-5 衝脈】

手の三陰は蔵より手に走り、手の三陽は手より頭に至り、足の三陽は頭より足に走り、足の三陰は足より腹に走る。


衝脈は五蔵六府の海であり、五蔵六府はこれを稟(う)ける。そのうちで上がるものは頏顙(こうそう)に出て諸陽に滲み諸精に灌ぐ。そのうちで下るものは少陰の大絡に注ぎ気街に出てゆき、陰股内廉を循り膕中に入り〔骨行〕骨内を伏行し内踝の属に下至して別れ、そのうち下るものは、少陰の経に並び三陰に滲み、そのうちで前にゆくのは伏行し跗属を出て跗を下循し大指間に入り、諸絡に滲みて肌肉を温める。


ゆえに別絡が結すと跗上が動かず、厥を起こし寒(ひ)えるのである。衝脈・少陰には動・不動があり、切診して上動するものを衝脈とし、不動を少陰とする。少陰は逆して上行し、衝脈は順で下行する。寒気が衝脈に客すときは、衝脈が関元から起こり腹に随(そ)って直上するので、脈が不通になり、これによって気が喘動し、手に応ずる。



2022-03-03

【黄帝内経太素10-6 陰陽維脈】

陽維の脈は人に腰痛せしめ、痛みが上り弗然として脈が腫れる。陽維の脈で太陽と合する腨(はぎ)下間、地を上る一尺の所(陽交穴)を刺せ。飛陽の脈は内踝上二寸、太陰の前にあって陰維との会(築賓穴)である。 ㊟八十一難に曰く、陽維は諸陽の会(=金門穴)より起こり、陰維は諸陰の会(=築賓穴)より起こる。



2022-03-04

【黄帝内経太素10-7 経脈標本】

五蔵とは精神魂魄を蔵する所以であり、六府は水穀を受けて化物を行(めぐ)らす所以であり、その気は内の五蔵に入り、しかも外の支節に絡す。その浮気で経を循らないのを衛気といい、その精気で経を行るのを営気という。陰陽が相随い外内を相貫くこと環の端なきがごとし。


そこで陰陽を分別すれば、みな標本、虚実、めぐる処が分かる。よく陰陽十二経を別てば、病の生ずる所が知(わか)る。虚実の所在を候することを知れば、よく病の高下が得(わか)る。六府の気街を知れば、よく経結を解き門戸を繋ぐことができる。よく虚実の柔堅を知れば、補瀉の所在が知る。よく六経の標本を知れば、天下に惑いはないはずだ。


Ø 足太陽《膀胱》の本は跟(かかと)以上五寸中にあり、標は両緩の命門にあり、命門とは目のことである。


Ø 足少陽《胆》の本は竅陰の間にあり、標は窓籠の前にあり、窓籠とは耳のことである。


Ø 足陽明《胃》の本は厲兌にあり、標は人迎、すなわち頬下で頏顙を上挟するところにある。


Ø 足太陰《脾》の本は中封の前上四寸の中にあり、標は背輸と舌本にある。


Ø 足少陰《腎》の本は内踝下二寸中にあり、標は背輸と舌下両脈にある。


Ø 足厥陰《肝》の本は行間上五寸の所にあり、標は背輸にある。


Ø 手太陽《小腸》の本は外踝(=小指)の後にあり、標は命門(=目)上三寸にある。


Ø 手少陽《三焦》の本は小指・次指の間上二寸にあり、標は耳後上角下の外眥にある。


Ø 手陽明《大腸》の本は肘骨中にあり上れば別陽に至るところ、標は頬下鉗上に合するところにある。


Ø 手太陰《肺》の本は寸口の中にあり、標は腋内の動脈にある。


Ø 手少陰《心》の本は兌骨の端にあり、標は背輸にある。


Ø 手厥陰《心包》の本は掌後両筋の間二寸中にあり、標は腋下三寸にある。


およそこれらを候ったとき、下虚は厥であり、下盛は熱痛であり、上虚は眩であり、上盛は熱痛である。ゆえに、実は絶って止め、虚は引きよせて起こす。


気街については、胸気に街があり、腹気に街があり、頭気に街があり、胻気に街がある。ゆえに、気が頭にあれば脳で止め、気が胸にあれば膺(=中府?)と肺兪で止め、気が腹にあれば脾兪と衝脈で臍の左右にある動にて止め、気が胻にあれば気街(=気衝)と承山と踝の上下で止める。これらを取るには豪針を用い、必ず先ず按じ、しばらくして手に応ずれば刺して与える。治す所とは頭痛・眩仆・腹中痛満・暴脹などをいい、新積の痛みがあって移るは治しやすく、積で痛みのないのは治し難い。



2022-03-05

【黄帝内経太素10-08 経脈根結】

根結が知(わか)らなければ、五蔵六府は関が折れ、枢が敗れ、闔(とびら)が開いて走り、陰陽は大いに失われ取り返しがつかなくなる。九針の要は終始にあり、終始が知(わか)れば一言で畢(おわ)り、知(わか)らなければ針道は絶滅する。


太陽は至陰を根とし命門を結とする。

陽明は厲兌を根とし顙大(=頭維?)を結とする。顙大とは鉗耳である。

少陽は竅陰を根とし窓籠を結とする。


太陽が関であり、陽明が闔であり、少陽が枢である。関が折れると肉節が殰(やぶ)れて暴疾が起こり、ゆえに暴病のときは太陽に取り、有余・不足を視る。殰とは肉が焦がれ弱ることである。闔が折れると気が止息せずに痿疾が起こり、ゆえに痿疾のときは陽明に取り、有余・不足を視る。止息しないとは真気が稽留して邪気があるということである。枢が折れると骨繇(こつよう)して地に不安であり、ゆえに骨繇するときは少陽に取り、有余・不足を視る。骨繇とは節が緩んで収まらないことで、いわゆる骨が繇(ゆら=揺)ぐということであり、当にその本を窮めつくすべきである。


太陰は隠白を根とし太倉(=中脘)を結とする。

少陰は湧泉を根とし廉泉を結とする。

厥陰は大敦を根とし玉英(=玉堂?)を結とし、膻中に終る。


太陰が関であり、厥陰が闔であり、少陰が枢である。関が折れると倉廩に輸(おく)れなくなり、ゆえに膈洞するときは太陰に取り、有余・不足を視る。関が折れると気が不足して病を生じる。闔が折れると気が緩んで喜悲するようになり、ゆえに悲するときは厥陰に取り、有余・不足を視る。枢が折れると脈に結するところができて不通となり、ゆえに不通となれば少陰に取り、有余・不足を視て、結があれば皆これを取る。


足太陽は至陰を根とし、京骨に流れ、崑崙に注ぎ、天柱・飛陽に入る。

足少陽は竅陰を根とし、丘墟に流れ、陽輔に注ぎ、天容・光明に入る。

足陽明は厲兌を根とし、衝陽に流れ、下陵に注ぎ、人迎・豊隆に入る。

手太陽は少沢を根とし、陽谷に流れ、小海に注ぎ、天窓・支正に入る。

手少陽は関衝を根とし、陽池に流れ、支溝に注ぎ、天牖・外関に入る。

手陽明は商陽を根とし、合谷に流れ、陽谿に注ぎ、扶突・遍歴に入る。


これらを根といい、十二経で盛絡があれば皆当にこれを取り除くべきである。



2022-03-06

【黄帝内経太素11-1 本輸】

およそ刺の道において必ず通ずべきは、十二経脈の終始する所、絡脈の別起する所、五輸の留止する所、五蔵六府の与合する所、四時の出入する所、蔵府の流行する所、闊数(ひろさ)の度、深浅の状、高下の至る所である。


Ø 肺は少商より出て、少商は手大指内側で、井といい、魚際に溜(したた)り、魚際は手魚にあり、栄といい、太淵に注ぎ、太淵は魚後の下陥する中で、輸といい、経渠に行き、経渠は寸口の中で動じてとまらず、経といい、尺沢に入り、尺沢は肘中の動脈で、合といい、これらが手太陰経である。


Ø 心は中衝より出て、中衝は手中指の端で、井といい、労宮に溜り、労宮は掌中中指本節の内間で、栄といい、太陵に注ぎ、太陵は掌後両骨の間の下方にあり、輸といい、間使に行き、間使は両筋の間三寸の中をとおっており、過あると至り過なければ止まり、経といい、曲沢に入り、曲沢は肘内廉の下陥する中で屈して取り、合といい、これらが手心主経である。


Ø 肝は太敦より出て、太敦は足大指の端三毛の中で、井といい、行間に溜り、行間は大指の間にあり、栄といい、太衝に注ぎ、太衝は行間上二寸のくぼんだ中にあり、輸といい、中封に行き、中封は内踝前一寸半の陥中にあり、逆すと宛し和すと通じ足を揺らして取り、経といい、曲泉に入り、曲泉は輔骨の下大筋の上にあり、膝を屈して取り、合といい、これらが足厥陰経である。


Ø 脾は隠白より出て、隠白は足大指の端内側で、井といい、太都に溜り、太都は本節の後下陥する中で、栄といい、太白に注ぎ、太白は核骨の下で、輸といい、商丘に行き、商丘は内踝下の陥中で、経といい、陰の稜泉に入り、陰の陵泉は輔骨の下陥中で屈伸して取り、合といい、これらが足太陰経である。


Ø 腎は湧泉より出て、湧泉は足心で、井といい、然谷に溜り、然谷は然骨の下で、栄といい、太谿に注ぎ、太谿は内踝の跟骨の上の陥骨の中で、輸といい、復溜に行き、復溜は踝を上る二寸動じて休まず、経といい、陰谷に入り、陰谷は輔骨の後の大筋の下で小筋の上にあり按ずると手に応じ、膝を屈して取り、合といい、これらが足少陰経である。


Ø 膀胱は至陰より出て、至陰は足小指の端で、井といい、通谷に溜り、通谷は本節の前で、栄といい、束骨に注ぎ、束骨は本節の後で、輸といい、京骨を過ぎ、京骨は外踝の下で原といい、崑崙に行き、崑崙は外踝の後で跟骨の上にあり、経といい、委中に入り、委中は膕中にあり、合といい、ふせて取り、これらが足太陽経である。


Ø 胆は竅陰より出て、竅陰は足小指の次指の端で、井といい、侠谿に溜り、侠谿は小指次指間で、栄といい、臨泣に注ぎ、臨泣は上行一寸半の陥中で、輸といい、丘墟を過ぎ、丘墟は外踝の下陥の中で、原といい、陽輔に行き、陽輔は外踝の上輔骨の前および絶骨の端で、経といい、陽の稜泉に入り、陽の陵泉は膝外陥中にあり、合といい、足を伸ばして取り、これらが足少陽経である。


Ø 胃は厲兌より出て、厲兌は足大指の内の次指の端で、井といい、内庭に溜り、内庭は次指の外間陥中で、栄といい、陥谷に注ぎ、陥谷は中指内間を上行する二寸の陥中で、輸といい、衝陽を過ぎ、衝陽は足の足跗上五寸の陥中で、原といい、足を揺らして取り、解谿に行き、解谿は衝陽を上る一寸半の陥中で、経といい、下陵に入り、下陵は膝下三寸胻外の三里で、合といい、また下三寸を巨虚上廉といい、また下三寸を巨虚下廉といい、大腸は上に属し小腸は下に属し、ともに足陽明胃脈であり、大腸・小腸はみなこの足陽明経に属している。


Ø 三焦は上では手少陽に合し、関衝より出て、関衝は手小指の次指の端で、井といい、液門に溜り、液門は小指の間で、栄といい、中渚に注ぎ、中渚は本節の後で、輸といい、陽池を過ぎ、陽池は腕上の陥中にあり、原といい、支溝に行き、支溝は腕上三寸両骨間の陥中で、経といい、天井に入り、天井は肘外大骨の上の陥中にあり、合といい、肘を屈して取り、三焦の下輸は足太陽の前少陽の後にある膕中外廉から出て、名づけて委陽といい、これは太陽の絡であり、これらが手少陽経である。足三焦は太陽の率いる所、太陽の別であり、踝を上る五寸で別入し腨腸を貫き、委陽に出て太陽の正に並び、膀胱に入絡し下焦を約し、盛は閉癃し虚は遺溺する。遺溺は補し閉癃は写す。


Ø 小腸は上では手太陽に合し、少沢より出て、少沢は小指の端で、井といい、前谷に溜り、前谷は手小指本節の前陥中で、栄といい、後谿に注ぎ、後谿は本節の後で、輸といい、完骨を過ぎ、完骨は手外側腕骨の前にあり、原といい、陽谷に行き、陽谷は兌骨(=尺骨茎状突起)の下の陥中にあり、経といい、小海に入り、小海は肘内大骨の外、肘端を去る半寸の陥中にあり、臂を伸ばして取り、合といい、これらが手太陽経である。


Ø 大腸は上では手陽明に合し、商陽より出て、商陽は大指の次指の端で、井といい、二間に溜り、二間は本節の前にあり、栄といい、三間に注ぎ、三間は本節の後にあり、輸といい、合谷を過ぎ、合谷は大指の間にあり、原といい、陽谿に行き、陽谿は両筋の間の陥中にあって、経といい、曲池に入り、曲池は肘外輔曲骨の中にあり、肘を屈して取り、合といい、これらが手陽明経である。


これらを五蔵六府の輸といい、五五・二十五輸、六六・三十六輸である。六府は皆足三陽から出て上って手に合する。缺盆の中は任脈で名づけて天突といい、次の任脈の側の動脈は足陽明で名づけて人迎といい二、次の脈は手陽明で名づけて扶突といい二、次の脈は手太陽で名づけて天窓といい二、次の脈は足少陽で名づけて天容といい二、次の脈は手少陽で名づけて天牖といい二、次の脈は足太陽で名づけて天柱といい二、次の脈は項中央の脈の督脈で名づけて風府といい一、腋内の動脈は手太陰で名づけて天府といい、腋下三寸は手心主で名づけて天池という。


上関を刺すと口を張っても開口できなくなることがあり、下関を刺すとあくびをしても口が開かなくなることがあり、犢鼻を刺すと屈しても伸ばしえなくなることがあり、内関を刺すと伸びても屈しえなくなることがある。


手陽明はその外曲頬(=下顎骨)に至らない一寸にあり、手太陽は曲頬に当り、足少陽は耳下曲頬の後にあり、手少陽は耳後に出て上って完骨の上に加わり、足太陽は項を挟む大筋の中の髪際にあり、陰尺の動脈は肘上の五里にあり、五輸の禁である。


肺の合は大腸、大腸は伝導の府であり、心の合は小腸、小腸は受盛の府であり、肝の合は胆、胆は中精の府であり、脾の合は胃、胃は五穀の府であり、腎の合は膀胱、膀胱は津液の府であり、少陰は腎に属し、腎は肺に上通して両蔵を率い、三焦は中瀆の府であり水道を出して膀胱に属し、孤の府であり、これらが六府の与合する所である。


春は絡脈と諸栄と大経の分肉の間に取り、甚だしければ深く取り、軽ければ浅く取り、夏は諸輸、孫絡、肌肉皮膚の上に取り、秋は諸合を取り、余は春法の如くにし、冬は諸井と諸輸の分を取り、深く留めのが好ましく、これが四時の序であり、気のある所であり、病の舍る所であり、蔵の宜しき所である。


転筋は立たせて取ればついには治り、痿厥は張って刺せばたちどころに快くなる。



2022-03-07

【黄帝内経太素11-2 変輸】

肝は牡蔵といい、その色は青、時は春、音は角、味は酸、日は甲乙。心は牡蔵といい、その色は赤、時は夏、日は丙丁、音は徴、味は苦。脾は牝蔵といい、その色は黄、時は長夏、日は戊己、音は宮、味は甘。肺は牝蔵といい、その色は白、音は商、時は秋、日は庚辛、味は辛。腎は牝蔵といい、その色は黒、時は冬、日は壬癸、音は羽、味は鹹。これらを五変という。


蔵は冬を主るゆえ冬は井を刺し、色は春を主るゆえ春は栄を刺し、時は夏を主るゆえ夏は輸を刺し、音は長夏を主るゆえ長夏は経を刺し、味は秋を主るゆえ秋は合を刺し、このように五変によって五輸を主る。原のみは独り五時に応ぜず、経が合してその数に応じ、ゆえに六六、三十六輸となる。


病が蔵にあれば井に取り、病が色を変ずれば栄に取り、病が時に軽く時に甚だしければ輸に取り、病が音を変ずれば経、すなわち経満の血を取り、病が胃にあり飲食の不節で病を得たのは合に取り、ゆえに味は合を主ると言うのである。


Ø 春は木が始めて治して肝気が生じ、肝気は急でその風は疾であり、経脈は常に深くその気は少なくて深入できない、ゆえに絡脈の分肉の間に取る。


Ø 夏は火が始めて治して心気は始めて長じ、脈は痩せ気は弱く、陽気は流溢し分腠を重熱し内では経に至る、ゆえに盛経を分腠に取り、膚を断つのみで病が去るのは邪が浅くにあるからである。盛経とは陽脈のことなり。


Ø 秋は金が始めて治し、肺が将に初めて殺し金が将に火に勝とうとし、陽気は合にあり陰気が初めて勝ち湿気が体に及ぶも、陰気は未盛で未だ深入できない、ゆえに輸を取って陰邪を瀉し、合を取って陽邪を虚しめる。陽気が始めて衰えるので合を取るのである。


Ø 冬は水が始めて治し、腎は方に閉ざし陽気は衰え、少陰の気は緊となり巨陽は伏沈となって陽脈は去る、ゆえに井を取って陰逆を下し、栄を取って陽気を実せしめ、ゆえに「井栄を取れば春に鼽衄することはない」とはこれを言うのである。



2022-03-08

【黄帝内経太素11-3 府病合輸】

五蔵六府の気が栄輸し入る所を合という。合は陽脈から別れ、内に入り府に属す。栄輸は外経を治し、合は内府を治す。内府を治すには合を取る。


胃の合は三里に入り、大腸の合は巨虚上廉に入り、小腸の合は巨虚下廉に入り、三焦の合は委陽に入り、膀胱の合は委中に入り、胆の合は陽陵泉に入る。


三里は足を下げて取り、巨虚は足を挙げて取り、委陽は屈伸して探し、委中は屈して取り、陽陵泉は正立し膝を立てて向き正しく下し委陽の外に取る。諸々の外経を取るにも応用してこれに従う。


《六府の病》

Ø 面熱は足陽明病であり、魚絡血は手陽明病であり、両跗(=足の甲)の上の脈が堅くもしくは陥んでいるのは足陽明病で、これは胃脈である。大腸病は腸中が切痛して鳴り濯濯とし、冬日寒に重感すると洩らし臍に当って痛み、久立できず、胃と同候であり、巨虚上廉に取る。


Ø 胃病は腹が脹れ胃管が心に当って痛み、上では両脇膈と咽に交わるので不通となり、食飲が下らなくなり、三里に取る。


Ø 小腸病は少腹が痛み腰背から尻に引いて痛み、時に大便が詰まり、耳前に当って熱しもしくは寒えが甚だしくもしくはただ眉上のみ熱が甚だしく、および手小指・次指の間が熱しもしくは脈が陥むのは、その候が手太陽であり、巨虚下廉に取る。


Ø 三焦病は腹に気が満ち少腹は尤も堅くなり、小便が出ずに詰まって急迫し、溢れると水となり、留まると脹となり、候は足太陽の外の大絡にあり、絡は太陽・少陽の間にあり、また脈を見て委陽に取る。


Ø 膀胱病は少腹が偏腫して痛み、手で按ずると小便しそうになるも出ず、眉上が熱しもしくは脈が陥み、および足小指外側と脛踝後がみな熱しもしくは脈が陥み、委中に取る。


Ø 胆病はよく大息し、口が苦く宿汁を吐き、心下が澹澹として恐れて人が将に捕えようとするがごとく、嗌中が閡(ふさ)がってしばしば唾し、候は足少陽の本末にあり、その脈の陥下を視て灸し、その寒熱は陽陵泉に取る。


《刺道》

これを刺すには必ず気穴に中てるべきで、肉・節に中ててはならない。気穴に中たれば針は巷に遊び、肉・節に中たれば肉・膚が痛む。補瀉に反すると病は重くなる。筋に中たれば筋が傷ついて緩み、邪気が出ないと真気と相迫し乱れて去らず、かえって内着する。用針を審らかにしないと順をも逆となしてしまうのである。



2022-03-09

【黄帝内経太素11-4 気穴】

気穴の365は1年に応じている。真数(=真実)は人の意(こころ)を開く。


背と心と相控いて痛めば天突と十椎および上紀・下紀を治す。上紀とは胃脘で下紀とは関元である。邪が陰陽・左右を撃ちその病が前後に痛みしびれ、胸脇が痛み息ができず臥すことができず、上気・短気・偏痛するのは、脈が満起し邪に尻脈より出て胸に絡し、心を支え膈を貫き肩を上り、天突に加り邪に肩に上り、十椎に交わり蔵に下るからである。


蔵輸は50穴(5×5×2)、府輸は72穴(6×6×2)、熱輸は59穴、水輸は57穴、頭上の五行は5×5で25穴、背骨の両傍は5×2で10穴、大杼の上両傍2穴、目瞳子の浮白2穴、大腿骨大転子2穴、犢鼻2穴、耳中に多く聞こえる所2穴、眉本(=攅竹)2穴、完骨2穴、項中央1穴、枕骨(=頭竅陰)2穴、上関2穴、太迎2穴、下関2穴、天柱2穴、巨虚上下4穴、曲牙2穴、天突2穴、天府2穴、天牖2穴、扶突2穴、天窓2穴、肩解(=秉風または肩井)2穴、関元1穴、委陽2穴、肩貞2穴、肩髃2穴、臍1穴、肓輸2穴、背輸(=大杼)2穴、膺輸(=中府)2穴、分肉(=陽輔)2穴、踝上横骨(=交信または跗陽)2穴、陰陽蹻(照海および申脈)4穴、すべて365穴が針を行う所由である。


水輸は諸々の分肉の間にあり、熱輸は気穴にあり、寒熱輸は両骸厭中の2穴(=陽関?)にあり。大禁の25は天府の下5寸(=五里?)にある。


少陰は腎を主り、腎は水を主る。これは、腎は至陰であり、陰は水が盛であり、腎は少陰であり、少陰は冬であり、ゆえにその本は腎にあり、その末は肺にあり、みな水を積むからである。腎は胃の開閉をなし、開閉が不利だと水が聚まり、その類に従い上下して皮膚に溢れ、ゆえに浮腫を起こす。腎は牝蔵であり、地気が上るのは腎に属するからで、それで水液を生じる。ゆえに至陰という。勇んで労することが甚だしいと腎汗が出る。汗が出て風に逢い、内ではその蔵に入り得ず、しかも外では皮膚から出られないので、六府に客し皮膚を行(めぐ)り伝わり浮腫を起こす。本は腎にあり、名づけて風水という。


《水輸57穴》

水輸57穴とは積陰の聚まる所であり、水の出入する所である。尻上の5行、行に5あり、25穴みな腎輸であり、ゆえに水病になって下では浮腫・大腹を起こし、上では喘呼し臥すを得ないのは、標本がともに病んだためであり、ゆえに肺が喘呼を起こし腎が水腫を起こすのである。肺が逆をなすと臥するを得ず、分が相輸受すると水気が留まる所となる。伏兎の上各2行、行に5あり、左右合わせた20穴みな腎の衝する所で、三陰が脚で交結する所は、踝上の各1行で、行に6あり、左右合わせて12穴、以上57穴は腎脈の下行するのであり、太衝という。すべて57穴はみな蔵陰の終わりであり、水の客する所である。


《熱輸59穴》

頭上5行、行に5あり、これら25穴で諸陽の熱逆を越し、大杼・膺輸・缺盆・背輸、これら8穴で胸中の熱を瀉し、気街・三里・巨虚上下廉、これら8穴で胃中の熱を瀉し、雲門・髃骨・委中・髄空、これら8穴で四肢の熱を瀉し、五蔵輸の傍5、これら10穴で五蔵の熱を瀉し、以上59穴はみな熱に常用する。人が寒に傷つけられると、寒盛となり熱を生じる。


《五蔵の輸》

胸中の大輸(=大杼)は杼骨の端にあり、肺輸は三椎の間にあり、心輸は五椎の間にあり、膈輸は七椎の間にあり、肝輸は九椎の間にあり、脾輸は十一椎の間にあり、腎輸は十四椎の間にあり、みな脊を挟み相去ること3寸の所、すなわち験(しら)べようと思えばそこを按じ、当たって痛みが解(わか)ればそれが輸である。灸するもよく、刺すもよく、気盛は瀉し、虚は補す。火で補すときはその火を吹くことなく自滅をまち、瀉すときは疾にその火を吹きその艾を押さえつけその火が消えるのをまつ。


《孫絡の会》

孫絡の365穴・会も1年に応じる。洫(きょく=溝)から奇邪が営衛に通じ、営洫に稽留すれば気が濁り血が着き、外では発熱を起こし内では少気を起こし、疾瀉して怠りなく営衛を通じ、現れるのは瀉すべきで、会する所は問題ではない。孫絡の脈が経に別れるところで、その鬱血が盛んで瀉すべきところもまた365穴があり、十四絡脈に伝注し、さらに内に別れて中を瀉すのは五蔵の両側、すなわち十脈がある。


《谿谷の会》

分肉の大会を谷といい、肉の小会を谿といい、分肉の間・谿谷の会で営衛を行(めぐ)らして大気と会する。邪が溢れ気が壅(ふさ)がれば脈は熱をもち肉は腐れ、営衛は行らず、必ずや将に膿となり、肉では骨髄が消え、外では肉塊が破れ、節・腠に留まれば必ずや将に敗(腐れること)となる。積寒が留舎し営衛が居れなくなれば、肉は寒(こご)え筋は縮み時には伸びなくなり、内では骨痹を起こし外では不仁を起こす。これを不足といい、大寒が谿谷に留まったためである。谿谷の365会もまた1年に応じており、そこで小痹が淫溢し脈を循って往来すれば微針のおよぶ所、法とともに相思すべきである。



2022-03-10

【黄帝内経太素11-5 気府】

Ø 足太陽脈《膀胱》の気の発する所は73穴、両眉頭に各1(2)、入髪、項二寸間、半寸、傍の五、相去ること二寸、その浮気の皮中にあるのはすべて五行、行に五、(5×5=25)、項中の大筋の両傍に各1(2)、風府の両傍に各1(2)、脊を挟んで下り尻に至る二十一節の十五間に各1(30)、委中以下足小指の傍に至る6輸(12)。


Ø 足少陽脈《胆》の気の発する所は52穴、両角上に各2(4)、耳前の角上に各1(2)、客主人各1(2)、下関各1(2)、耳下の牙車の後に各1(2)、缺盆各1(2)、腋下三寸の脇下より下って胠に至る八間に各1(11×2=22)、髀枢中の傍に各1(4)、膝より以下足小指の次指に至るに各6輸(12)。


Ø 足陽明脈《胃》の気の発する所は62穴、額顱の髪際の傍に各3(6)、面の鼽骨空に各1(2)、大迎の骨穴に各1(2)、缺盆の外骨に各1(2)、膺中の骨間に各1(2)、鳩尾を挟む外の乳下三寸に当って胃脘を挟み各5(10)、臍を挟んで広がること三寸に各3(6)、臍を下り二寸を挟み各6(12)、気衝の動脈に各1(2)、伏兎の上に各1(2)、三里より以下足中指に至り各8輸分上にある穴空(16)。


Ø 手太陽脈《小腸》の気の発する所は36穴、目内眥に各1(2)、巨骨下骨穴に各1(2)、曲腋上骨穴に各1(2)、柱骨の陥みを出た所に各1(2)、天容の上に四あり寸に各1(8)、肩解に各1(2)、肩解を下る三寸に各1(6)、肘より以下小指の本に至る各6輸(12)。


Ø 手陽明脈《大腸》の気の発する所は22穴、鼻穴外廉と項上に各1(4)、大迎骨空に各1(2)、柱骨の会に各1(2)、髃骨の会に各1(2)、肘より以下手大指の次指の本に至る各6輸(12)。


Ø 手少陽脈《三焦》の気の発する所は33穴、鼽骨下に各1(2)、眉本に各1(2)、角上に各1(2)、完骨を下った後に各1(2)、項中と足陽明の前に各1(3)、扶突に各1(2)、肩貞に各1(2)、肩貞の下三寸の分間に各1(6)、肘より以下手小指の次指本に至る各6輸(12)。


Ø 督脈の気の発する所は26穴、項の中央に3(6)、大椎より以下尻に至る二十節間に各1(20)、尾骶骨までの脊椎はすべてで二十一節。


Ø 任脈の気の発する所は18穴、喉の中央に2、鳩尾の下三寸は胃脘(3)、五寸も胃脘(5)、以下下って横骨に至る八寸(8)。


Ø 五蔵の輸は各五ですべて50穴、足少陰の舌下、厥陰の毛中の急脈、手少陰に各1(2)、陰陽蹻に各1(4)、手足の諸魚際(4)、以上脈気の発する所はすべて三百六十五穴(実際は380穴)。



2022-03-11

【黄帝内経太素11-6 骨空】

風は百病の始まり。その治法はいかに?


Ø 大風で頸項が痛めば風府を刺す。風府は上椎にある。

Ø 大風で汗出れば譩譆に灸する。譩譆は背下、脊を挟む傍三寸の所にあり、圧して病者に「譩譆」と言わせると譩譆が手に応じる。

Ø 風により風が増せば眉頭(=攅竹)を刺す。

Ø 失枕(頸項が強ばり痛む病)は肩上の横骨の間に取る(=頭竅陰?缺盆?肩井?天突?)。

Ø 脇腹・季脇から下腹部にかけての痛みを取り除くには、臂(=上腕)を引き肘を当てて脊中に灸する。

Ø 脹満は譩譆に刺す。

Ø 腰痛で転揺できず痛みが陰卵に引きつれば九髎(=八髎と腰輸)と痛上に刺す。九髎は腰尻の分間にある。

Ø 鼠瘻(結核性リンパ節炎)の寒熱は寒府(=膝陽関?)を還刺する。寒府は膝外の隙間にある。

Ø 膝上外を取るには伏臥位で、足心(=湧泉)を取るには仰臥位とする。


督脈は少腹より起きて骨中の真ん中を下り、女子では尿穴の端、男子では陰茎に入る。その絡は陰器を循り会陰に合し、会陰の後を繞り別れて臀を繞り、少陰と巨陽の中絡に至って少陰に合し、股内後廉を上り脊を貫き腎に属し、太陽とともに目内眥より起こり、額を上り顛に交わり上って脳に入洛し、還出し別れて項を下り肩髃内を循り、脊を挟み腰中に至り、膂に入循し腎に絡して止まり、男子では茎を循り、男女とも会陰に下至する。その少腹から直上するのは、臍の中央を貫き上って心を貫き、喉に入り頤を上り脣を環り、上って両目の下中央に繋がる。


Ø 督脈の病が生ずると、少腹より心に上衝して痛み、前後しえない衝疝となる。女子であれば不妊・癃・痔・遺尿・嗌乾する。督脈が病を生ずれば督脈を治すべきで、治は骨上(=長強?)にあり、甚だしければ臍下の営(=曲骨?)にある。

Ø 上気し音をたてるのは、喉の中央と缺盆の中にある所を治療する。

Ø 喉に上衝すれば漸を治療する。漸とは上で頤を挟む所(=大迎)である。

Ø 蹇(足萎え)して膝が伸びて屈しなければ、その大腿部を治療する。

Ø 坐して膝が痛めば、その機(関節)を治療する。

Ø 立つと支節の別れるところが熱するときは、膝関節を治療する。

Ø 膝の痛みが足小指に及べば膕を治療する。

Ø 坐すと膝が痛み物が隠れている感じがするときは、関(膕上の髀枢)を治療する。

Ø 膝が痛み屈伸できなければ、背内(足太陽の背輸)を治療する。

Ø 〔骨行〕に連なって折れるような感じがするときは、陽明の中輸髎(巨虚上廉)を治療する。

Ø 〔骨行〕が別れるような感じがするときは、巨陽・少陽(足の太陽と少陽)の栄を治療する。

Ø 淫濼(膝・〔骨行〕の痹痛で無力になること)で久立できないときは、少陽の維、外踝上四寸にある所を治療する。


輔骨上の横骨の下を揵といい、髖(腰骨)を挟むを機といい、膝解を骸関といい、膝を挟む骨を患骸といい、骸下を輔といい、輔上を膕(膝窩)といい、膕上を関といい、項の横骨を枕という。


水輸57とは尻上の五行、行に五、伏兎上の両行、行に五、左右各一行、行に六穴である。


髄空は脳後三分顱際の兌骨の下に一あり、新簒下に一あり、項中の復骨下に一あり、脊骨上空にあり、風府上・脊骨下空にあり、尻骨下空にあり、多くの髄空は面(かお)の鼻を挟んである。あるいは、骨空は口下の両肩に当るところにあり、両髆の骨空は髆中の陽(外側)にあり、臂の骨空は陽で踝を去る四寸両骨の間にあり、股骨の上空は股陽の膝を上る四寸を出るところにあり、胻骨空は輔骨の上端にあり、股際の骨空は毛中の動脈下にあり、尻骨空は髀骨の後去ること四寸にあり、遍骨には滲理があり、髄空はなく髄を移す穴もない。



2022-03-12

【黄帝内経太素12-1 営衛気別】

人は気を穀より受け、穀が胃に入って肺に伝わり、五蔵六府は皆そこから気を受ける。そのうち清を営といい、濁を衛という。営は脈中にあり、衛は脈外にある。栄は周(めぐ)って休むことがなく、五十度にして復たび大会し、陰陽を相貫すること環に端のないが如くである。衛気は陰を行(めぐ)ること二十五度、陽を行ることも亦二十五度、分ちて昼・夜となす、ゆえに気は陽に至って起こり、陰に至って止まる。


日中に陽が盛んになるのを重陽といい、夜半に陰が盛んになるのを重陰という。太陰は内を主り、太陽は外を主り、各々二十五度、分ちて昼・夜となす。夜半に陰が盛んになり、夜半後は陰が衰え、平旦(=朝)には陰が尽きて陽が気を受け、日中は陽が盛んで、日西(=16時)には陽が衰え、日入(=18時)には陽が尽きて陰が気を受け、夜半で大会し万民みな臥し、名づけて合陰という。


黄帝:老人が夜眠れないのは何の気がしからしめ、少壮が夜目覚めないのは何の気がしからしめるのか?

岐伯:壮者の気血は盛んでその肌肉は滑らか、気道は通じ、営衛の行(めぐ)りはその常を失することなく、ゆえに昼ははっきりして夜眠い。老者の気血は衰え肌肉は枯れ、気道は濇(しぶ)り、五蔵の気は相迫し、その営気は衰少して衛気は内代し、ゆえに昼ははっきりせず夜は眠れないのである。


(営)気は(手)太陰より出て(手)陽明に注ぎ、上行して足陽明に注ぎ、下行して跗上に至り大指間に注いで(足)太陰と合し、上行して脾に至り、脾より心中に注ぎ、手少陰を循り腋に出て臂を下り小指の端に注いで手太陽と合し、上行して腋を登り䪼(=頬骨)内に出て目内眥に注ぎ、顛(=頭頂)に上り項に下り足太陽と合し、脊を循り尻に下行して小指の端に注ぎ、足心を循り足少陰に注ぎ、上行して腎に注ぎ、腎より心に注ぎ、胸中に外散し心を循って脈に注ぎ、腋に出て臂を下り両筋の間に入り、掌中に入り中指の端に出て小指の次指の端に還注し、手少陽に合し上行して膻中に注ぎ、三焦に散じ、三焦より胆に注ぎ、脇に出て足少陽に注ぎ下行し、跗上に至り復たび跗より大指の間に注ぎ、足厥陰と合して上行し肝に至り、肝より肺に上注し喉嚨を上循し、頏顙の竅に入り畜門に究まる。その別は額に上り顛を循り項中に下り、脊を循り骶に入る。その督脈が陰器を絡し毛中を上過し、臍中に入り腹裏を上循して缺盆に入り、肺中に下注し復たび(手)太陰より出る。これが営気の行(めぐ)りの逆順の常である。


営は中焦より出て、衛は上焦より出る。


上焦は胃の上口から出て咽に並んで膈を上貫し、胸中に布し腋に走り太陰の分を循り行き、還って陽明に注ぎ舌に上至し、足陽明に下り、常に営とともに陽を行ること二十五度、陰を行ることも亦二十五度。五十周すると復たび手太陰で大会する。


黄帝:人によっては熱飲食が胃に下り、その気が未定であるうちに汗が出て、あるいは面(かお)に出、あるいは背に出、あるいは半身に出ることがある。それが営衛の気の道を循らないうちに出るのは何故か?

岐伯:外では風に傷つき、内では腠理が開き、毛が蒸され理から洩れ、衛気が走って、もとよりその道に循り得ない。これは気が慓悍・滑疾で開きを見ては出てゆくので、その道に従いえない、名づけて漏洩という。


中焦も亦胃口に並んで上焦の後より出る。これが気を受けると、糟粕を泌(だ)し津液を承けその精微に化し、肺脈に上注して化して血をつくり、それで生身を奉(やしな)う。


黄帝:血と気とは異名同類であるとは何か?

岐伯:営衛は精気をいい、血は神気であり、ゆえに血と気とは異名同類である。ゆえに奪血は汗を出してはならず、奪気は血を出してはならない。ゆえに二つ(奪血と奪気)があれば死ぬが、二つでなければ生かせる。


下焦とは廻腸(=大腸)から別れ膀胱に注いで参入する。ゆえに水・穀は常に併せて胃中にあり、糟粕と成ってともに大腸を下り、下焦と成って滲み、ともに下り、押し流して汁を別ける。


黄帝:人が酒を飲み胃に入ると、穀は未熟なのに小便だけが先に出るのは何故か?

岐伯:酒は熟穀の液であり、その気は悍で滑、ゆえに穀に遅れて入っても穀に先だって出る。

黄帝:善し。余は聞いておる、「上焦は霧の如く、中焦は漚(おう)の如く、下焦は瀆の如し」と。これは以上のことを言うのであろう。



2022-03-13

【黄帝内経太素12-2 営衛気別】

黄帝:邪気が人に客すと目を瞑(つむ)れず眠れずに起き上ることがあるが、何の気が然らしめるのか?

伯高:五穀が胃に入ると、それが糟粕・津液・宗気に分かれて三隧となり、宗気は胸中に積もり喉嚨より出てゆき、心肺を貫き呼吸を行う。営気は津液を泌(だ)し脈に注ぎ、化して血となし四肢を営し、内では五蔵六府に注いで刻数に応じる。衛気は悍気の慓疾なるを出し、四肢・分肉・皮膚の間を先行して休むことなく、昼は陽を行り夜は陰を行る。陰に入るときは常に足少陰の分間より五蔵六府を行る。そこで厥気が蔵府に客すと衛気のみが独りで外を衛るようになり、陽気が盛んになり、陰気が益々少なくなり、陽蹻が満ちて陽盛となる。ゆえに目が瞑れないのである。

黄帝:善し、これを治すにはいかにするか?

伯高:その不足を補し、その有余を瀉し、その虚実を調え、もってその道を通じ、その邪を去り、半夏湯一剤を飲ませ陰陽が通ずれば、眠りがたちどころに至る。その湯方は、流水の千里以外を八升、揚(かきあげ)ること万遍、その清を五升取って煮る。炊くには葦薪を用いて大沸させ、粳米一升と撞き砕いた半夏五合を量り、徐々に炊きつくして一升半となし、その滓を去り、汁を飲むこと一小杯、日に三、やや益して効いたところを度(かぎり)とする。その病が新たに発したのであれば、杯を置くととたんに眠り汗が出て治る。久病であっても三たび飲めば治る。


黄帝:十二経脈は十二経水に応じ、十二経水はその五色が各々異なり清濁も同じでない。人の血気は一つのようだが、どのようにしてこれに応ずるのか?

岐伯:受穀は濁であり、受気は清である。清は陰(肺)に注ぎ、濁は陽(胃)に注ぐ。濁で清は上って咽より出、清で濁は下行する。清・濁が相戦うのを乱気という。清は上って肺に注ぎ、濁は下って胃に流れ、胃の清気は上って口より出、肺の濁気は経に下注し、内では海に積もる。手太陽が特に陽の濁を受け、手の太陰が特に陰の清を受ける。その清は空竅に上走し、その濁は諸経に下行し、諸陰は皆清でも足太陰だけはその濁を受ける。

黄帝:どのように治療するのか?

岐伯:清はその気が滑であり、濁はその気が濇である。ゆえに陽を刺すときは深くして留め、陰を刺すときは浅くして素早く抜き、清濁が相戦うときは数をもって整える。

黄帝:何を失すると乱れ、何を得ると治まるのか?

岐伯:五行には序があり、四時には分がある。相順であれば治まり、相逆であれば乱れる。経脈十二は十二月に応じ、十二月は分けて四時となり、四時は春夏秋冬でその気が異なっている。営衛が相随し、陰陽が相和し、清濁が相戦わず、このようであれば順であり治まる。清濁が相戦い胸中で乱れることを大悗という。気が心で乱れると煩心し寡黙となり静臥する。肺で乱れると俛仰・喘喝し、接手して呼する。腸胃で乱れると霍乱(=急に嘔吐・下痢すること)を起こす。臂・脛で乱れると四厥を起こす。頭で乱れると厥逆・頭重・眩仆を起こす。

黄帝:このような五乱を刺すに道があるか?

岐伯:気が心にあれば手少陰・心主の輸(神門と大陵)を取る。気が肺にあれば手太陰の栄(魚際)、足少陰の輸(太谿)に取る。気が腸胃にあれば足太陰、陽明に取り、(上は背輸)下は三里を取る。気が頭にあれば天柱・大杼に取り、無効であれば足太陽の栄・輸(通谷と束骨)を取り、気が腕脚にあれば先ず血脈を去り後で陽明・少陽の栄・輸(二間・三間、内庭・陥谷、液門・中渚、侠谿・臨泣)を取る。ここでは、有余・不足でなく乱気の相逆であるから、補(徐入疾出)瀉(疾入徐出)するのではなく、徐に入れ徐に出して導気させねばならない。



2022-03-14

【黄帝内経太素12-3 営五十周】

天周は二十八宿、宿は三十六分、人気が一周を行(めぐ)るのは1008分、日の行が20分で、人の経脈の上下左右前後の28脈、身の16丈2尺を周り、28宿に応じ、漏水の百刻の下りで昼夜を分ける。


ゆえに人の一呼に脈は再動し、気の行は3寸、一吸に脈は亦再動し、気の行は3寸、10息で気の行は6尺、日の行は2分、270息で気の行は16丈2尺、気の行は中を交通して身を一周し、漏水2刻、日の行は20分、540息で気の行は身を再周し、漏水4刻、日の行は40分、2700息で気の行は身を10周し、漏水20刻、日の行は5宿20分、13500息で気の行は身を50営し、漏水100刻、日の行は28宿、漏水は皆尽きる。


いわゆる交通とは並行を一とする。ゆえに50営が備わり天地の寿を尽くすことができ、気はすべて810丈(=16.2×50)行るのである。



2022-03-15

【黄帝内経太素12-4 衛五十周】

歳に十二月があり、日に十二辰があり、子午を経とし卯酉を緯とし、天周は二十八宿で四方に七星があり、四七=二十八星となり、房昴を緯とし虚張を経とする。房より畢に至るは陽であり、昴より尾に至るは陰であり、陽は昼を主り、陰は夜を主る。ゆえに、衛気の行(めぐり)は一日一夜で身を五十周し、昼は陽を行ること二十五周、夜は陰を行ること二十五周する。


このゆえに、平旦(=4時)には陰気が尽き陽気が目から出、目が開くと気は頭に上行し頂を循り、足太陽に下り、背を循って小指の端に下至し、その散は目兌眥より別れ手太陽に下り、小指の端の外側に下至し、その散は目兌眥より別れ足少陽に下り、小指・次指の間に注ぎ、手少陽の分を上循し、小指・次指の間に下至し、別は耳前に至り、頷脈に合し足陽明に注ぎ、下行して跗上に至り五指の間に入り、その散は耳より下り手陽明を下り、大指の間に入り掌中に入る。


このゆえに、日の行の一舎で人気の行は身を一周と十分の八、日の行の二舎で人気の行は身を三周と十分の六、日の行の三舎で人気の行は身を五周と十分の四、日の行の四舎で人気の行は身を七周と十分の二、日の行の六舎で人気の行は身を十周と十分の八、日の行の七舎で人気の行は身を十二周と十分の六、日の行の十四舎で人気の行は身を二十五周に奇分があって十分の二となり、陽が尽きて陰が気を受ける。


その始めて陰に入るときは常に足少陰より腎に注ぎ、腎より心に注ぎ、心より肺に注ぎ、肺より肝に注ぎ、肝より脾に注ぎ、脾より復たび腎に注いで一周となる。このゆえに、夜の行の一舎で人気は陰蔵を行ること一周と十分の八、また陽の行の如く二十五周して復たび目で合し、陰陽の一日一夜で合わせて、奇分が十分の身の二と十分の蔵の二あることになる。このゆえに、人の寝起きのときに早い遅いがある所以は、奇分が尽きてないからである。


黄帝:衛気の身にあるや、上下往来して期(きめて)がない。気を候って刺すにはいかにするか?

伯高:常に平旦をもって紀(きめて)とすべきで、夜が尽きて始まりとなるからである。このゆえに、一日一夜で水下の百刻、二十五刻が半日の度であり、常にこのように終わることなく日が入れば止み、日の長短に随い各々紀とし、もって刺すのである。謹んでその時を候い治病を期とともになすべきで、時を失し候に反すると病は治らない。「実を刺すにはその来るを刺し、虚を刺すにはその去るを刺す」とは「気の存・亡の時に実・虚を候って刺せ」ということである。謹んで気の所在を候って刺す、これを逢時といい、病が三陽にあれば必ずその気が加わり陽分にあるのを候って刺し、病が三陰にあれば必ずその気が加わり陰分にあるのを候って刺すのである。


水下一刻、人気は太陽にある。水下二刻、人気は少陽にある。水下三刻、人気は陽明にある。水下四刻、人気は陰分にある。水下五刻、人気は太陽にある。水下六刻、人気は少陽にある。水下七刻、人気は陽明にある。水下八刻、人気は陰分にある。水下九刻、人気は太陽にある。水下十刻、人気は少陽にある。水下十一刻、人気は陽明にある。水下十二刻、人気は陰分にある。水下十三刻、人気は太陽にある。水下十四刻、人気は少陽にある。水下十五刻、人気は陽明にある。水下十六刻、人気は陰分にある。水下十七刻、人気は太陽にある。水下十八刻、人気は少陽にある。水下十九刻、人気は陽明にある。水下二十刻、人気は陰分にある。水下二十一刻、人気は太陽にある。水下二十二刻、人気は少陽にある。水下二十三刻、人気は陽明にある。水下二十四刻、人気は陰分にある。水下二十五刻、人気は太陽にある。これが半日の度であり、房より畢に至る十四舎、水下五十刻が日の行の半度であり、一舎を廻行するのは水下三刻と七分の二である。


常に日の宿に加わる上は人気が太陽にあり、日の行の一舎で人気は三陽と陰分を行り、常にこのように終わることなく天地と紀を同じくし、フンフンハンハンとして終わっては復たび始まり、一日一夜、下水百刻で尽きるのである。



2022-03-16

【黄帝内経太素13-1 経筋】

足太陽の筋は小指の上より起こり、踝に結し邪(ななめ)に上って膝に結し、その下は足外側を循り踵に結し跟を循り膕に結し、その別は腨(ふくらはぎ)外に結し、膕中に上り併上して臀に結し背を上侠し項に上り、その支は別れて舌本に入結し、その直は枕骨(=後頭結節、頭竅陰)に結し頭に上り顔を下り鼻に結し、その支は目の上網(=上眼瞼)となり鼽に下結し、その下の支は腋後外廉より肩髃に結し、その支は腋下に入り缺盆に上出し完骨に上結し、その支は缺盆に出て邪に鼽に上出する。その病は小指が支(つっぱ)り跟踵が痛み膕は攣(ひきつ)り、脊が反折し項筋が急(ひきつ)り肩が挙がらず、腋が支り、缺盆が捩れて痛み左右に揺るがすことができない。治は燔針で劫刺するにあり、知るをもって数となし、痛みをもって輸となせ。名づけて仲春(=2月)痹という。


足少陽の筋は小指側の次指の上より起こり、外踝に上結し胻(=脛骨)外廉を上循し膝外廉に結し、その支は外輔骨(=腓骨頭)より起こり髀(=外股)に上走し、前は伏兎の上に結し、後は尻に結し、その直は〔月少〕(=側腹部)を上り季脇に乗り腋前廉に上走し、膺乳に繋がり缺盆に結し、その直は腋に上出し缺盆を貫き太陽の前に出、耳後を循り額角に上り顛上で交わり、頷に下走し鼽に上結し、その支は目外眥に結し外維となる。その病は足小指・次指が支り転筋し膝外に引き転筋し膝が屈伸できず、膕中筋が急り前は髀に引き後は尻に引き、上は〔月少〕・季脇が痛み上って缺盆・膺乳・頸に引き、維筋が急り左より右にゆき右目が開けられなくなり、右角を上過し蹻脈に並んで行り左から右に絡す。ゆえに左角が傷つくと右足が用いられなくなる。命じて維筋相交という。治は燔針で劫刺するにあり、知るをもって数となし、痛みをもって輸となせ。名づけて孟春(=正月)痹という。


足陽明の筋は中の三指より起こり、跗上に結し邪外に上り輔骨(=腓骨)に加わり、膝外廉に上結し直上して髀枢(=股関節)に結し、脇を上循し脊に属し、その直は〔骨行〕(=脛骨)を上循し膝に結し、その支は外輔骨(=腓骨頭)に結し少陽と合し、直は伏兎を上循し髀に上結し陰器に聚まり、腹を上って布し缺盆に至って結し、頸を上り口に上侠し鼽に合し鼻に下結し、太陽に上合し目の上網となり、陽明は目の下網となり、その支は頬より耳前に結す。その病は足中指が支り〔骨行〕が転筋し脚が跳堅し、伏兎が転筋し髀前が腫れ頽疝となり、腹筋が急り缺盆に引き、頬口が卒に曲がり急(ひきつ)ると目が合わなくなり、熱があると筋が弛緩し目が開けられなくなり、頬筋に寒があると頬が急引し口が偏り、熱があると筋が弛緩する。勝てないから曲がる。治には馬膏をもちいてその急ったほうに膏を塗り、白酒に桂を加えてその緩んだほうに塗り、桑鉤をもってひっかけてすぐに生桑炭を坎中に置き、高下を坐と等しくして急頬を膏熨(=油脂を塗り火で炙る療法)し、且つ、美酒を飲ませ美炙(=炙った肉)を食べさせよ。酒を飲まなければ自ら強いよ。三拊すれば已む。治は燔針で劫刺するにあり、知るをもって数となし、痛みをもって輸となせ。名づけて季春(=3月)痹という。


足少陰の筋は小指の下より起こり、太陰の筋に並び邪に内踝の下を走り、踝に結し太陰の筋と合して上り内輔の下に結し、太陰の筋に並んで陰股を上循し陰器に結し、脊内を循り膂を侠み項に上至し、沈骨に結し足太陽の筋と合する。その病は足下が転筋し、過ぎて結する所が皆痛み転筋する。病がこれにあれば癲癇、痙攣を主とし、外にあれば伏すことができず、内にあれば仰向けできない。ゆえに陽病は腰が反折して伏すことができず、陰病は仰向けできなくなる。治は燔針で劫刺するにあり、知るをもって数となし、痛みをもって輸となせ。内にあれば熨法・導引・飲薬せよ。この筋が折れ捩れること甚だしければ死証で不治。名づけて孟秋(=10月)痹という。


足厥陰の筋は大指の上より起こり、内踝の前に上結し脛を上循して内輔の下に上結し、陰股を上循し陰器に結して諸筋に結絡する。その病は足大指が支り内踝の前が痛み、内輔が痛み陰股が痛み、転筋して陰器が用いられず、内に傷つくと起たず、寒に傷つくと弛んで収縮しなくなる。治は行水にて陰気を冷やすにあり、その筋を病めば燔針で劫刺するにあり、知るをもって数となし、痛みをもって輸となせ。名づけて季秋(=9月)痹という。


手太陽の筋は小指の上に起こり、腕上に上結して臂内廉を循り、肘内兌骨(=上腕骨内側上顆)の後に結し弾くと小指の上に響くところであり、腋下に上入して結し、その支は後から腋後廉に走り肩甲を上繞し頸を循り、足太陽の筋前に出て耳後の完骨に結し、その支は耳中に入り、その直は耳上に出て頷に下結し、耳外眥に上属する。その病は手小指が支り痛み、肘内兌骨後廉が痛み、臂陰を循り腋下に入って腋下が痛み腋後廉が痛み、肩を繞り肩甲から頸に引いて痛み、耳中に応じて痛みが頷に引き、目を閉じてしばらくすると見えてくる。頸筋が急り、筋瘻・頸腫となるのは寒熱が頸にある場合である。治は燔針で劫刺するにあり、知るをもって数となし、痛みをもって輸となせ。腫を起こしたのは傷を兌にせよ。その支は耳を上曲して耳前を循り、外目眥に属し額に上り角に結する。その病は過ぎた所に当り支り転筋する。治は燔針で劫刺するにあり、知るをもって数となし、痛みをもって輸となせ。名づけて仲夏(=5月)痹という。


手少陽の筋は小指側の次指の端より起こり、腕に結し臂を上循して肘に結し、臑(すね)外廉を上繞し肩に上り頸に走り手太陽と合し、その支は曲頬に当って舌本に入繋し、その支は耳を上曲し耳前を循り、目外眥に属し頜(おとがい)を上乗し角に結する。その病は過ぎたる所に当って支り転筋し舌巻く。治は燔針で劫刺するにあり、知るをもって数となし、痛みをもって輸となせ。名づけて季夏(=6月)痹という。


手陽明の筋は大指側の次指の端より起こり、腕に結して臂を上循し肘外に上結し、臑を上り髃に結し、その支は肩甲を繞り脊を侠み、直は肩髃より頸に上り、その支は頬を上り鼽に結し、その直は手太陽の前に上出し、左角に上れば頭に絡し、右頷に下る。その病は過ぎたる所に当って支り痛み、転筋し肩が挙がらず、頸は左右に視ることができなくなる。治は燔針で劫刺するにあり、知るをもって数となし、痛みをもって輸となせ。名づけて孟夏(=4月)痹という。


手太陰の筋は大指の上に起こり、指を循り上行して魚後に結し、寸口の外側を行り臂を上循して肘中に結し、臑内廉を上り腋下に入り缺盆に出て肩の前髃に結し、缺盆に上結し、胸裏に下絡し賁(=膈)を散貫し賁下に合し、季肋に下抵する。その病は過ぎたる所に当って支り転筋して痛み、それが息賁を成すと脇が急り吐血する。治は燔針で劫刺するにあり、知るをもって数となし、痛みをもって輸となせ。名づけて仲冬(=11月)痹という。


手心主の筋は中指より起こり、太陰の筋と並行して肘内廉に結し、臂陰を上り腋下に結し、前後に下散して腋を侠み、その支は腋に入り胸中に下散し賁に結する。その病は過ぎたる所に当って支り転筋し、胸痛し息賁となる。治は燔針で劫刺するにあり、知るをもって数となし、痛みをもって輸となせ。名づけて孟冬(=10月)痹という。


手少陰の筋は小指内側より起こり、兌骨(=尺骨茎状突起)に結し肘内廉に上結し、腋に上入し太陰と交わり乳裏に伏し、胸中に結し賁を循り、臍に下繋する。その病は内に急り、心は伏梁を承け下は肘網となる。その病は過ぎたる所に当って支り転筋し筋痛する。治は燔針で劫刺するにあり、知るをもって数となし、痛みをもって輸となせ。伏梁を成し膿血を唾せば死証であり不治。経筋の病では寒によれば筋が急り、熱によれば弛緩して縮まず陰痿となり用いられなくなる。陽が急ると反折し、陰が急ると伏せても伸ばせなくなる。焼針で刺すのは寒による急りを刺すのであって、熱は筋が緩むので燔針は用いられない。名づけて季冬(=12月)痹という。足陽明と手太陽の筋が急ると口・目がゆがみ、目眥が急り卒視できなくなる。治はみな右方のごとし。



2022-03-17

【黄帝内経太素13-2 骨度】

脈度では脈の長短を言い、骨節の大小・広狭・長短を測って定める。


身長7尺5寸の者では、頭の大骨(=頭蓋骨)の囲(まわり)は2尺6寸、胸の囲は4尺5寸、腰の囲は4尺2寸、髪が覆う所、前頭部から項に至る長さ1尺2寸、髪際から下頤に至る長さ1尺、君子は3折(面を天・人・地に3等分)、結喉(=喉頭隆起)から缺盆中(=胸骨上縁)に至る長さ4寸、缺盆中から𩩲骬(かつう=剣状突起)に至る長さ9寸、過は肺が大で不満は肺が小、𩩲骬から天枢に至る長さ8寸、過は胃が大で不満は胃が小、天枢から横骨(=恥骨)に至る長さ6寸半、過は廻腸(=大腸)が広長で不満は短、横骨の長さ6寸半、下って内輔(=大腿骨内顆)上廉に至る長さ1尺8寸、内輔上廉から下廉に至る長さ3寸半、内輔下廉から内踝に至る長さ1尺3寸、内踝から地に至る長さ3寸、膝膕(=膝窩)から跗属(ふしょく=踵骨上縁)に至る長さ1尺6寸、跗属から地に至る長さ3寸、ゆえに骨囲の大は大過で小は不及。


角から柱骨に至る長さ1尺、腋中を行って見えない長さ4寸、腋中から季脇(=季肋)に至る長さ1尺2寸、季脇から脾枢に至る長さ6寸、髀枢から膝中に至る長さ1尺9寸、膝中から外踝に至る長さ1尺6寸、外踝から京骨に至る長さ3寸、京骨から地に至る長さ1寸、耳後の完骨の広さ9寸、耳前の耳門の広さ1尺3寸(頭蓋骨2尺6寸の残り4寸の半分の2寸が完骨から耳門に至る長さ)、両顴(=頬骨)の間7寸、両乳の間9寸半、両髀の間6寸半、足の長さ1尺2寸、広さ4寸半、肩から肘に至る長さ1尺7寸、肘から腕に至る長さ1尺2寸半、腕から中指本節に至る長さ4寸、本節から末に至る長さ4寸半、項髪から膂骨に至る長さ3寸半、膂骨から尾骶に至る21節の長さ3尺、節の長さは1寸4分と余り1(2/7)、ゆえに上7節は9寸8分と余り7(2/7×7=2分)、合計で1尺。


経絡が身にあるのを視るに、その浮・堅の脈に、明・大が現れると多血、細・沈が現れると少気である。



2022-03-18

【黄帝内経太素13-3 腸度】

穀が従(めぐ)る所の出入・浅深・遠近・長短の度は、脣より歯に至る長さは9分、口の広さは2寸半、歯から会厭(=喉頭蓋)に至る深さは3寸半、大きさは5合を客(い)れ、咽の大きさは2寸半、長さは1尺6寸、胃は紆曲し屈しており伸ばすと2尺6寸、周囲は1尺5寸、径は5寸、太さは3斗を容(い)れ、小腸は後で脊に附き左環・葉積し、その廻腸(=大腸)に注ぐところは臍の上で、外に附き廻運・還反すること16曲、周囲2寸半、径8分少半(=3分の1)、長さ3丈2尺、廻腸は臍に当って左環・廻周・葉積して下り、廻運・還反すること16曲、周囲4寸、径1寸少半、長さ2丈1尺、広腸(=S字結腸から直腸まで)は脊に附いて廻腸を受け、左環・葉積し上下に辟(つ)き、周囲8寸、径2寸大半(=3分の2)、長さ2尺8寸、腸・胃の入る所から出る所までの長さが6丈4寸4分、その廻曲・環反すること32曲である。


黄帝:人が食べないと7日で死ぬのは何故か?

伯高:胃の周囲は1尺5寸、径5寸、長さ2尺6寸、横屈し受けることと3斗、その中の穀が留まるのは2斗、水1斗で満る。上焦は気を洩らし、その精微・剽悍・滑疾なるを出し、下焦は諸腸を下漑する。小腸の周囲2寸半、径8分少半(3分の1)、長さ3丈2尺、受けること1斗3合、合の太半、すなわち穀が4升、水が6升3合、合の太半、廻腸の周囲4寸、径は1寸少半、長さ2丈1尺、受けること1斗7升、升の半、すなわち穀が1斗、水が7升半、広腸の周囲8寸、径は2寸太半、長さは2尺8寸、受けること9升3合8分合の1、腸・胃の長さは全体で6丈4寸4分、水穀を受けること6斗6升6合8分合の1。胃が満ちると腸は虚し、腸が満ちると胃が虚し、相互に満ち虚す。ゆえに気が上下し、五蔵が安定し、血脈が和利し、精神が居す。神は水穀の精気である(水穀が尽きると神が亡ぶ)。ゆえに、腸・胃の中には穀が2斗4升、水が1斗1升常留し(受ける水穀6斗6升6合8分合の1をその満・虚によって人にあるのを測れば常に3斗5升をもつ)、平人は日に2度大便をし、1度に2升半、1日で5升、7日で5×7=3斗5升、これで留っていた水穀が尽きる。ゆえに平人で7日間飲食しないと水穀の精気・津液が皆尽きて死ぬのである。



2022-03-19

【黄帝内経太素13-4 脈度】

手の六陽は手より頭に至るまで5尺、5×6で3丈。手の六陰は手より胸中に至るまで3尺5寸、3×6で1丈8寸、5×6で3尺、しめて2丈1尺。足の六陽は足より頭に至るまで8尺、6×8で4丈8寸。足の六陰は足より胸中に至るまで6尺5寸、6×6で3丈6尺、5×6で3尺、しめて3丈9尺。蹻脈は足より目に至るまで7尺5寸、2×7で1丈4尺、2×5で1尺、しめて1丈5尺。督脈・任脈は各4尺5寸、2×4で8尺、2×5で1尺、しめて9尺。すべてを合わせると16丈2尺。これが気の之(めぐ)る大経隧である。


経脈を裏といい、支で横を絡といい、絡の別を孫絡という。鬱血は疾(すみや)かに除去し、盛はそれぞれを瀉し、虚は飲薬して補す。



2022-03-20

【黄帝内経太素14-1 死生脈形】

九針の要道


(天地の至数と死生の決診)

天地の至数は一から始まり九で終る。一は天、二は地、三は人、よって3×3で九野に応じる。人にも三部(上部・中部・下部)があり、部にそれぞれ三候(天・地・人)があり、死生を決し、百病を処し、虚実を調え、邪疾を除く。


(三部九候)

下部(膈より下)の天で肝を候(うかが)い、地で腎を候い、人で脾・胃の気を候う。

中部(胸中)の天で肺を候い、地で胸中の気を候い、人で心を候う。

上部(頭)の天で頭角の気を候い、地で口歯の気を候い、人で耳目の気を候う。


(九野)

人の九野は九蔵に当り、神蔵が五つ、形蔵が四つ(頭角・口歯・耳目・胸中)で九蔵という。五蔵が敗するとその色が夭(よう=暗)になり、夭になると必ず死に至る。


(診候)

必ず先に形の肥痩を度(はか)って、その気の虚実を調え、実は瀉し虚は補すのであるが、その前に血絡中の鬱血を去り、しかる後に調えるべきである。


(死生を決する10候)

① 形盛・脈細・少気で息が足りないのは危うい。

② 形痩・脈大で胸中が多気なのは死ぬ。

③ 形・気が相得(形盛・気盛または形痩・気細)れば生きる。

④ 参伍(形・気が時より相得たり得なかったり)して不調なのは病む。

⑤ 三部九候が皆相失すれば死ぬ。

⑥ 上下左右(頭、足、手の左右)の脈が交互に起きたり止まったりして碓を舂(つ)くようなのは病が甚だしい。

⑦ 上下左右が相失し、変動して数えられないのは死ぬ。

⑧ 中部の候が調っているが、上下の諸蔵の脈と相失していれば死ぬ。

⑨ 中部の候が相減じた場合も死ぬ。

⑩ 目が内側に陥んだ場合も死ぬ。


(病の所在を知る18候)

① 九候を察し、一つだけ少であれば病である。

② 九候を察し、一つだけ大であれば病である。

③ 九候を察し、一つだけ疾であれば病である。

④ 九候を察し、一つだけ遅であれば病である。

⑤ 九候を察し、一つだけ熱であれば病である。

⑥ 九候を察し、一つだけ寒であれば病である。

⑦ 九候を察し、一つだけ陥であれば病である。

⑧ (内)踝の上五寸を左手で押さえ、右手で(内)踝を弾き、左手の下が需(やわら)かく調動すれば病はない。

⑨ 弾いたあと左手の下の動きが盛んで不調であれば病である。

⑩ 弾いたあと左手の下の動きが微弱、響きが五寸に至らない、あるいは全く響かない場合は死である。

⑪ 脱肉して身が弱り歩けない場合は死である。

⑫ 中部に乍(にわか)に粗・数の脈が現れると死である。

⑬ その脈が代・鉤は病が絡脈にある。

⑭ 九候のうち1候のみに後れがあれば病である。

⑮ 九候のうち2候に後れがあれば病が甚だしい。

⑯ 九候のうち3候に後れがあれば病が危うい。

⑰ 先に経脈を知り後に病脈を知り、真蔵の脈だけで胃気の柔らかさがなければ死である。

⑱ 足太陽《膀胱》の気絶は、足の屈伸ができず戴眼して死ぬ。


(七診)

① 九候の脈がみな沈・細・懸絶であるのは陰であり、冬を主るので夜半に死ぬ。

② 九候の脈がみな盛・躁・喘数であるのは陽であり、夏を主るので日中死ぬ。

③ 寒熱は早朝に死ぬ。

④ 熱中および熱病は日中に死ぬ。

⑤ 風病は夕方に死ぬ。

⑥ 水病は夜半に死ぬ。

⑦ その脈が乍に粗、乍に数、乍に遅、乍に疾は、日が四季に乗じて(=甲・乙の日に)死ぬ。形肉がすでに脱しておれば九候が調っていても死ぬ。


七診が現れても九候がみな順であれば死ぬことはない。これは風気の病および経間の病であって、七診の病に似て非なる場合である。もし、七診の病でその脈候も敗していれば死であり、噦・噫を発する。


病が始まった時に病んだ所と今まさに病んでいる所を審問し、しかる後、その脈を切循し、その経絡の浮沈を視、上下・逆順になでて、その脈が疾であれば病はなく、その脈が遅であれば病であり、脈が往来しないと死である。


(治療可能な病)

・経病はその経を治し、孫絡病はその孫絡を治し、血病で痛みがあればその経と絡を治す。

・真病には奇邪(その経の片方の大絡)があり、奇邪の脈に繆刺を行い、左右を平均化する。

・久しく痩せている病人には急刺してはならず、節約して刺すべし。上実下虚には、経絡脈を切診して探り、血を出して通じさせる。

・瞳子が高いのは太陽の不足であり、戴眼は太陽の絶であり、みな死生にかかわる病であるから、よく診察し、手指、手外踝上五寸、指間に留針すべし。


上部の天は両額の動脈

上部の地は両頬の動脈

上部の人は耳前の動脈

中部の天は手太陰《肺》

中部の地は手陽明《大腸》

中部の人は手少陰《心》

下部の天は足厥陰《肝》

下部の地は足少陰《腎》

下部の人は足太陰《脾》



2022-03-21

【黄帝内経太素14-2 四時脈形】

脈の大要と天下の至数


春脈は肝脈であり、東方の木であり、万物が始生する所以である。その気が来ること濡弱・軟虚で滑、端直で長、ゆえに“弦”という。これに反するは病である。気が来ること実・強、これを大過といい病が外にある。気が来ること不実・微、これを不及といい病が中にある。大過は人をして喜忘せしめ、忽忽として眩冒・癲疾し、不及は人をして胸痛して背に引かしめ、両脇下の胠が張る。


夏脈は心脈であり、南方の火であり、万物が盛長する所以である。その気が来ること盛、去ること衰、ゆえに“鈎”という。これに反するは病である。気が来ること盛、去ることも亦盛、これを大過といい病が外にある。気が来ること不盛、去ること反って盛、これを不及といい病が中にある。大過は人をして身熱、骨痛せしめ、進行し、不及は人をして煩心せしめ、唾を噬(か)み、広腸からガスが出る。


秋脈は肺脈であり、西方の金であり、万物の収する所以である。その気が来ること軽虚・浮で急、去ること皆散、ゆえに“浮”という。これに反するは病である。気が来ること毛で中央が堅、両傍が虚、これを大過といい病が外にある。気が来ること毛で微、これを不及といい病が中にある。大過は人をして気逆、背痛せしめ、温温然たり、不及は人をして喘呼、欬、上気せしめ、唾に血が混じり、胸音が聞こえる。


冬脈は腎脈であり、北方の水であり、万物の蔵する所以である。その気が来ること沈で搏、ゆえに“営”という。これに反するは病である。気が来ること弾石のごとき、これを大過といい病が外にある。気が去ること毛のごとき、これを不及といい病が中にある。大過は人をして解〔人亦〕、腹痛、少気せしめ、言うを欲せず、不及は人をして心が吊るされたように飢を病ましめ、脊中痛み、少腹張り、小便が変色する。


脾は土であり、孤蔵にして四傍に灌ぐ。脈は善ければ現れず、悪しければ現れる。その来ること水流のごとき、これを大過といい病が外にある。その来ること鳥の啄むがごとき、これを不及といい病が中にある。大過は人をして四肢を挙げられなくし、不及は人をして九竅を不通にせしめ、名づけて重強という。



2022-03-22

【黄帝内経太素14-3 真蔵脈形】

大骨枯槁し大肉陥下し、胸中気満し喘息不便、その気が形を動ずれば六カ月を期として死ぬ。真蔵が見(あらわ)れたならば死期を予測せよ。


大骨枯槁し大肉陥下し、胸中気満し喘息不便、内痛し肩・項に引けば一カ月を期として死ぬ。真蔵が見(あらわ)れたならば死期を予測せよ。


大骨枯槁し大肉陥下し、胸中気満し喘息不便、内痛し肩・項に引き、身熱・脱肉・破肉すれば、真蔵が見れるも十カ月以内に死ぬ。


大骨枯槁し大肉陥下し、肩随内消し動作衰えを益せば、真蔵は未見なりとも一年を期として死ぬ。その真蔵が見れたならば死期を予測せよ。


大骨枯槁し大肉陥下し、胸中気満し肉痛し中不便、肩・項・身熱し破肉・脱肉し目の際陥没し、真蔵が見(あらわ)れ目で人が見えなくなれば立ちどころに死ぬ。それでも人が見えれば不勝所(=土)の時に至って死ぬ。


急虚身、卒至し、五蔵が絶閉し脈道が不通となり、気が往来せずに尿意がなくなっても死期となすことはできない。その脈が絶して来なくなり、しかも一息に五・六至ることがあれば、その形肉が脱することなく真蔵が見れなくとも死ぬ。


真肝脈が至り、中外とも急なること刀刃をなでるがごとく清清然として、瑟弦を按ずるごとく色青白にして沢(つや)なく毛が折れると死ぬ。


真心脈が至り、堅で揣(し)なること小珠をなでるがごとく累累然として、その色赤黒にして沢なく毛が折れると死ぬ。


真肺脈が至り、大で虚なること羽毛が人の膚にあたるがごとき様で、その色赤白にして沢なく毛が折れると死ぬ。


真腎脈が至り、揣で絶なること弾石をなでるがごとく辟辟然として、その色黄黒にして沢なく毛が折れると死ぬ。


真脾脈が至り、弱でたちまち疏たちまち数然として、その色青黄にして沢なく毛が折れると死ぬ。


諸々の真蔵が見れると皆死であり、不治。



2022-03-23

【黄帝内経太素14-4 四時脈形】

形・気が相得ていれば可治、脈・色が沢で浮なれば易已、脈が四時に順(したが)っていれば可治、脈が弱で滑であれば胃気があるので易治といい、治療には時を以てせよ。


形・気が相失するを難治、色が夭(くら)く沢(つや)やかでないのを難已、脈が実で堅を益甚、脈が四時に逆するを不治といい、必ず四難を察して明らかに告げよ。治療に時を以てすることができないからである。


四時に逆すとは、春に肺脈、夏に腎脈、秋に心脈、冬に脾脈を得ることであり、すでに懸絶・沈濇であるのは逆四時で、未だ病蔵の真臓脈が有(あらわ)れていなくても治療できない。春夏に脈が沈・濇、秋冬に浮・大、病熱に脈が寒・静、洩て脈が大、脱血で脈が実は病が中にあり、脈が実・堅は病が外にあり、実・堅になっていないのは難治であり、逆四時という。


【四時の脈の変動】

万物の外、六合の内では、天地とともに変じ陰陽に応じ、春は暖、夏は暑、秋は急、冬は怒となり、四変の動とともに脈も上下する。


【病の所在】

春の応は規に中(あた)り、夏の応は矩に中り、秋の応は衡に中り、冬の応は権に中る。ゆえに冬至より45日は陽気が微上し陰気が微下し、夏至より45日は陽気が微下し陰気が微上し、陰陽に時があり脈にも期がある。期が相失するときに脈の分を知っておれば、分には期があるので死期が分かる。


【病の所変】

脈の微妙を察するには紀を察する必要がある。紀は陰陽より始まり、陰陽の本始に十二経脈があり、十二経脈は五行から生ずる。生ずるに度があって、四時が数(きまり)となる(春に木より足厥陰・足少陽を生じ、夏に火より手少陰・手太陽・手厥陰・手少陽を生じ、季夏に土から足太陰・足陽明を生じ、秋に金から手太陰・手陽明を生じ、冬に水から足少陰・足太陽を生ずる)。数に従い失することがなければ、天地とともに一の如くであり、一の誠を得れば死生が知(わか)る。ゆえに声は五音に合し、色は五行に合し、脈は陰陽に合するのである。


【病の夢診】

陰盛は大水を渉り恐懼を夢み、陽盛は大火を渉り燔灼を夢み、陰陽ともに盛は相殺・毀傷を夢み、上盛は飛揚を夢み、下盛は堕墜を夢み、甚だしく飽食すれば与えることを夢み、甚だしく飢餓すれば取ることを夢み、肝気の盛は怒を夢み、肺気の盛は哀を夢み、短虫が多ければ衆(あつま)りを夢み、長虫が多ければ相撃ち破傷するを夢みる。ゆえに、脈を保持するには道があり、虚・静を保つべきである。


【病が外または内にある場合】

春日は浮で魚が泳ぐが如く皮にあり、夏日は膚にあり、沈沈乎として万物は有余し、病は外にある。秋日は膚より下り、蟄虫がまさに去るが如く、冬日は骨にあり、蟄虫は固密し君子は居室するが如くであり、病は内にある。内を知るには按じて紀の如くし、外を知るには終わって始まるが如くせよ。


春に秋脈を得、夏に冬脈を得、秋に春脈を得、冬に夏脈を得、陰を出て陽に行き善く度すれば不治であり、これらを五邪といい、皆同じく死病である。



2022-03-24

【黄帝内経太素14-5 人迎脈口診】

寸口は中(=五蔵)を主り、人迎は外(=六府)を主り、両者は相応じてともに往き来し、縄を引くがごとく小・大が等しく、春夏は人迎が微大であり秋冬は寸口が微大、このようである者を平人という。


(㊟本書の注釈者・楊上善によると、“寸口”とは両手太陰肺経の寸口・尺中の拍動部のことであり、人迎とは頸の任脈両傍にある足陽明胃経の大動脈拍動部のことであり、左手の寸口を人迎、右手の関上を寸口と呼ぶのは間違い!!!)


人迎が寸口より大なること一倍(=2倍)は病が少陽にあり、二倍(=3倍)は太陽、三倍(=4倍)は陽明にある。盛は熱であり、虚は寒であり、緊は痛痹であり、代(脈が途絶えること)では病が急に甚だしくなったり軽くなったりする。盛は瀉し、虚は補し、緊で痛みがあれば分肉に取り、代は血絡を取って且つ飲薬せしめ、陥下は灸し、不盛・不虚は自経をもちいて取る、これを経刺という。人迎が四倍(=5倍)で且つ大・数であるのを外格といい、死であり不治である。


寸口が人迎より大なること一倍は病が厥陰にあり、二倍は少陰、三倍は太陰にある。盛は脹満・寒中し食が化せず、虚は熱中・下痢・少気して溺色が変じ、堅は痹であり、代では急に痛みが出たり止んだりする。盛は瀉し、虚は補し、緊は先に刺し後で灸し、代は血絡を取って洩し、陥下はもっぱら灸せよ。陥下は脈血が中で結し、着血して血寒があること、ゆえに灸が宜しい。不盛・不虚には自経を取れ。寸口が四倍であるのを内閣といい、内閣は大で且つ数であるので死あるのみ、不治である。


必ずその本末の寒温を察してその蔵府の病を験し、その栄輸(=兪穴)を通じてから大数にうつる。大数とは盛をもっぱらに刺し、虚はもっぱらに補すことをいう。緊は灸・刺し且つ飲薬せしめ、陥下はもっぱら灸し、不盛・不虚は自経をもちいて取れ。経治の場合も飲薬せしめ、また灸・針せよ。脈が急であれば引いて邪を除き、脈が代・弱は安静がよい。


脈口(=寸口)を切するに滑・小・緊で沈は、その病は甚だしさを益しており中(=五蔵)にあり、人迎の気が大・緊で浮は、その病は甚だしさを益しており外(=六府)にある。脈口が滑で浮は病が日に日に癒え、人迎が沈で滑も病が日に日に癒える。脈口が滑で沈は病が日に日に進み内(=五蔵)にあり、人迎が滑・盛で浮は病が日に日に進み外(=六府)にある。


脈の浮・沈および人迎と寸口の気の小・大が等しいのは、その病は癒え難い。病が蔵にあり沈で大は癒えやすく、小は逆である。病が府にあり浮で大は癒えやすい。人迎が盛・緊は寒に傷ついたのであり、脈口が盛・緊は食飲に傷ついたのである。


営気は一日一夜で五十営して五蔵の精を営するが、五十に至らない場合を狂生という。脈口で数えて、五十動で一つも代でないのは五蔵がみな気を受けていて、常という。四十動で一つ代があれば一蔵に気がなく、三十動で一つ代であれば二蔵に気がなく、二十動で一つ代であれば三蔵に気がなく、十動で一つ代であれば四蔵に気がなく、十動に満たずに一つ代であれば五蔵に気がなく、死期が近い。


終始とは経脈を紀とすることであり、その脈口・人迎で陰陽の有余・不足、平と不平とを知れば天道を全うできる。平人とは不病のことであり、不病とは脈口・人迎が四時に応じ、上下が相い応じてともに往き来し、三陰三陽の六経の脈が結することなく動き、本末の寒・温がともに守司し、形肉・気血が相い整うことであり、これを平人という。


少気とは脈口・人迎がともに少で尺・寸が整ってないことである。このようなのは陰・陽がともに不足しており、陽を補せば陰が尽き、陰を瀉せば陽が脱(ぬ)ける。このような場合には甘薬を用いるべきで、癒えなくても整うようにすべきである。灸をして癒えないことはない。瀉せば五蔵の気が壊れてしまう。


人迎の一盛は病が足少陽にあり、一盛で躁は手少陽にある。人迎の二盛は病が足太陽にあり、二盛で躁は手太陽にある。人迎の三盛は病が足陽明にあり、三盛で躁は手陽明にある。人迎の四盛且つ大・数を溢陽といい、外格ともいう。脈口の一盛は病が足厥陰にあり、一盛で躁は手心主にある。脈口の二盛は病が足少陰にあり、一盛で躁は手少陰にある。脈口の三盛は病が足太陰にあり、三盛で躁は手太陰にある。脈口の四盛且つ大・数を溢陰といい、内閣ともいう。内閣して不通となれば死であり、不治である。人迎と太陰の脈口がともに盛なること四倍以上を関格といい、死期が近い。


人迎の一盛は足少陽を瀉して足厥陰を補すこと二瀉、一補して、日に一度行い、必ず切診して効果を験し、躁は上(=手の脈)に取り、気が和せば止める。人迎の二盛は足太陽を瀉して足少陰を補すこと二瀉、一補して、日に一度行い、気が和せば止める。人迎の三盛は足陽明を瀉して足太陰を補すこと二瀉、一補して、日に二度行い、必ず切診して効果を験し、躁は上に取り、気が和せば止める。


脈口の一盛は足厥陰を瀉して足少陽を補すこと二補、一瀉して、日に一度行い、必ず切診して効果を験し、躁は上に取り、気が和せば止める。脈口の二盛は足少陰を瀉して足太陽を補すこと二補、一瀉して、日に一度行い、必ず切診して効果を験し、躁は上に取り、気が和せば止める。脈口の三盛は足太陰を瀉して足陽明を補すこと二補、一瀉して、日に二度行い、必ず切診して効果を験し、躁は上に取り、気が和せば止める。日に二度取るわけは、太陰が胃を主り穀気にはなはだ富んでいるからである。


人迎・脈口がともに盛なること三倍以上を陰陽俱溢といい、このような場合は針して開かないと血脈が閉塞して気が行(めぐ)らず、中に流淫し五蔵が内傷する。灸は不可。およそ、刺の道では気調して止むまで補陰・瀉陽すべきで、そうすれば音・気が章らかとなり耳目が聡明となる。これに反すれば気・血が身中を行らなくなる。


気が至れば有効である。瀉せば虚をもたらす。虚してくれば脈の大きさはもとに戻り、堅さがなくなってくるはずで、堅さが元のままだと、快くはなっても病は未だ去ってはいない。補せば実をもたらす。実してくれば脈の大きさはもとに戻り、堅さが益してくるはずで、大きさが元のままで堅くなっていないと、快くはなっても病は未だ去ってはいない。ゆえに、補して実し、瀉して虚せば、痛みが去っていなくても、いずれ病は去る。


必ず十二経脈の所生する病を通じさせて、しかる後に病を終える。ゆえに、陰陽が相移ることなく、虚実が相傾くことがない場合は、その経脈を取ればよいのである。



2022-03-25

【黄帝内経太素15-1 色脈診】

上古の仙人・貨季(たいき)が色脈を理(おさ)めて神明に通じ、金木水火土、四時、陰陽、八風、六合の物の変化の常道に合し、色脈の深妙な働きの要点を明らかにした。色は日(陽)に応じ脈は月(陰)に応じる。病人の死生を観る要は色脈を知ることにある。


色脈の変化は四時の勝(=和気)に応じている。治の要極は脈・色を失わないことであり、これを用いるのに惑わないのが治の大則である。逆・順を倒行し、標・本が得られなければ神(=生命)を亡ぼし、国を失う。治は一に極まる。一とは神を得ることであり、神を得るとは病を問うてその意を得ることであり、その意を得、病人の意に順って神の意を得れば、死を去り、生を得ることができる。


客色は上下・左右に見(あらわ)れ、それぞれの要処に病がある。色が浅い場合は湯液の主治するところ十日で癒え、深い場合は必斉(ひつせい、複数の湯液)の主治するところ二十一日で癒え、大深である場合は醪酒(ろうしゅ、薬酒)の主治するところ百日で癒える。色が夭(くら)く、面が鋭(とが)っていれば不治である。大深で百日を経ても脈短で気絶すれば死であり、病温でも脈短で気絶すれば必ず死ぬ。色が要(病の見れた場所)の上下・左右にあり、上は逆、下は順である。女子の場合、右は逆、左は順であり、男子の場合、左は逆、右は順である。


重陽は死であり、重陰も死である。陰・陽が反他すれば病であり、治は権衡相奪(=補瀉)にあり、奇恒(偏りを正す)、揆度(病の深さをはかる)を事とする。拍脈の痹辟(相去らない)は寒熱の交わりであり、脈の孤(独見)は消癉(厥陰のない病)であり、虚は洩・脱血であり、孤は逆であり、虚は順である。奇恒の法を行うには、手太陰(肺)の気を始めとし、不勝の所を行なえば逆で、死を招き、勝の所を行なえば順で、生かすことができる。八風・四時の勝が終わり復た始まれば生だが、逆行一過すれば死である。


診病の始めは五決(五蔵の脈)を紀とし、その母を先ず建てる。よって、頭痛・癲疾は下虚・上実であり、過は少陰・巨陽(=太陽)にあり、甚だしければ腎に入る。眩冒・招尤し目瞑・耳聾するは下実・上虚であり、過は少陽・厥陰にあり、甚だしければ肝に入る。腹満テン脹して胠(脇下)を支高し下厥(冷える)・上冒(眩む)するは過が太陰・陽明にある。欬嗽・上気し厥(逆気)が胸中にあるは過が手の陽明・太陰にある。心煩・頭痛し病が膈中にあるのは過が手の巨陽・少陰にある。脈の大小・滑濇・浮沈は指で判別でき、五蔵の象は類(=脈)で推測でき、音、色、脈の三者を合すれば万全である。


Ø 赤脈(心の脈)が至り喘で堅の場合、積気が中にあり、時に食を害することがあるのを心痹といい、外を病み思慮して心虚したため邪を得たのである。


Ø 白脈(肺の脈)が至り喘で浮の場合、上虚下実で驚し積気が胸中にあり、喘して多呼吸となるのを肺痹・寒熱といい、酒に酔って入房したために邪を得たのである。


Ø 黄脈(脾の脈)が至り大で虚の場合、積気が腹中にあり、厥気が起こるのを厥疝といい、女子も同様で、四肢を使い過ぎて汗が出て風に当ったために邪を得たのである。


Ø 青脈(肝の脈)が至り長で左右に弾の場合、積気が心下にあり、胠(脇下)が突っ張るのを肝痹といい、寒・湿からの邪を得たのであり、疝と同様、腰痛・足の冷え・頭痛を起こす。


Ø 黒脈(腎の脈)が至り上堅で大の場合、積気が腹中と陰にあるのを腎痹といい、冷水に沐浴して臥したために邪を得たのである。


およそ五色の奇脈が現れても、面黄で目が青、赤白、白、黒ならば死ぬことはない。面青で目赤、面赤で目白、面青で目黒、面黒で目白、面赤で目青は皆死である。



2022-03-26

【黄帝内経太素15-2 色脈尺診】

邪に虚邪と正邪がある。虚邪は八虚の邪風で、虚邪が人に中ると田の洫(みぞ)を水が逆流するがごとき形が現れる。正邪は四時の風で、正邪が人に中ると色に微かに出る程度で分かりにくい。


黄帝:その色を見てその病を知るを“明”といい、その脈を按じてその病を知るを“神”といい、その病を問うてその処を知るを“工”という。


岐伯:その色脈と尺(前腕の皮膚)は槌と鼓のように互いに影響し合う。根が枯れると葉も枯れるように、色脈と形肉(尺の皮膚)は相失することはない。ゆえに一つ(問診のみ)を知るを“工”といい、二つ(問診と脈診)を知るを“神”といい、三つ(問診・脈診・察色)を知るを“神明”という。


色の青は脈が弦、色の赤は脈が鈎、色の黄は脈が代、色の白は脈が毛、色の黒は脈が石。その色が現れてもその脈が得られず、かえって相勝の脈(例えば青色で毛脈)を得れば死であり、相生の脈(例えば青色で石脈)を得ればその病は癒せる。


五色・五脈を判定すると病を鑑別でき、脈の緩急・大小・滑濇を調べると病変が定まる。脈の急は尺の皮膚も急、脈の緩は尺の皮膚も緩、脈の小は尺の皮膚も減で小気、脈の大は尺の皮膚も賁で起、脈の滑は尺の皮膚も滑、脈の濇は尺の皮膚も濇であり、よく尺を調べると寸口に頼る必要はなく、よく脈を調べると色に頼る必要はない。


三つを合わせて行う者を“上工”といい、十に九を全うする。二つを行なう者を“中工”といい、十に七を全うする。一つを行う者を“下工”といい、下工でも十に六を全うする。



2022-03-27

【黄帝内経太素15-3 尺診】

黄帝:尺を調べるだけで病を診断するにはどうするのか?

岐伯:その尺の緩急・小大・滑濇、肉の堅脆を審らかにすれば病形が定まります。


眼瞼を見ると少し腫れており、寝起きのようであり、頸脈(=人迎)が動であるのが一目でわかり、時に咳をし、その手足を圧(お)すと深まったままで起きてこないのは、風水の膚脹である。


Ø 尺が湿で光沢があるのは風

Ø 尺肉の弱は身体がだるく安臥を好み、脱肉は寒熱で不治

Ø 尺膚が滑沢で脂ぎってるのは風

Ø 尺膚の濇は風痹

Ø 尺膚が粗で枯魚の鱗の如きは水の溢飲

Ø 尺膚の熱が甚だしく脈が盛躁であるのは病湿で、その脈が盛・滑は将に汗が出んとするところ

Ø 尺膚の寒が甚だしく脈が小であれば洩・少気

Ø 尺膚が先に熱し後で寒すれば寒熱

Ø 尺膚が先に寒でしばらくすると熱してくれば寒熱の候

Ø 肘の所のみ熱すれば腰以上の熱

Ø 手の所のみ熱すれば腰以下の熱

Ø 肘前のみ熱すれば膺前の熱

Ø 肘後のみ熱すれば背の熱

Ø 臂中のみ熱すれば腰・腹の熱

Ø 肘後の粗が三・四寸下るのは腹中に虫あり

Ø 掌中の熱は腹中の熱、掌中の寒は腹中の寒

Ø 魚上の白肉に青い血脈があれば胃中に寒あり

Ø 尺が熱し人迎が大であれば脱血

Ø 尺が堅・大なのに脈が小で、甚だしい少気・悶えが加わると死である



2022-03-28

【黄帝内経太素15-4 尺寸診】

人の一呼に脈が二動し、一吸に脈が二動するのを平人といい、病んでない人のことをいう。人の一呼に脈が一動し、一吸に脈が一動するのを少気といい、人の一呼に脈が三動し、一吸に脈が三動すると躁であり、かつ尺が熱しておれば病温といい、尺に熱がなく脈が滑であれば風といい、濇であれば痹という。人の一呼に脈が四動すれば死といい、脈が絶で至らないのも死といい、乍ち疏で乍ち数となるのも死という。平人は常に気を胃より稟(う)けており、胃気は平人の常気であり、胃気のないのを逆といい、逆は死を意味する。


春は胃(人迎の脈)の微弦を平といい、弦が多く胃が少ないのを肝病といい、弦のみで胃のないのを死という。胃に毛があれば秋病といい、毛が甚だしいのを金病という。蔵真は肝の散じたものであり、肝は筋の気を蔵する。


夏は胃の微鈎を平といい、鈎が多く胃が少ないのを心病といい、鈎のみで胃のないのを死という。胃に石があれば冬病といい、石が甚だしいのを今病という。蔵真は心を痛ますものであり、心は血脈の気を蔵する。


長夏は胃の微柔・弱を平といい、弦が多く胃が少なく弱が多いのを脾といい、代のみで胃のないのを死という。柔・弱でも石があれば冬病といい、弱が甚だしいのを今病という。蔵真は脾より伝わるものであり、脾は肌肉の気を蔵する。


秋は胃の微毛を平といい、毛が多く胃が少ないのを肺病といい、毛のみで胃のないのを死という。毛でも弦があれば春病といい、弦が甚だしいのを今病という。蔵真は肺が高ぶって営衛を行らしているから、陰洩するのを死という。


冬は胃の微石を平といい、石が多く胃が少ないのを腎病といい、石のみで胃のないのを死という。石でも鈎があれば夏病といい、鈎が甚だしいのを今病という。蔵真は腎から下りすぎており、腎は骨髄の気を蔵する。


胃の大絡を虚里といい、膈を貫き肺を絡し左乳下に出て甚だしく動じ衣に応じる脈であり、宗気が洩れている。宗気が盛・喘・数・絶なのは病が中にあり、結で横なのは積があり、絶で至らないのは死という。


寸口脈の手中たりが短であると頭痛、長であると足脛痛、喘・数・絶で至らければ死である。寸口脈の手中たりが中より上撃するが如きは肩背痛であり、沈で緊であると病が中にあり、浮で盛であると病は外にあり、沈で弱は寒熱及び疝瘕・少腹痛、沈で横・堅であると胠下に積があり腹中に横積痛があり、盛・滑・堅は病が甚だしく外にあり、小実で堅は病が甚だしく内にある。


胃気があり和していれば病があっても困らない。脈の小・弱で濇は久病といい、脈の濇・浮で大・疾なのは新病といい、脈の滑を風といい、脈の緩で滑を熱中といい、脈の濇を痹といい、脈の盛で緊を脹といい、脈が陰・陽に順であれば癒えやすく、脈が陰・陽に逆して脱していれば病は癒えがたく、脈が四時に逆していれば病は癒えがたい。脈の急を疝瘕・少腹痛といい、沈で喘を寒熱という。


臂に青脈が多いのを脱血といい、尺脈の緩・濇は懈惰・安臥といい、盛を脱血といい、濇で滑だと多汗といい、尺が冷え脈が細であると後洩といい、尺が常に熱があり脈が粗であば熱中という。


肝脈が庚・辛に見れると死、心脈が壬・癸に見れると死、脾脈が甲・乙に見れると死、肺脈が丙・丁に見れると死、腎脈が戊・己に見れると死であり、このように真蔵脈が剋される時に見れると皆死である。


頸動脈が動・疾で咳嗽するのを水といい、目の上下の瞼が微腫し寝起きのようなのを水といい、目が黄色いのを黄疸といい、尿黄で安臥するを黄疸といい、食をとっても飢えるが如きを胃疸といい、面腫を風という。


女子で手少陰心経脈の動が甚だしいのは妊娠である。


脈に逆・順があり四時に未だ蔵形が現れなくても、春・夏に脈が痩せ、秋・冬に浮大となり、風熱脈が盛であるのに洩して脱血し、脈が実で病が中にあり、脈が虚で病が外にあり、脈が濇・堅であるなど、皆難治であり、四時に反する者という。


人は水穀を本とする故、人が水穀を絶つときは死であり、脈に胃気がないのも亦死である。胃気がないとは、ただ真蔵の脈を得るのみで胃気を得ていないことであり、例えば肝でも弦でなく、腎でも石でないということである。


太陽脈が至れば洪・大で長、少陽脈が至れば乍ち疏で乍ち数、乍ち短で乍ち長、陽明脈が至れば浮・大で短、これらを三陽脈という。



2022-03-29

【黄帝内経太素15-5 五蔵脈診】

肝脈は弦、心脈は鈎、脾脈は代、肺脈は毛、腎脈は石、これらを五蔵の脈という。


平心脈が来るときは累累として連珠の如く、琅玕を循(なで)るが如きで、心平という。夏は胃気が本である。病心脈が来るときは喘喘として連続し、その中が微曲しており、心病という。死心脈が来るときは前曲後居し、帯金を握るが如きであり、心死という。


平肺脈が来るときは厭厭聶聶として楡莢が落ちるが如くであり、肺平という。秋は胃気が本である。病肺脈が来るときは上でもなく下でもなく、鶏羽を循るが如きであり、肺病という。死肺脈が来るときは物が浮かんでいるが如く、風が毛を吹くが如くであり、肺死という。


平肝脈が来るときは濡弱招招として長竿を掲げるが如きで、肝平という。春は胃気が本である。病肝脈が来るときは盈実で滑、長杵を循るが如きであり、肝病という。死肝脈が来るときは急で益勁、新しく張った弦の如きであり、肝死という。


平脾脈が来るときは和柔相離、鶏が地を踏むが如きで、脾平という。長夏は胃気が本である。病脾脈が来るときは実で盈数、鶏が足を挙げた如きであり、脾病という。死脾脈が来るときは堅雅兌、鳥の嘴の如く、鳥の距(けづめ)の如く、水の流れの如く、屋の漏れるが如きであり、脾死という。


平腎脈が来るときは喘喘累累として旬(たいら)の如きで、按ずると堅であり、腎平という。冬は胃気が本である。病腎脈が来るときは葛を引くが如くであり、按ずると益堅であり、腎病という。死腎脈が来るときは発すること奪索の如く辟辟として弾石の如きであり、腎死という。


心脈が揣堅で長は当に病で、舌巻き言不能となり、それが耎で散は当に消渇でもひとりでに治る。肺脈が揣堅で長は当に病で唾血し、それが耎で散は当に灌汗を病み、今に至るまで回復せずに散発する。肝脈が揣堅で長、色が青くなければ当に病は墜もしくは搏により血が脇下にあるためであり、人をよく喘せしめ、もし耎で散で色が沢かなのは当に溢飲であり、溢飲とは渇のために多食し肌皮・腸胃の外に移り入ったためである。胃脈が揣堅で長で色が赤ければ当に病は折髀(=腿)であり、それが耎で散は当に病は食痹・膝端骨痛である。脾脈が揣堅で長で色が黄は当に少気を病み、それが耎で散で色が沢かでなければ、当に病は足脛がむくみ水状の如きである。腎脈が揣堅で長で色が黄で赤は当に折腰を病み、それが耎で散は当に少血を病み、今に至るまで回復しない。


脈が小で色が奪(ぬ)けていないのは新病であり、脈が奪けてなくて色が奪けているのは久病である。脈と五色がともに奪けているのは久病であり、脈と五色がともに奪ていないのは新病である。


尺内の両側で季脇を候い、尺外で腎を候い、尺裏で腹中を候い、跗上で胸中を候い、前で前を候い後で後を候う。跗上は膈上であり、膈下は腹中のことである。粗・大は陰不足で陽が大いに有余しており、熱中で跗の下である。


来ること疾で去ること徐であるのは、上実・下虚のために厥癲疾を起こし、来ること徐で去ること疾であるのは、上虚下実のため悪風を起こしており、ともに沈・細・数があれば少陰の厥であり、沈・細・数・散は寒熱であり、浮で散は目揺であり、もろもろの浮で躁は皆陽にあって熱であり、右の躁は病本が左手にあり、もろもろの細で沈は皆陰にあって骨痛を起こし、それが静であると病本は足にある。


一息に三動以上あるのは病が陽脈にあって、溏洩し血便する。もろもろの過の場合、濇は陽気の有余であり、滑は陰気の有余であり、陽気有余は身熱・無汗を起こし、陰気有余は多汗・身寒を起こす。


推して外にしようとしても外にならないのは心腹の積があるからで、推して内にしようとしても内にならないのは熱があるからであり、推して上にすると上って下らないのは腰足の冷えのためで、推して下すと下って上らないのは頭項痛のためであり、按じて骨にまで至っても脈気が少ないのは腰脊痛で身寒痹があるためである。


心脈で急の甚だしいのは瘈であり、かすかに急なのは心痛であり、背に引いて食が下らない。緩の甚だしいのは狂笑であり、かすかに緩なのは伏梁であり、心下で上下し時に唾血する。大の甚だしいのは喉鳴りであり、かすかに大なのは心痹であり、背に引いて善く涙出る。小の甚だしいのはよく噦を起こし、かすかに小なのは消癉である。滑の甚だしいのはよく渇を起こし、かすかに滑なのは心疝であり、臍に引いて少腹が鳴る。濇の甚だしいのは瘖を起こし、かすかに濇なのは血溢であり、維厥となり耳鳴・癲疾を起こす。


肺脈で急の甚だしいのは癲疾であり、かすかに急なのは肺寒熱であり、怠惰・欬・唾血し腰・背・胸に引き、もし鼻に宿肉ができると不通になる。緩の甚だしいのは多汗であり、かすかに緩なのは痿・漏風であり、頭以下に汗が出て止まらない。大の甚だしいのは脛腫であり、かすかに大なのは肺痹であり、胸・背に引いて起きても日光を嫌う。小の甚だしいのは洩であり、かすかに小なのは消癉である。滑の甚だしいのは息賁であり上気を起こし、かすかに滑なのは上下で出血を起こす。濇の甚だしいのは嘔血であり、かすかに濇なのは鼠瘻であり、頸・支腋の間にあって下はその上に耐えられず、それでよく酸を好むのである。


肝脈で急の甚だしいのは悪言であり、かすかに急なのは肥気であり、脇下にあって覆杯のごとくである。緩の甚だしいのはよく嘔を起こし、かすかに緩なのは水・瘕・痹である。大の甚だしいのは内癕であり、よく嘔・衄し、かすかに大なのは肝痹であり、縮を起こして欬して少腹に引く。小の甚だしいのは多飲となり、かすかに小なのは消癉である。滑の甚だしいのは頽疝であり、かすかに滑なのは遺尿である。濇の甚だしいのは溢飲であり、かすかに濇なのは瘈であり、攣筋を起こす。


脾脈で急の甚だしいのは瘈瘲であり、かすかに急なのは膈中であり、食飲を入れても戻し下痢する。緩の甚だしいのは痿厥であり、かすかに緩なのは風痿であり、四肢が用いられなくても心ははっきりしている。大の甚だしいのは撃仆であり、かすかに大なのは疝気であり、腹に大膿血を包み腸胃の外にある。小の甚だしいのは寒熱であり、かすかに小なのは消癉である。滑の甚だしいのは頽・癃であり、かすかに滑なのは虫毒であり、回虫・条虫のための腹熱である。濇の甚だしいのは腸頽であり、かすかに濇なのは内潰であり、膿血を多く下す。


腎脈で急の甚だしいのは骨癲疾であり、かすかに急なのは沈厥であり、足が収まらず前後できなくなる。緩の甚だしいのは折脊であり、かすかに緩なのは洞であり、食が化せずに嗌を下っても戻す。大の甚だしいのは陰痿であり、かすかに大なのは石水であり、臍より起こって下り少腹に至って垂れ下り、上って胃管に至ると死である。小の甚だしいのは洞洩であり、かすかに小なのは消癉である。滑の甚だしいのは癃・頽であり、かすかに滑なのは骨痿であり、坐したままで起きることができず、起きると目が見えなくなる。濇の甚だしいのは大癕であり、かすかに濇なのは不月・沈痔を起こす。


もろもろの急は多寒、緩は多熱、大は多気・少血、小は血気が皆少なく、滑は陽気が盛でかすかに熱があり、濇は多血・少気でかすかに寒がある。ゆえに、急を刺すときは深く入れて久しく留め、緩を刺すときは浅く入れて速やかに出して熱を去る。大を刺すときはその気をかすかに瀉し、その血を出さない。滑を刺すときは速やかに針を出し、しかも浅く入れ、その陽気を瀉してその熱を去り、濇を刺すときは必ずその脈に中(あ)て、その逆順に随って久しく留め、必ず先に撫でて循らし、針を出して速やかにその傷を按じ、その血を出すことなくしてその脈を和す。もろもろの小は陰陽の形・気がともに不足しているから、針を用いることなく甘薬で調える。


肝満・腎満・肺満は皆実、皆腫である。


肺癕は喘を起こし両脇満する。肝癕は両胠満し、臥すと驚し小便が出ない。腎癕は胠下より少腹に至って満し、脛に大小ができ髀・胻が大跛しやすく偏枯となる。


心脈で満・大は癇瘛(かんせい)・筋攣である。肝脈で小・急も癇瘛・筋攣である。肝脈で驚暴するのは驚駭することがあったためで、脈が至らない若しくは瘖となってもひとりでに治る。腎脈で小・急、肝脈で小・急、心脈で鼓でないのは皆瘕(か)である。腎脈で大・急・沈、肝脈で大・急・沈は皆疝である。心脈で揣(し)・滑・急は心疝である。肺脈で沈・揣は肺疝である。脾脈で外鼓で沈は腸辟であるが、久しくしてひとりでに癒える。肝脈で小・緩は腸辟であっても治しやすい。腎脈で小・揣・沈は腸辟であり、下血・温・身熱するときは死である。心・肝による辟で下血する場合、二蔵が同病であれば治すことができるが、身熱するときは死であり、熱が出てから七日目に死す。胃脈で沈・鼓・濇、胃脈で外鼓・大、心脈で小・緊・急などは皆膈偏枯であり、男子は左に発し女子は右に発するも、瘖とならずに舌の転ずるときは治すことができる。三十日で起きることができ、順である場合は瘖となっても三年で起きることができ、歳が二十未満では三年で死す。


脈が至って揣、血衄し身熱あれば死す。脈が来ること懸・鈎・浮であるのを鼓という。脈が至って喘であるが如きを気厥といい、人の言葉が分からない。脈が至って数であるが如きは、人をして暴驚せしめるが三・四日で自ら癒える。脈が至って浮合する(数の如く一息に十以上至る)と、経気不足の徴候で、かすかに見(あらわ)れても九十日で死す。脈が至って火の新たに燃えるが如きは、心精奪の徴候で、草が乾くころ死す。脈が至って散采の如きは、肝気虚の徴候で、木葉が落ちるころ死す。脈が至って省容する(脈の寒で鼓の如き)は、腎気不足の徴候で、棗華が落下するころ死す。脈が至って丸泥の如きは、胃精不足の徴候で、楡莢の落ちるころ死す。脈が至って横格の如きは、胆気不足の徴候で、禾(いね)が熟すころ死す。脈が至って弦縷の如きは、胞精不足の徴候で、病んでよくしゃべるのは霜が降りるころに死すも、しゃべらないのは治すことができる。脈が至って交莢の如き(左右の傍に至る)は、かすかに見れても三十日で死す。脈が至って泉に浮いた鼓の如きは、胞中の太陽気不足の徴候で、少気であり、韮華を味わうころ死す。脈が至って土を踏んだ如きを按じても得られないのは、肌気不足の徴候で、五色に黒白が先んじて累発すれば死す。脈が至って懸離するが如き(浮・揣で切すると益大)は、十二輸不足の徴候で、水が凍るころ死す。脈が至って偃刀(なぎなた)の如き(浮・大・急で按ずると堅・急・大)は、五蔵が欝熱し寒熱が独り腎に集ったものであり、このようだと坐していることができず、春に至って死す。脈が至って丸の如く滑であって直でなく、手で按じても得られないのは、胆気不足の徴候で、棗葉が生じたころ死す。脈が至って華の如く、人をしてよく恐せしめ坐臥するを好まず、行立すると常聴するのは、小腸不測の徴候で、秋になって死す。




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