素問(上)
- yokando2
- 2023年7月29日
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素問
古天真論篇第一/四気調神大論篇第二/生気痛天論篇第三/金匱真言論篇第四/陰陽応象大論篇第五/陰陽離合論篇第六/陰陽別論篇第七/霊蘭秘典論篇第八/六節臓象論篇第九/五臓生成篇第十/五臓別論篇第十一/異法方宜論篇第十二/移精変気論篇第十三/湯液醪醴論篇第十四/玉版論要篇第十五/診要経終論篇第十六/脈要精微論篇第十七/平人気象論篇第十八/玉機真臓論篇第十九/三部九候論篇第二十/経脈別論篇第二十一/臓気法時論篇第二十二/宣明五気篇第二十三/血気形志篇第二十四/宝命全形論篇第二十五/八正神明論篇第二十六/離合真邪論篇第二十七/通評虚実論篇第二十八/太陰陽明論篇第二十九/陽明脈解篇第三十/熱論篇第三十一/刺熱篇第三十二/評熱病論篇第三十三/逆調論篇第三十四/瘧論篇第三十五/刺瘧篇第三十六/気厥論篇第三十七/咳論篇第三十八/挙痛論篇第三十九/腹中論篇第四十/刺腰痛篇第四十一/風論篇第四十二/痺論篇第四十三/痿論篇第四十四/厥論篇第四十五/病態論篇第四十六/奇病論篇第四十七/大奇論篇第四十八/脈解篇第四十九/刺要論篇第五十/刺斉論篇第五十一/刺禁論篇第五十二/刺志論篇第五十三/針解篇第五十四/長刺節論篇第五十五/皮部論篇第五十六/経絡論篇第五十七/気穴論篇第五十八/気府論篇第五十九/骨空論篇第六十/水熱穴論篇第六十一/調経論篇第六十二/繆刺論篇第六十三/四時刺逆従論篇第六十四/標本病伝論篇第六十五/著至教論篇第七十五/示従容論篇第七十六/疏五過論篇第七十七/徴四失論篇第七十八/陰陽類論篇第七十九/方盛衰論篇第八十/解精微論篇第八十一
素問・上古天真論篇第一
「大昔の人々は百歳を超えてもまだ動作が衰えることがなかったのに、いまどきの人民は五十歳になればもうよぼよぼとなるのはどうしてか」という、黄帝の問いから始まりました。
師の岐伯が答えます。
「大昔の人々は養生の道理をこころえ、春夏秋冬の天の気に調和し、飲食に節度があり、決まった時刻に寝起きし、妄りに心身を過労させることがなかったために、百歳の天寿を全うできたのです。」
さらに続けます。
「生殖能力は腎の精気によるもので、女性では14歳(7×2)で始まり、49歳(7×7)で終わり、男性では16歳(8×2)で始まり64歳(8×8)で終わりますが、養生の道理をこころえた大昔の人々はいつまでも健康で、年老いても子供を作ることができました。」
-恬淡虚無なれば真気これに従い精神内に守る。病いずくんぞ従い来たらん。
素問・四気調神大論篇第二
春夏秋冬の四季の陰陽の理に従えば平安無事であると説いています。
春は少陽が生じるときで、しまいこんでいた志を起こしてやります。
夏は太陽が長じるときで、志を昂ぶらせず伸びやかにしてやります。
秋は太陰が収まるときで、志を安らかにして心をゆったりさせます。
冬は少陰が蔵するときで、志を伏せ隠して密かな心持で満足します。
-天気は清浄光明なり。徳を蔵して止まず。
-聖人は已病を治さずして未病を治す。
素問・生気通天論篇第三
生命は陰陽の作用によって天の気に通じています。
陰は生命の原動力である精気を蓄え、陽は人体を外から守っています。
陰が弱く陽が強すぎると、経脈の流れが急となり精神が乱れてきます。
陽が弱く陰が強すぎると、五臓の争いにより九竅が塞がってしまいます。
九竅とは目(2)・耳(2)・鼻(2)・口(1)・陰部(2)の9個の穴のことです。
陽の気が風の侵入によって損なわれるといろいろな病気にかかります。
陰陽の調和がとれると、筋が柔軟になり、骨が強固になり、気血の流れが良くなります。
陰の五臓(肝・心・脾・肺・腎)の障害は飲食物の五味に原因があります。
酸っぱい味が過剰になると肝気が脾気を傷めるので食欲が減退します。
苦い味が過剰になると心気が肺気を傷めるので腹部が脹満します。
甘い味が過剰になると脾気が腎気を傷めるので皮膚が黒ずみます。
辛い味が過剰になると肺気が肝気を傷めるので筋肉が弛緩します。
塩辛い味が過剰になると腎気が心気を傷めるので心が沈んできます。
-風なる者は百病の始めなり。
素問・金匱真言論篇第四
金匱真言とは金箔の書箱に入れて保管する貴重な言葉という意味です。
したがって、この篇には非常に微妙で大事なことが書かれています。
まず季節の風について:
東風は春に生じて肝に病を起こしますので、頸項を治療します。
南風は夏に生じて心に病を起こしますので、胸脇を治療します。
西風は秋に生じて肺に病を起こしますので、肩背を治療します。
北風は冬に生じて腎に病を起こしますので、腰股を治療します。
季節の変り目には脾に病を起こしますので、背部を治療します。
次に季節と一日の陰陽について:
陰中の陽は春(肝)。深夜から日出まで。
陽中の陽は夏(心)。日出から正午まで。
陽中の陰は秋(肺)。正午から日没まで。
陰中の陰は冬(腎)。日没から深夜まで。
土用(脾)は陰中の至陰。
次に人体の陰陽について:
陰は裏、内、雌、腹部、五臓。
陽は表、外、雄、背部、六腑。
最後に季節と人体についての五行論:
春は東方、青、肝、目、精神的な病、酸、木、鶏、麦、筋、角音、八、臊
夏は南方、赤、心、耳、五臓の病、苦、火、羊、黍、血脈、微音、七、焦
土用は中央、黄、脾、口、舌根の病、甘、土、牛、稗、肉、宮音、五、香
秋は西方、白、肺、鼻、背部の病、辛、金、馬、稲、皮毛、商音、九、腥
冬は北方、黒、腎、二陰、関節の病、鹹、水、豚、豆、骨、羽音、六、腐
-其の人にあらざれば教えることなかれ、其の真にあらざれば授けることなかれ。
素問・陰陽応象大論篇第五
この篇では天人合一、陰陽五行に基づく診断・治療が具体的に提示されており、臨床医学の大事な基礎篇となっています。
陰陽は万物の働きの根本であり、万物のはじまりです。陽は清なるもので天に登り、陰は濁なるもので地へ下りますが、地気は熱を帯びると上昇して雲となり、天気は冷やされると雨となり下降します。このように、自然界では陰極まれば陽となり、陽極まれば陰となるように、陰陽の気はたえず循環しています。
陰の働きが強いと寒を生じ、寒が極まると熱に転じます。
陽の働きが強いと熱を生じ、熱が極まると寒に転じます。
寒は肉体を損傷し腫れを起こし、熱は気の働きを損傷し痛みを起こします。
外邪は皮毛から入り、皮下、筋脈、六腑、五臓と侵入していきます。
したがって、優れた医者は邪が皮毛に留まっているうちに治します。
病邪が五臓まで達してからの治療ではなかなか治りません。
邪気が上にあれば発汗させ、下にあれば利尿し、中にあれば瀉下します。
邪気が表皮にあれば発汗させ、散らばれば撫で、集中すれば散らします。
血が停滞すれば鍼で瀉血し、気が欠乏すれば鍼で気を引き寄せます。
優れた医者は患者の顔の色沢、脈の状態などから病の場所や性質を知り、
病が軽いときは直ちに治療し、進行しておれば落ち着いてから治療します。
陰経に刺して陽経の異常を収め、右に刺して左の病を治すというように、
異常のある部位をみても、それにとらわれず、陰陽の調和を図ることに留意します。
-陰は内にありて陽の守りなり。陽は外にありて陰の使いなり。
素問・陰陽離合論篇第六
素問という書物は、編纂された頃のいろいろな医学思想の寄せ集めみたいなところがあり、似たような内容が違った言葉で語られたり、突然に話題が変わったり、矛盾するものが並存したりしていますし、天人合一、陰陽五行に無理に結び付けようとするための飛躍があり、そこが、理解に苦慮するところでもあり、また、魅力でもあります。
この篇では、陰陽とは天に対して地があるように、一陰一陽が要であり、人体についても三陰三陽の6つの経絡があっても、陰陽の離合により、やはり、一陰一陽になると主張しているのですが、ちょっと難解です。
太陽経は至陰(小指の外側)から起こり、陽の表を主ります。
陽明経は厲兌(次指の外側)から起こり、陽の裏を主ります。
少陽経は竅陰(第4指の外側)から起こり、陽の表裏の間を仲介します。
以上三者の関係は相互に緊密に関連しているので一陽と呼ばれます。
太陰経は隱白(大指の内側)から起こり、陰の表を主ります。
厥陰経は大敦(大指の外側)から起こり、陰の裏を主ります。
少陰経は湧泉(足心)から起こり、陰の表裏の間を仲介します。
以上三者の関係は相互に緊密に関連しているので一陰と呼ばれます。
南面して立ち、前を広明、後を太衝(少陰)といい、少陰の上を太陽といいます。
中身より上を広明といい、下を太陰といい、太陰の前を陽明といいます。
厥陰の表を少陽といいます。太陰の後を少陰、少陰の前を厥陰といいます。
-気は裏、形は表にして相成をなすなり。
素問・陰陽別論篇第七
篇第六で特によく分からないところが以下の部分です。
南面して立ち、前を広明、後を少陰といい、少陰の上を太陽という。
中身より上を広明といい、下を太陰といい、太陰の前を陽明という。
厥陰の表を少陽という。太陰の後を少陰、少陰の前を厥陰という。
この少陰、太陰、厥陰、太陽、陽明、少陽の空間的位置関係が?です。
さて、篇第七は脈の診かたについて書かれています。
脈は主に手関節近位の橈側で診ますが、脈状の説明は分かっても、
実際の脈がどの脈に当たるかは、よほど熟練しないとよく分からんのです。
健康な人でも季節によって脈は変化します:
春は肝の気が旺盛で琴の弦のような脈になります。
夏は心の気が旺盛で鈎のような脈になります。
秋は肺の気が旺盛で毛のような軽い脈になります。
冬は腎の気が旺盛で石のような硬い脈になります。
季節の終わりの18日間の土用には脾の気が旺盛で停滞した脈になります。
以上の脈が穏やかに打っているとき健全な状態ですが、極端に強くなると、
陰の争いによって陽が制御できなくなって、様々な病気が起きてきます。
-陰搏ち陽分かたる、これを子ありという。(妊娠の脈)
素問・霊蘭秘典論篇第八
洋漢堂は今、素問と格闘しています。
渋江氏も柳谷氏も沢田氏も深谷氏も長野氏も皆、素問と闘いました。
篇第八は、鍼灸師がみんな知っているお話しです。
宮廷の官職の名前を借りて五臓六腑の働きが説明されています。
-心は君主の官なり、神明これより出づ。
-肺は相伝の官、治節これより出づ。
-肝は将軍の官、謀慮これより出づ。
-胆は中正の官、決断これより出づ。
-心包は臣使の官、喜楽これより出づ。
-脾胃は倉稟の官、五味これより出づ。
-大腸は伝道の官、変化これより出づ。
-小腸は受盛の官、化物これより出づ。
-腎は作強の官、伎巧これより出づ。
-三焦は決涜の官、水道これより出づ。
-膀胱は州都の官、津液ここに蔵さる。
素問・六節臓象論篇第九
この篇は五臓六腑の働きについて、前篇とは違った言葉で語られています。
-心は生の本、神の変なり。
-肺は気の本、魄の処なり。
-腎は封蔵の本、精の処なり。
-肝は罷極の本、魂の居なり。
-脾・胃・大腸・小腸・三焦・膀胱は倉稟の本、営の居なり。
-凡て十一臓、決を胆に取るなり(胆嚢のない洋漢堂はどうなるのだろう)。
また、脈による病の診断についても違った方法が語られています。
脈を人迎(総頚動脈)と寸口(橈骨動脈)でとり、その大きさを比較します。
人迎脈が寸口脈より1つ盛大であれば、病は少陽(三焦・胆)にあります。
人迎脈が寸口脈より2つ盛大であれば、病は太陽(小腸・膀胱)にあります。
人迎脈が寸口脈より3つ盛大であれば、病は陽明(大腸・胃)にあります。
寸口脈が人迎脈より1つ盛大であれば、病は厥陰(心包・肝)にあります。
寸口脈が人迎脈より2つ盛大であれば、病は少陰(心・腎)にあります。
寸口脈が人迎脈より3つ盛大であれば、病は太陰(肺・脾)にあります。
ところで、西洋医学的には、頚動脈洞反射というのがあり、総頚動脈を圧すると血管内圧受容器が働いて、反射的に血圧と呼吸運動が抑制されるため、人迎脈は寸口脈より4~6拍低くなります。そのため、この脈診には細心の注意が必要とされます。
素問・五臓生成篇第十
男性の最高齢者、京都府の木村次郎右衛門さん、112歳は、長寿の秘訣を「食細く命長かれ」と話しています。
食(五味)の大切さについては、素問のいたるところで語られています。
篇第十でも過食について注意が促されています。
鹹味を過食すると、血がどろどろになり顔色の光沢がなくなります。
苦味を過食すると、皮膚ががさがさになってうぶ毛が抜けてきます。
辛味を過食すると、筋がひきつって爪が枯れてきます。
酸味を過食すると、肉が萎縮して唇がめくれ上がってきます。
甘味を過食すると、骨が痛んで髪の毛が抜け落ちてきます。
顔面の光沢と脈診、腹診の関係についても語られています。
病的な赤色のときは、脈は速く堅い心の脈で、積が上腹部にあります。
病的な白色のときは、脈は速く浮いた肺の脈で、積が胸中にあります。
病的な青色のときは、脈は長く弾んだ肝の脈で、積が心下にあります。
病的な黄色のときは、脈は大で虚した脾の脈で、積が臍周辺にあります。
病的な黒色のときは、脈は大で堅い腎の脈で、積が下腹部や陰部にあります。
「ツボ」って何ですか。
よく訊かれる質問ですが、この篇で明確に語られています。
兪穴(ツボ)は肉と肉の接合部で、人体に366箇所あり、
衛気が留まって身体を防衛する所であり、また邪気が入る所でもある、と。
邪気の侵襲を受ければ、ツボに鍼を刺して邪気を除去して血を巡らします。
-血、膚に凝るは痺(しびれ)となり、足に凝るは厥(冷え)となる。
素問・五臓別論篇第十一
五臓といえば、肝、心、脾、肺、腎です。
六腑といえば、胃、小腸、大腸、肛門、膀胱、三焦です。
それでは、脳、髄、骨、脈、胆、女子胞(子宮)は何と呼ばれるのでしょう。
岐伯は答えます:
形は六腑に似ていますが、働きは五臓に似て陰の精気を蔵しますので、
例外的な腑ということで、「奇恒の腑」と呼ばれます。
脈診では手の気口(太淵というツボのあたり)で五臓の気を診断します。
どうして、手関節のところだけで五臓の様子全体が分かるのでしょうか。
岐伯は答えます:
胃は水穀の海で六腑の大いなる源であり、五臓の気を養うところです。
太淵は手の太陰肺経に属し、その肺経の起始部が胃なのです。
従って、五臓六腑の気味は皆、胃から出て、変化が気口に表れるのです。
-鬼神に拘われる者はともに至徳を言うべからず。
-鍼石を憎む者はともに至巧を言うべからず。
素問・異法方宜論篇第十二
各種治療法の発生した経緯について語られます。
東方は海浜にあり、住民は魚を食べ塩を好みました。
魚は熱を生み、塩は血をどろどろにするので、
色黒で肌のきめが粗くなり、オデキができました。
従って、東方では砭石(メス)が発達しました。
西方は風の強い砂漠にあり、住民は獣肉を食べました。
身体は肥えて外邪に侵されることはなく、
内臓の病気が多く発生しました。
従って、西方では薬物療法(煎じ薬)が発達しました。
北方は風の冷たい高原にあり、住民は乳製品を常食としました。
内臓が冷えておなかをこわす人が多く出ました。
従って、北方ではお灸が発達しました。
南方は陽気が旺盛ですが、霧や露が発生しやすく、
住民は発酵させた食品をよく食べました。
皮膚はきめが細かく赤色を帯び、痙攣やしびれが多く発生しました。
従って、南方では細い鍼による治療が発達しました。
中央は平坦で湿気が多く、産物は豊富にありました。
よく食べましたが肉体労働はあまりしませんでしたので、
手足が萎えて頭がのぼせるような病気が多く発生しました。
従って、中央では気功や按摩が発達しました。
-治異なりて病皆兪ゆるゆえんは、病の情を得て治の大体を知ればなり。
素問・移精変気論篇第十三
きょう、大阪医大前学長、植木實先生の最終講義がありました。演題は「子宮がんの話」で、先生が手がけられた子宮頸癌治療法で、子宮を温存しQOLを維持するレーザ円錐切除について語られました。レーザ円錐切除は4mm以下の頸癌では、100%に近い治癒率を誇ります。講義後、学生、看護士、後輩医師などから沢山の花束が手渡されました。
黄帝が言います:
「四季の変化や日月の陰陽の消長をとらえ、顔色と脈を同時に診ることが
重要であるのは、余も十分わかっておる。要点をひとことで言えないか」
岐伯が答えます:
「患者の神気の有無を見極めることでございます」
-神を得る者は昌え、神を失う者は亡ぶ。
素問・湯液醪醴論篇第十四
「湯液醪醴」とは米から作ったお酒のことで、薬として服用します。
米は五穀の中心で四季の気に調和した栄養十分なものだからです。
上古の人は病気になることはなく服用することはありませんでした。
中古の人は邪気が入り病気を起こしても、お米の酒で完治しました。
現在の人は邪が深く入り神気が働かなくなるため、お米の酒はおろか、
煎じ薬でも鍼でもお灸でも治らなくなっています。
では、どうすればいいのでしょう。
病人を本(木の根)、医師を標(木の枝葉)に喩えます。
根と枝葉が一緒になって木の生命を守っているように、標本、すなわち、
病人と医師が一致協力することにより病気を克服することができるのです。
-病は本たり工は標たり。標本得ざれば邪気服せず。
素問・玉版論要篇第十五
映画「劔岳点の記」を観ました。
素問では、「天の気」に調和することが長寿の秘訣としています。
映画の「点の記」は三角点設置の記録のことで、意味が違いますが、
未踏峰といわれる山に登るにも自然との調和が肝要である点は同じです。
映画の主人公たちが登頂したのは100年も前のことですが、
実はその1000年も前に無名の行者が初登頂していました。
私も25年前に登って、2998mの三角点を登山靴で踏みしめ、
さらにジャンプして標高3000mの空気を吸い込んできました。
さて、素問に戻ります。
顔色の変化には逆と従があります。
従は治りますが、逆は予後不良です。
発色が上に向かって進むのは逆です。
また、女では右に、男では左に進むのが逆です。
脈では相克の場合が逆とみなされ、予後不良です。
相克とは木克土、土克水、水克火、火克金、金克木のことで、
例えば、木の気が旺盛な春に金の毛脈が現れると死病であります。
-道は一にあり。(注:一とは神気のこと)
素問・診要経終論第十六
「劔岳点の記」の山案内人役、香川照之は父が歌舞伎役者の市川猿之助、母が女優の浜木綿子。後、父が16歳年上の舞踊家藤間紫と再婚したため、長男照之は母木綿子に育てられました。うむ・・・渋く自然体の好演でした。
さて、素問に戻ります。
鍼は季節によって刺し方が違います。
春は経脈のツボと関節部に刺します。
夏は孫絡に刺し出血させます。
秋は皮膚の割れ目に浅く刺します。
冬は肉の割れ目に深く刺します。
胸腹部では五臓を傷つけないように布の上から鍼を刺入します。
腫れ物に刺すときは鍼を振動させます。
経絡に刺すときは振動させてはいけません。
これが刺入法の根本原理でございます。
-刺すに五臓を避くる者は逆従を知るなり。
素問・脈要精微論篇第十七
ここでは、脈診、望診、聞診、夢判断などについて語れています。
特に、経験則の宝庫である以下の脈象に関する1節が重要です。
洪・大の脈は、陰が不足し陽が余っており熱中の病に現れます。
来疾去徐の脈は、上実下虚で厥巓の病に現れます。
来徐去疾の脈は、上虚下実で悪風の病に現れます。
沈・細・数の脈は、少陰経の厥の病に現れます。
沈・細・数で散の脈は、寒熱の病に現れます。
浮で散の脈は、めまいがして卒倒する病に現れます。
浮で噪でない脈は、足の三陽経の熱の病に現れます。
浮で噪の脈は、手の三陽経の熱の病に現れます。
細で沈の脈は、病が陰にあり骨が痛みます。
細・沈で静の脈は、病が足に現れます。
数・代の脈は、病が陽にあり下痢や血便となります。
渋の脈は、陽気が余っており身体に熱を発し汗は出ません。
滑の脈は、陰気が余っており汗が多く出て身体が冷えます。
軽按して脈がふれず重按してふれるのは、胸腹部に癪の病が現れます。
軽按して脈がふれるが重按してふれないのは、身体に熱のある病です。
脈気が寸口にあって尺中にないのは、足腰に冷えのある病です。
脈気が尺中にあって寸口にないのは、頭項が痛む病です
骨に達するほど強く按えると脈気が少なくなるのは、腰脊が痛む病です。
-診法は常に平旦を以ってす。(注:平旦は夜明けの時間)
素問・平人気象論篇第十八
平人とは健康な人のことで、気象とは脈気の形、すなわち脈象のことです。
この篇も脈象、とくに平人と病人の脈の違いについて語られています。
平人の脈拍は1呼吸で4回です。
1呼吸で脈拍2回のときは正気が衰弱しています。
1呼吸で脈拍6回のときは、脈象が噪で熱があれば温病で、
熱がなく脈象が滑であれば風病、渋であれば痺病です。
1呼吸で脈拍が8回以上、または0回のときは死脈です。
脈が急に速くなったり遅くなったりするのも死脈です。
平人の脈は、胃の気があって、しかも、春に微弦、夏に微鈎、長夏に微軟弱、秋に微毛、冬に微石を示します。また、「真蔵の脈」という死脈があり、これは胃の気がなく、しかも、春に弦、夏に鈎、長夏に軟弱、秋に毛、冬に石のみを示します。
(注:長夏は土用ともいい、各季節の終わりの18日間を指すこともあり、夏の後の長雨の時期をいうこともあり、日本の梅雨と考えてもよろしい)
-医は病まず。故に病める人の為に息平らかにして以てこれを調うを法となす。
素問・玉機真蔵論篇第十九
京都では、6月30日には、和菓子の水無月を食し、
半年の罪や穢れを祓い、残り半年の無病息災を祈願します。
素問では、五臓の病邪が相克の方向に伝わることを「伝化」といいます。
例えば、風寒の邪が人に宿ると次のように伝化していきます。
・産毛が逆立ち、毛穴が閉じ、発熱します。さらに、痺れや麻痺や腫れや痛みなどの症状が現れることもあります。
・治療しないと病は肺に伝わり、咳が出て気がこみ上げます。
・治療しないと病は肝に伝わり、手足が冷え脇腹が痛み食べ物を吐きます。
・治療しないと病は脾に伝わり、体内に熱をもち動悸や黄疸を起こします。
・治療しないと病は腎に伝わり、下腹が熱をもって痛み小便が白濁します。
・治療しないと病は心に伝わり、筋がひきつり痙攣を起こします。
・治療しないと10日後に死亡します。
また、死の病に「五実」と「五虚」というのがあります。
「五実」とは、次の5者がそろった病です:
①脈が盛大(心実)
②皮膚が熱をもつ(肺実)
③腹が張る(脾実)
④大小便が出ない(腎実)
⑤悶え乱れる(肝実)
「五虚」とは、次の5者がそろった病です:
①脈が細い(心虚)
②皮膚が冷たい(肺虚)
③気力が出ない(肝虚)
④大小便が出放し(腎虚)
⑤飲食物がのどを通らない(脾虚)
本篇にはこれを治療する方法も説かれています。
-五臓は皆、気を胃に稟く。胃は五臓の本なり。
素問・三部九候論篇第二十
素問では、天地の至数の一から九が人体の気血と相い通じていると考え、人体の動脈拍動部を上中下それぞれの天地人、計九候に割り当てます。この九候から死生を決定し、虚実を整え、病邪を除き去ることができます。
② 上部の天は両額にある頷厭穴
②上部の地は両頬にある巨髎穴
③上部の人は耳前にある耳門穴
④中部の天は手の太陰肺経の經渠穴
⑤中部の地は手の陽明大腸経の合谷穴
⑥中部の人は手の少陰心経の神門穴
⑦下部の天は足の厥陰肝経の太衝穴
⑧下部の地は足の少陰腎経の太谿穴
⑨下部の人は足の太陰脾経の表の衝陽穴
-実すれば則ちこれを瀉し、虚すれば則ちこれを補す。
必ず先ずその血脈を去り、しかる後にこれを調う。
素問・経脈別論篇第二十一
「威武に屈せず、富貴に淫せず、過激にして愛嬌あり。」
宮武外骨(1867~1955年)は生涯、言論弾圧と闘ったジャーナリストです。
活動が多岐に渡る彼ですが、ひとことで評すると、上の言葉になります。
さて、素問に戻ります。
この篇では、病状の把握の仕方と治療するツボについて語っています。
太陽の脈(浮脈)が盛んになると、手足が冷えてのぼせ、息が荒くなります。
このときは、足の太陽経(束骨)と足の少陰経(太谿)を瀉します。
陽明の脈(大浮脈)が盛んになると、熱が蓄積されます。
このときは、足の陽明経(陷谷)を瀉して太陰経(太白)を補します。
少陽の脈(滑脈)が盛んになると、脚が腫れてきます。
このときは、足の少陽経(臨泣)を瀉します。
太陰の脈(伏脈)が現れると、胃の気が乱れてきます。
このときは、足の陽明経(陷谷)を補して太陰経(太白)を瀉します。
少陽の脈がなくなる(沈脈)と、腎の気が虚してきます。
このときは、足の太陽経(束骨)を瀉して足の少陰経(太谿)を補します。
厥陰の脈が現れると、心臓が痛み、冷や汗が出るようになります。
このときは、足の厥陰経(太衝)を取穴します。
-人の勇怯・骨肉・皮膚を観て、よくその情を知りて、以って診法となす。
素問・臓気法時論篇第二十二
観月橋から宇治川の源流、琵琶湖の瀬田の唐橋の手前の立木観音まで、宇治川沿岸の森閑とした風景の中をスロージョギングしてまいりました。途中は車が多くジョギングには不適なコースで、最後は700段の石段です。ただ、登りきった所にある御茶所で振舞われる柚子湯がのど元を潤します。
肝実の病:両脇下が痛み、怒りやすくなる。
肝虚の病:目がぼんやりし、耳が聞こえなくなり、被害妄想を起こす。
食事療法:緩和作用のある甘味のもの(米、牛肉、棗、せり)を食べる。
心実の病:胸中、脇下、肩背部、腕の内側が痛む。
心虚の病:胸腹が腫れ、脇下と腰が引き合って痛む。
食事療法:収斂作用のある酸味のもの(小豆、犬肉、李、にら)を食べる。
脾実の病:体が重く、筋が萎縮しふらつき、痙攣し、脚の下部が痛む。
脾虚の病:腹が詰まり、腹がごろごろ鳴り、消化不良で下痢を起こす。
食事療法:乾堅作用のある苦味のもの(麦、羊肉、杏、らっきょう)を食べる。
肺実の病:咳が出、あえぎ、汗が出て、肩背部・殿部・陰部・下肢が痛む。
肺虚の病:呼吸が苦しくなり、耳が聞こえなくなり、のどが渇きます。
食事療法:軟化作用のある塩辛いもの(大豆、豚肉、栗、豆の葉)を食べる。
腎実の病:腹が張り、脛が腫れ、咳が出、体が重く、寝汗をかきます。
腎虚の病:胸や腹が痛み、手足が冷え、気分が暗くなります。
食事療法:発散作用のある辛味のもの(黍、鶏肉、桃、ねぎ)を食べる。
-人形を合して以て四時五行に法りて治す。
素問・宣明五気篇第二十三
素問は、まるで新約聖書のようです。聖書ではイエスの生涯を語るのに、マタイ伝があり、ルカ伝があり、マルコ伝があり、ヨハネ伝がありますが、それぞれの伝で微妙に異なっています。
素問では、五行について多くの篇で語られていますが、各篇で内容が微妙に異なります。例えば、通常の五悪は、肺が燥で腎が寒ですが、この篇では、肺が寒で腎が燥となっています。誤植なのか、この篇の作者の個人的見解なのか、わかりませんが、そういったものが混在しているところが奥深い所以なのでしょう。
-酸は肝に入る。辛は肺に入る。苦は心に入る。鹹は腎に入る。甘は脾に入る。
-心は喜ぶ。肺は悲しむ。肝は憂う。脾は畏る。腎は恐る。
-心は熱を悪む。肺は寒を悪む。肝は風を悪む。脾は湿を悪む。腎は燥を悪む。
-心は汗をなす。肺は涕をなす。肝は泪をなす。脾は涎をなす。腎は唾をなす。
-心は神を蔵す。肺は魄を蔵す。肝は魂を蔵す。脾は意を蔵す。腎は志を蔵す。
-心は脈を主る。肺は皮を主る。肝は筋を主る。脾は肉を主る。腎は骨を主る。
-久視は血を傷る。久臥は気を傷る。久坐は肉を傷る。久立は骨を傷る。久行は筋を傷る。
-肝脈は弦。心脈は鈎。脾脈は代。肺脈は毛。腎脈は石。
素問・血気形志篇第二十四
肉体と心の苦、楽が引き起こす5種類の病を五形志といいます。
治療法にも鍼灸以外に、薬物、導引、按摩などがあります。
肉体は楽だが心が苦しいとき、病は脈に発生:鍼灸で治療。
肉体、心ともに楽なとき、病は筋肉に発生:鍼石(メス)で治療。
肉体は苦しいが心が楽なとき、病は関節に発生:温布や導引で治療。
肉体、心ともに苦しいとき、病は咽喉に発生:薬物で治療。
驚き恐れることが重なると、皮膚が麻痺:按摩や薬酒で治療。
これによると、鍼灸は心の病、すなわち精神的疾患に用いるのですね。
-形楽しみ志苦しめば病脈に生ず。これを治するに灸刺を以ってす。
-凡そ病を治するに必ずその血を去りて、その苦しむところを去る。
これが欲する所を伺いて、然る後に有余を瀉し不足を補う。
素問・宝命全形論篇第二十五
最近、新田次郎原作の映画をよく観ます。映画「剱岳・点の記」に続き、一昨日は、テレビで、裕次郎主演の「富士山頂」をやっていました。新田次郎は気象庁出身の作家で、山岳小説を多く手がけています。何といっても一番は加藤文太郎(1905~1936年)を扱った「孤高の人」です。加藤文太郎の山登りはその生涯のほとんどが単独行でしたが、皮肉にも、パートナーと挑んだ槍ヶ岳北鎌尾根で遭難し、30年の生涯を閉じています。私が一人で山に登ることが多いのも、加藤文太郎の影響が大きいようです。
登山家の要道にいくつかあります:
①早立ち、早着き
②歩き始めは押え気味に
③急坂では手足の三点支持
④迷ったら戻れ、谷を下りるな
⑤自分のことはすべて自分で
など。
さて、素問では、鍼術者の要道に5つあるとしています。
①精神を安定させる
②養生法にかなった生活をする
③薬物の正しい性能を熟知する
④鍼の大小に注意して適切なものを用いる
⑤五臓六腑、気血の診断方法を会得する
以上をわきまえ、後は、虚を実し、満を泄らす治療を施せばよろしい。
その際、天地陰陽の道理に法り、無我の境地で臨機応変に施術すること。
-深き淵に臨むがごとく、手に虎を握るがごとく、衆物を営むことなし。
素問・八正神明論篇第二十六
仏教では、釈迦が涅槃に至る修行の基本として八正道というのがあります。
正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の8つです。
素問には八正というのがあり、
立春・春分・立夏・夏至・立秋・秋分・立冬・冬至の八節のことです。
それぞれ、北東・東・南東・南・南西・西・北西・北の方向から風が吹きます。
その季節の正風が吹いているのか、逆の邪風が吹いているのかを観察し、
それに基づいて治療しなければなりません。
また、日月星辰の天文暦法に法った施術が求められます:
①天気が寒冷のときは鍼治療を控えます。
②天気が温暖なときは躊躇することなく鍼治療を施します。
③新月のときは瀉法を行ってはなりません。
④満月のときは補法を行ってはなりません。
⑤闇夜のときは鍼治療を控えます。
-上工はその萌芽を救う。
-下工はそのすでに成るを救う。
素問・離合真邪論篇第二十七
あるとき、孔子、釈迦、老子の3人が酢の瓶に指を浸してその酢を味わいました。
孔子は「酸っぱい」、釈迦は「苦い」、老子は「甘い」と言ったそうです。
儒教、仏教、道教の違いがなんとなくよく分かるような寓話です。
わが黄帝は、この寓話を聞いてどうのような反応をするのでしょうか。
五行の相生・相克の関係から、酸は苦を養い、甘を壊すのですから、
わが黄帝は、老子の虚無の柔、さらに陰陽の変の妙を思うことでしょう。
篇第二十七では、刺鍼における補瀉の方法が具体的に述べられています。
瀉法:
吸気のときに鍼を刺入し、気を乱さないようにし、静かに留鍼します。
吸気に合わせ鍼を捻転し、気が得られたら、呼気のときにゆっくり引き、
息を吐き終わったときに抜鍼し、邪気を逃がします。
補法:
ツボをさすって気を循らし、押して気を散らして撫でて、叩いて興奮させ、
爪を立てて気を流し、外側からつまんで皮を引き寄せ、ツボを閉じます。
息を吐き終わったときに刺入し、静かに留鍼します。
気が至れば、息を吸い込むときに抜鍼します。
抜鍼後は、ツボを揉んで閉じ、真気を体内に留めます。
-邪の新たに客し来るや、未だ定まる処あらざれば、これを推せば則ち進み、これを引けば則ち止まり、逢いてこれを瀉せば、その病立ちどころにいゆ。
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