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蔵志





蔵志


山脇東洋(1705~1762年)は名を尚徳(たかのり)、通称道作、字を子樹といい、初め移山と号し、のち東洋と改めた。父は丹波亀山の人・清水立安で、のち、父の師・山脇玄修(はるなが)に請われ養子となり、1727年に家督を継いだ。


山脇東洋の医学における最初の師は養父・玄修で、曲直瀬道三・玄朔を始祖とする後世派の宋儒性理の説を研鑽した。養父没後は古方派の始祖・後藤艮山に師事し、実証主義の風を学び、張仲景の『傷寒雑病論』を聖典と仰ぎ、『外台秘要方』の翻刻をも行っている。そして、漢方の五臓六腑の説に疑義をもち、人体解剖の必要性を痛感した。宝暦四年(1754年)閏2月7日、京都の六角獄舎で、日本で初めての人体解剖がなされ、東洋はそれに参画した。このときの経緯および解剖図4枚が『蔵志』として刊行されている。前野良沢・杉田玄白による『解体新書』(1774年)が刊行される20年前のことである。


東洋の著書としては、『蔵志』のほかに、『養寿院医則』、『東門随筆』などがある。『蔵志』は漢文で書かれているが、一部読み下したものを以下に記す。


蔵志並び付録乾之巻

監官 平安 山脇尚徳著 男 侃校


蔵志

医の古を称するに、素問、首を為し、霊枢・難経、之に亞(つ)ぐと云う。其の五蔵六府、表裏転輸、五行五色、三部九候、経絡配当を説くは最詳を為すなり。魏晋以降、推尊奉戴し、以て吾道の宗源と為す。復た異論無き。不侫尚徳、少小、了圭の業を修め、職を疾医に奉じ、講究熟読の間、六疑竊(ひそ)かに萌(きざ)す。遂に、教えを先覚に請う。傍らに宿儒文学の士に曁(いた)り、出入すること年有り。一日、後藤養庵先生の舎を訪れ、言、蔵の説に及ぶ。先生曰く、「解して之を観るに若(し)くはなし。官の制を為す、得て犯すべからず、已む無く、則ち、獺(かわうそ)乎、余嘗て聞く、其の蔵、人を肖(かたど)ると。之を解する者は数、而■、其の言、妄ならざるを知るなり。百聞は一見に如かず。子亦た之を試すや」と。尚徳、慎んで教えを奉じる。獺を解し観るや、肺の蓋する所は心の蔵を為し、肝胆は連を為し、腎之と通を為し、脾胃は膀腸と之と輸を為す。九蔵は厳然として宦守知るべきなり。機転想うべきなり。噫、俊傑、徴をなすも証すべからず。独り怪しむ・・・

宝暦甲戌閏二月七日。刑、西郊に於いて行なわる有り。処斬者五人。京兆尹若狭呉酒公待監。原松菴。藤友信。杉玄適は吾が党なり。屍、官に請い、獄中に於いて之を解す。余をして就て観さしめんとす。屍を廰前藁席上に置き、屠者をして之を解せしむ。

始め胸を剥ぐ。一条直骨、笏の如き者有り。天突より膈膜上まで、左右の肋骨各々九枚。猶お椽(たるき)の梁(はり)に湊(あつま)るがごときなり。乃ち刀を奏し、横に肋間白膜を決(さ)き、竪(たて)に肋の直骨湊る者を截(き)る。其の郤竅を導き猶お泥を切るがごときなり。左右に折開きし、遂に直骨を截り去りて、膈膜以上、豁然として睹(み)るべし。


気道、前に在り、食道、後に隠るる。

肺は上、気道に連なり、下、膈膜に及ぶ。両肺は心を挟み、猶お紫錦嚢を懸けるがごとし。右肺は襞二、左肺は襞一。管を以て気道を吹けば、則ち両肺皆怒張し、鮮沢にして蝉翼に似る。

心は肺の中間に懸かり、未開の紅蓮の如し。上、気道に系(つなが)り、下、膈膜に向かう。左右の両管は両肺に属し、一管は別れて膈膜を貫き、気、肝に通ずる。

大膜は心の下に在り、上下を限隔す。

肝は右に位し、濃紫色、襞一。

胆は肝の脊に付き、青白色、楕にして卵の如し。

胃は膜下に横たわり、上、食道を承け、下、腸に踞(うずく)まる。

脾は胃の左背に属し、状、馬蹄の如くして、縐紋(しわ)有り。

腸は上、胃を戴き、下、肛門に走る。白色、淡紅を帯び、屈盤纒繞、其の長さ四丈(=12m)許(ばか)り。

腎は胃の下、腸の背に在り、楕にして浅紫色。両腎各々絡有りて、下、精道、両穴に通じ、白脂、之を包む。剔(えぐ)り除きて、乃ち其の状を見る。

膀胱は上、腸に連なり、下、横骨に隠るる。之を圧すれば尿踊り出る。

心肺肝脾腎は肉塊なり。胃胆膀胱腸は膜なり。凡ての蔵、連を為す。皆、白脂黄膩有りて、縈(まつわ)り紆(まと)い粘着す。猶お雲霞薄く林壑(りんがく)を籠(どじこめ)るが如きなり。

背骨は背面に鰭(ひれ)有り、魚の如し。其の節は十有七、上細く、下巨(おお)きく、笋(たけのこ)の状の如し。臓を出して後、内より之を視る。其の節、歴々に数うべきや。

手は白筋無数、直に腕に湊りて、背面、五指に通ずる者有り。肘前に至り、皆肉を為す。肘を維(つな)ぐ者は皮のみ。復、一条筋絡、肩背に通じる者無し。

膝脛亦た然り。

素難に謂う骨度の短長総て三七節、曁(およ)び、手足経絡の説、其の妄なるを知るべき。三部六蔵を候(うかが)うと謂うが如き、則ち亦た益々甚だしきや。且つ、肺六葉してのみ、心胞絡有り、肝右四葉左三葉、腸畳積十六曲の類、亦た何ぞ獺(かわうそ)の蔵と肖(かたど)るや。抑も、獣の蔵を以て類推するや、将た知らず妄作と是れ異なるべきや・・・

古を稽(かんが)う者は時を知らずして、其の惑い一に此に■。亦た裏ざるや。尚徳幸いに父明の運に遭遇し、稽うるに復古の学を以て徴(め)すに経験の実を以てし、何ぞ幸なるや。是に於いて親見べく記し、併せて■懐を述ぶと云う。宝暦甲戌閏二月

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