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子玄子産論

  • yokando2
  • 2023年7月29日
  • 読了時間: 71分

「子玄子産論」

著者:皇和近江州彦根の賀川玄悦子玄

校正:息子の玄迪子啓および門人の山脇格叔光


目次


巻第一 妊娠

論 19条

治法 32条

治術 2条


巻第二 出産

論 23条

治法 10条

治術 5条


巻第三 産後

論 19条

治法 32条

治術 6条


巻第四 

座位出産について

腹帯について


付録

治療例 48則

山脇格による玄悦先生の経歴





巻第一 妊娠


(診断)


1.

診断について述べよう。婦人が子供を孕むのは月経が終わってから後の10日間である。この期間を過ぎると、次の月経が始まり、孕むことができない。妊娠期間は、初産婦は300日、経産婦は275日である。正しく期日を数えることによって、大事なところは押さえられる。


2.

孕んでから30日で悪阻を病む。月経の後、何もなくても期日が及べば病む。軽く頭痛がし、心が乱れ、だらりとして物事への執着がなくなる。45日から50日にかけて症状はますますひどくなる。脈は数で、悪寒、発熱、頭痛、のどの渇き、嘔吐、咳、上気して食欲なく、腹痛、下痢、耳鳴り、煩悶、塩辛く酸っぱい食材を食べたいと欲し、伏すことが多く、起きていることが少なく、感染症と似た状態になったら、三部を押さえ診断しなければならない。


3.

月経が終わって75日後に、孕んでいるか否かを診断すべきである。孕んだ者は、指頭の脈が寸口の脈の2倍となっているか、または、気衝の脈が寸口の脈の2倍になっている。これを三部の脈と呼んでいる。三部を押しても診断できない場合には、腹を診る。右手を鳩尾から天枢までさすって行き、左手は横骨の際から押し上げて行く。任脈の臍の下の方で、指下にトントンとしたものがある。これを押して、隠然として気力があれば妊娠である。一般的に、腹を押さえるときは肌の間を探るので、その手を軽くあてておく。そうしないと、胎児の気が逃げ、診断できなくなる。軽くなでながら下げていくと、臍下の肌で指に抵抗を感じるときは妊娠である。一般的に、胎児は横骨の際にあって、たいてい始めの診断が75日を過ぎると、大きさはわずか一個の栗と同じである。気衝も一緒に押して診断を下すべきである。


4.

左下腹部は血室で、右下腹部は委食の府である。故に、血塊によって腹が脹れるのは左側であることが多く、これを押すと、いくつかの塊が連なっていることがある。まれに任脈上にあることもあり、強く押すと、しっかり粘着していて、深いものほど固いので、一押しするだけで判別できる。ここでいう左右分属の説は、古くからの言い伝えであるが、私自身の経験からも、多くの産婦を治療する際に確認している。故に、腹を押さえて右にあれば必ず乾燥した大便であり、左にあれば必ず瘀血であり、的中しないことはない。


5.

世間では、常に乳頭が紫黒であるかどうかで妊娠か否を予測しているが、そうでない場合もある。かつて、ある婦人を見ると妊娠に似て、乳頭が黒ずんで、またよく乳汁が出ていた。しかし実際は血症であった。故に、ひとすじなわにはいかない。


6.

妊娠の形が血塊による腹脹に似ている場合は慎重に判別しなければならない。例えば、4、5か月生理のない場合は、以前の月経量の多少を問診すること。即ち、常に多かったと答える者は妊娠であり、常に少なかったと答える者に対しては、一定の方法で腹を押して診断する。押した後すぐに小さくなる者は血塊の病である。例えば、6、7か月生理のない場合は、その腹を押して、臍に物があって、押さえた手に反応があり、腸骨の際の任脈上の肌が円く柔らかで、広く大きく、触ると指に動気が伝わる場合は妊娠である。あるいは、腸骨の際になにもなく、押してみても気力が感じられなくても、気衝の脈がはなはだ数で、臍の下の肌が指に硬く触れる場合には妊娠である。例えば、8、9か月生理のない場合は、試しに、仰臥位になってもらってから、横向きにならずに起き上がるように言い、もしそれが出来るようであれば妊娠ではない。


7.

たいていの婦人の腰の形は必ず屈曲しており、内側が広くなっている。思うに、これは天恵による受胎の地ということであろう。故に、男の腰の形がほぼ真っ直ぐで内側に受容するところがないのと対照的である。


8.

古来、胎児の状態を論じてあるのは、みな、妊娠の10か月間、胎児の頭は上にあって、まさに生まれようとするときに身体がひっくり返って、頭が下になるとしている。近頃、私もまた、オランダに伝わる体内図というものを拝見したが、ここにも胎児の形が載っていたが、まったく同じであった。誤ったことが伝わり、正しいことが偽りとされているのは、なにも中国に限ったことではない、ということが分かった。臨月の胎児の大きさはいかほどか。子宮の中の広さはいかほどか。回転させれば破裂すること必定である。どうして誤った考えに陥るのだろうか。今、ただ事実によって素直に考えれば、これまでの考えが間違いであることが分かるはずである。妊娠5か月の腹の中の胎児は瓜ぐらいの大きさである。背を丸めて頭を曲げており、頭頂が腸骨の上際にあるはずである。胞衣は胎児の尻を覆い、母体の胸骨柄の下まで達している。臨月になると、胎児の形がはっきり判別できるようになる。古人はまた、胎児はその手足を縮めているというが、これもまた誤りである。私が胎児の背中から探ってみたところによると、左右の脚は両方とも伸びて両側に出ており、簀子の形や座禅を組んでいるような形になっている。手の方も、上腕から前腕まで伸びて両脇に出ている。手足が縮んでいるということはないのである。生まれた子には頭の上から耳の後ろにかけて横断紋ができているが、これは母親の腸骨に挟まれていた痕跡である。


9.

逆子の場合は、母体と背面して首が上の方にあるので、胞衣が胎児の膏肓の上を覆っているため、生まれるときは足首から出てくることになる。思うに、むかしは妊娠の初めからすでに逆さになっていることを知らないため、出産直前になってひっくり返るのだというような誤った考えになったのだろう。


10.

一般的に、妊婦のお腹の形で、上方が尖っている場合は逆産で、下方が尖っている場合は順産である。順逆については、おしなべて、世の中で常にあるのを順といい、これに反するのを逆という。出産もこれに倣って、足首から出るのを逆産、頭から出るのを順産というのである。


11.

一般的に、双子の場合は、ひとりは左側にいて首を曲げて下向き、もうひとりは右側にいて頭を真っ直ぐ伸ばして上向きである。生まれるときには、左の児が先で右の児が後である。従って、後に生まれる児は必ず逆子となる。胞衣は胎児ひとりにひとつずつであり、これが双子の場合の正常なケースである。正常でない例としては、ひとつの胞衣にふたりが共に首を下向きにしているか、あるいは、ひとつの胞衣にふたりが共に上向きでいる。胞衣の大きさは胎盤と同じで、双子の正常でないケースである。ただし、ふたりが共に下向きにいる場合は出すのが難しく死ぬケースがほとんどで、生きて生まれる場合はまれである。一般的に、任脈がくぼんでいて一本腺が入っているのは双子の徴候である。


12.

双子には男と女、共に男、共に女のケースがある。私の知っている家では、毎年双子を生み、必ず一男一女で、5回ともみなそうであった。かつて、一婦人が草の上に坐っているのを見たことがあるが、陰部には流産した児がいて、妊娠7か月に満たないようであった。身体を持ち上げると、まだ膜で覆われていて脱出していない。その後3か月して月が満ちて出産したが、その子は今も健在である。こういうことも世間ではあるのである。


13.

一般的に、妊娠120日で四肢の形が現れる。それ以前は、ただ胞衣があって丸い形をしている。一個の栗のようなものである。分厚い白膜で覆われている。かつて、流産した産婦にこれが付いていたのを3度見たことがあるが、その中は5つに分かれていて、3度ともみな同じであった。このことから、人は五行の秀気でないということを、私は信じない。


14.

三つ子については、私は今までに見たのは二人のみである。従って、その詳しい内容は分からない。ただ、大体は双子の場合と同じであるが、育てるのは困難である。


15.

男女の別を聞かれることがあるが、私は知らないと、答えている。左が男で右が女という説があるが、そういうことはない。一般的に、胎児は任脈の中にいて、狭いところで左右に偏るのであり、右に胎児の頭があれば、左には胎児の下半身が来る。


16.

妊婦が脚を伸ばして寝るのは禁じられているが、勝手放大に寝ているとお産のときに難産になるのを恐れるからであろう。しかし、中国の古い医書を調べてもこのような説は載っていない。我が国の古の名医でもこのようなことを論じている人はいない。すなわち、このことは最近の女子供の憶測にすぎず、たまたま伝承されて悪い慣わしとなったのであろう。そうでないとすると、この流言がものごとの道理を害すること誠にはなはだしい。何となれば、一般的に胎児は必ず任脈の中にいるから、妊婦が脚を曲げて寝ると、腹部は曲がりたわみ内に縮こまる。そのため、胎児が中にいづらくなるのである。さらに我が国の婦人はこれに加え、腹帯でもってその上を束ねて、上から押さえて胎児を下の方へ降ろそうとしている。胎児は傾かないようにしてもできない。従って、妊婦の行動が難産を招くのである。みな以上の2点が胎児に対する禍となることを知って、母子を救うためもこのことを力説して正していかねばならない。


17.

妊娠中は川魚を食べることを禁じている。これもまた最近生まれた悪い習慣である。ひそかにその意味するところを調べてみると、流産を恐れてこのように言っているようだ。お産がうまくいかないのは母親の気の不足と物によって胎児が傷つけられることによる。どうして川魚が関係することがあろうか。思うに、私が成人してから今年67歳になるまで、日々妊婦を診てきたけれども、このような者に遇ったときは、川魚を食べるよう強く説得して、世の中のためにこのような間違った考えを除去してきたが、いまだ弊害が起きたためしがない。大体、すべての禁忌は、いまだかってくだらない迷信でなかったためしがない。


18.

一般的に、妊娠中に過剰なセックスをすると必ず産後に床に臥すことになる。このことは妊娠中の大きな戒めである。


19・

一般的に、妊娠中は頻回の入浴を避けること。肌のきめが粗くなって風冷が侵襲しやすくなる。妊婦が冷を受けるのは入浴によってである。そのほかにはこの邪を受けることはない。胎児の中がこの邪気で充満してしまう。




(治法)


1.

症状:経水が時折下り、絶えず下り続ける。また、胎児が動いて水が下ることもある。さらに、胎児が脱出しそうになるときは、胎児の居場所がなくなり、経が膀胱を動かすためである。これが甚だしくなり、経脈に及ぶと、悪寒、発熱して胎児が脱出する。

原因は、性交渉によってその胎児を圧迫するためと考えられる。

治療は、主に整胎の術による。第一和剤の類がよろしい。


2.

症状:吐血や鼻出血、あるいは突然に胸の痛みを訴える。

原因は、怒りが激しくて、気が暴逆するためと考えられる。

治療は、主に洞当飲により、竜騰飲を兼用する。吐血が甚だしいときには別にレンコン汁を与える。

洞当飲の処方

 柴胡、黄芩、黄連、茯苓、半夏、生姜、青皮各5分、甘草1分、芍薬1銭

 以上9種を水2合半で煮て1合半を取って服用する。

竜騰飲の処方

 川芎、黄芩、黄連各1銭、大黄5分

 以上を麻沸湯1合に浸し、よく絞って滓を除去して頓服する。


3.

症状:妊婦の左大腿部が痛む。

原因は、瘀血にあると考えられる。お産の回数を重ねた後で左の方が痛むことがある。初産では痛くなることはない。

治療は、産後に体を休めること。主に折衝飲による。


4.

症状:黒い血が漏れる。

原因は、黒は腎を傷つけたからで、血は内熱によると考えられる。一般に、諸血で戸によらないものは妊娠に害はないが、甚だしい場合は危うい。

治療は、主に大補湯による。

大補湯の処方

 黄耆、人参、白朮、茯苓、当帰、川芎、芍薬、桂枝各5分、乾地黄1銭、甘草1分

 以上10種を水2合半で煮て、1合半を取って服用する。


5.

症状:沈んで悲しむ、あるいはよく怒る者は、産後にめまいがなければ精神障害をきたす。

治療は、主に甘麦大棗湯による。


6.

症状:心下部の圧迫により苦しむ。

原因は、世間の多くの医者は、これは胎児によるものだという。私がしばしば診たところでは、これは胎児によるものではなく、ただ血気が上方を圧迫しているだけのものがはなはだ多かった。ただし、胎児が腸骨で止められて上ってくれば、往々にして救いがたい。整胎の法をほどこしても回復するものは10人にわずか2、3人である。

治療は、主に第一和剤湯による。救癇の術を併用し、これを押してやるとおさまる。

第一和剤湯の処方

 附子、白朮、黄耆、芍薬各1銭、当帰、乾姜、川芎、茯苓各5分、桂枝1銭、甘草1分

 以上10種を水2合半で煮て1合半を取って服用する。


7.

症状:妊娠中に黄汁あるいは赤豆汁のようなものを下す。

原因は、産道からこれが下る場合には胎児が死んでいる。

治療は、主に第一和剤湯による。


8.

症状:妊娠2、3か月目に血塊を下す。

治療は、膣を開いてこれを視るべきである。流産であることが多い。流産であれば、折衝飲を与えればよい。ただ血塊を下すだけであれば、流産ではなかったと分かる。

折衝飲の処方

 芍薬、桃仁、桂枝各1銭、紅花半銭、当帰、川芎、牛膝各8分、牡丹皮、延胡索各5分、甘草1分

 以上10種を水2合半で煮て1合半を取って服用する。


9.

症状:婦人が妊娠の度に3、4か月で必ず流産してしまう。

治療は、主に膠艾四物湯による。

膠艾四物湯の処方

 当帰、生地黄各3銭、芍薬2銭、川芎1銭5分、艾葉3分、阿膠3銭

 以上6種を水2合半で煮て1合半を取って服用する。


10.

症状:子癇(意識喪失や痙攣発作)を起こす。

原因は、人の七情鬱結が過剰となり内火が盛んに燃え、熱が大腸にしみこみ、怒りや不満が上って委食の府を動かし、このために子癇を起こすと考えられる。そのため病気は必ず右側に出る。

治療は、主に救癇の術による。


11.

症状:期間を過ぎても生まれない。

原因は、月経が長い間なくて、突然、妊娠したからであると考えられる。


12.

症状:心臓の下方が圧迫されて嘔吐する。

治療は、虎翼飲を伏龍肝汁で煎じて服用する。

虎翼飲の処方

 半夏8銭、茯苓4銭、青皮1銭、生姜1銭半

 以上4種を汁2合半で煮て1合半を取って服用する。


13.

症状:妊娠中に胎動するときに足が痛んで萎える。

原因は、妊娠中の過食か、あるいは物が胎児を圧迫するために胎児が動き、痛み萎えると考えられる。ただし、その動きが甚だしくない場合は8、9か月目に突然おさまる。

治療は、主に整胎の術による。


14.

症状:飲食が停滞して吐いたり下痢したりする。

治療は、主に、吐けば虎翼飲、下痢であれば第三和剤湯による。

第三和剤湯の処方

 白朮、黄耆各1銭、乾姜5分、芍薬1銭、桂枝1銭、半夏1銭、甘草1分、茯苓5分

 以上8種を水2合半で煮て1合半を取って滓を除去して温服する。


15.

症状:煩躁、口渇、浮腫、熱があって便秘し、あるいは麻痺する。

治療は、主に龍翔飲による。

龍翔飲の処方

 麻黄1銭、大棗1銭、蒼朮1銭、石膏3銭半、甘草1分、生姜1銭

 以上6種を水2合半で煮て1合半を取って服用する


16.

症状:妊娠後精が漏れる。

原因は、子宮が寒冷を受けることによると考えられる。

治療は、主に牡蠣湯による。

牡蠣湯の処方

 桂枝、沢瀉、龍骨、牡蠣各3銭、甘草1分

 以上5種を細かく砕き水2合半で煮て1合半を取って服用する。


17.

症状:転胞。

治療は、主に玄英湯による。

玄英湯の処方

 乾地黄1銭、薯蕷5分、茯苓1銭、山茱萸3分、牡丹皮3分、沢瀉1銭、牛膝8分、車前子5分、桂枝1銭、附子8分

 以上10種を水2合半で煮て1合半を取って服用する。


18.

症状:下痢。

治療は、治療は、主に第四和剤湯により、青陽丸を兼用する。

第四和剤湯の処方

 附子、白朮、黄耆、芍薬各1銭、桂枝1銭、乾姜、茯苓、半夏各5分、甘草1分

 以上9種を水2合半で煮て1合半を取って服用する。

青陽丸の処方

 黄柏2両を炒り2両を焼き2両を生む

 以上を糊丸にし、1銭ずつ服用する。一昼夜に数回服用する。黒い大便が出るようになったら止める。


19.

症状:鬼胎血塊の病。

原因は、臍下の左側または章門のあたりに妊娠6、7か月に似た形のものがあり、押すと先の尖った角ばったものがあるためと考えられる。

治療は、主に折衝飲による。


20.

症状:渇の病で治りにくい。

治療は、もっぱら天花粉を用いる。また、食べ物を与えないでおくと癒える。


21.

症状:妊娠中に腹が膨満する。

原因は、大便が乾燥して硬くなるものと考えられる。

治療は、主に朱明丸による。

朱明丸の処方

 蕎麦1両、大黄3両

 以上を粉にして丸く練り込める。1回に1銭を服用する。


22.

症状:妊娠中に腹の中で鐘が鳴るような感じを覚える。

原因は、大便が乾燥して硬くなり気逆することによると考えられる。世間では胎児が腹の中で泣いているというが、これは誤りである。そもそも胎児は胎盤の中にあって頭と手足はみな白膜に包まれている。どうして声を出すことができようか。生まれるときには、母体の中で膜が破れ、中の羊水が外に噴き出す。さらに、生まれてもなお胎児の体を被覆するものがあって、顎の下を覆う膜を爪でひっかいて唇を露出して、しかる後に児は一啼きする。それから、胎児を覆う膜が自然に破裂して脱出する。従って、児は腹の中ではまだ泣かないのである。


23.

症状:右の大腿が痛み我慢できないほどで、歩行することができない。

原因は、胎盤が片方に偏るためと考えられる。

治療は、主に整胎の術による。ただし、痛む場合は主に朱明丸による。


24.

症状:妊娠中に転倒する。

治療は、主に整胎の術による。


25.

症状:小便が渋滞して腹が膨満する。

原因は、しばしば半身浴し、浴後の温かいときに寒を受けたためと考えられる。

治療は、主に玄英湯による。およそ、妊婦は頻回に入浴してはならない。入浴するときは長風呂をせず、妊娠9か月になったら入浴を絶つべきである。ただし、熱い湯で布巾を濡らして体を拭くのはよろしい。


26.

症状:妊娠中に淋病にかかる。

原因は、半身浴のためと考えられる。

治療は、主に治淋醴による。玄英湯を兼用する。

醴の処方

 麹4合、白砂糖1合

 以上を水8合で煎じて飴状にする。1昼夜温服する。


27.

症状:妊婦の頭がぼんやりし、甚だしくなると治らない。


28.

症状:5、6か月で流産する。その痛みは必ず腰間から仙骨にかけて起こり、痛みが長引き、下腹の痛みが甚だしい場合がこれである。


29.

症状:熱性の下痢または水腫をきたす。この場合は多胎となる。


30.

症状:熱病で胎児が腹の中で死ぬ。この場合は必ず下血がある。


31.

症状:妊婦がにわかに腰のあたりが重くなり荷物を抱えているような感じがある。このときには胎児は死んでいる。


32.

症状:流行病およびその他の病。

治療は、それぞれの症状に応じて行う。薬を用いる場合には俗戒に惑わされてはいけない。およそ、病があれば毒薬によっても体は損なわれない。ぐずぐずしていて治療をおこたると、産後3,4か月で必ず発病して救うことができなくなる。産前10日までに病が癒えれば再び発病することはない。




(治術)


1.整胎の法

治療術について述べよう。一般的に、児が母親のお腹にあるときは、頭頂が腸骨の上際にあって、逆さになっている。そして、9か月目になると、ようやく下り始め、頭が腸骨の中に入る。そのために、お腹と腸骨の間を押しても指が入らない。そうなると10日もしないうちに生まれる。故に、胎児は日々動き、臨月になると下り、しかる後に生まれてくる。もし妊婦が何かで圧迫を受け、あるいは、事故に遇って驚きや恐怖を感じ、あるいは、食べ過ぎて胃腸が動いて胎児が常に片方に押しやられるため悶え苦しむときは、横産とならず胎児は母親のお腹の中で死んでいるものだ。故に、時々お腹を押して、その位置を正してやらないといけない。位置がいつも正しくなっておれば、分娩のときになっても万に一つの害もない。


この「整胎の法」では、先ず、母親の帯を解き、仰向けに寝てもらい、半時(約1時間)ばかり休んでもらってから、医者はゆっくり両手を母親に近づけ、胸下から按摩を始め、次第に右側の下腹部まで下げる。一般的に、妊娠5、6か月に達すると、胎児はすでに瓜ほどの大きさになって、任脈上の腸骨の際に留まっている。そのころは、左が血室となって常に気血を蓄えており、右が委食の府となって空虚になっている。故に、胎児は右側に偏ってくる。偏りが甚だしい場合には、右下腹の腸骨の際で見つけられるはずである。そこで医者は慎重に押して胎児を探り、自分の膝頭を母親の左脇下に当て、力を出せる状態にしておく。両手で胎児をおおまかに捉え、軽い力で任脈の下方の本来の位置に押し出して送り込む。ただし、妊婦が便秘のときは、その便をすべからくどけてあげなければなりません。便は右側の背中と下腹部の間にあるので、そこへ体重をかけて押してみて、石がたくさん積み重なったような塊を手に感じたならば、それが便である。すべからく左手でその内辺に沿って指先でこれを掻き分けて胎児から離すようにする。このようにして退けて、その中間のところで胎児を捉え、内方へ移動させ、任脈の位置までもどす。それが出来なくて、便を腸といっしょに押しても成果は得られない。押し出すときに力を用いるときは、粗暴にならないように注意する。まさに上腕を重くし指先は軽くしなければならない。右手は大体按撫するような気持ちで、務めて中正を保つことが肝心である。


整胎し終わって、さらに下腹部を背後からなで回して、お腹の前へ向かう中間のところで瓜の跡くらいの大きさ認めたら、これを正しく整えるようにして数10回でなで回す。そこで、母親を座らせ、医者は右肩を母親の胸にぴったり寄せて、母親に両手で医者の首を強く抱かせ、医者は両膝の内側で母親の膝を挟んで、母親の体が傾いたり揺れ動いたりしないようにする。そのあとで、両手の指先で軽い力で背骨を挟んで、第7、8胸椎から押さえながら下げて行き、押した勢いで指関節の間で音をたて、母親の意識を背後に向け、もう一度同じことをやってから、掌側骨を強くくっつけて、背後の腰眼のところから下腹前方に向かって寄せ集めるようになで回す。これを5、60回行う。それから、掌側骨を母親の臀部にくっつけて数回なでまわし、左右の大腿部まできたら止める。一般的に、母親にこの法を用いて押してやれば、お腹の中の鬱気が大いに抜け出て、絡脈が自然に落ち着き、お腹の中の胎児もまた自然に正しい位置に収まるのである。いやしくも、母子の任脈と督脈を常に互いに離れないようにしておくと、胎盤は安らかに固く保護され、お産のときは難産を免れる。大体、胎児は常に膜に包まれて保護されており、腸骨の部分は常に津液で潤っているのである。だから、力を用いて押し出したとしても、決して傷つかない。それであるから、この法を避けようという気を起こしてはならない。妊娠5、6か月ころから毎朝、この法を行い、怠らなければ、母子ともに健全となり、死産の心配もなく、代々家系が繁栄し、永く健やかな幸福を享受できるのである。


2.救癇の法

一般的に、子癇を救うには、すべからく急いで漏を挙げて焦に注ぐようにすることである。そうしないと死ぬ。症状はおおむね癲癇と同じで、発狂してひきつけを起こす。


その「救癇の法」では、先ず、その妊婦を仰向け寝かせて、医者の右の膝蓋骨を婦人の左腹の季肋部に当て、この姿勢で力を出せるようにしておく。それから、右手を上から右の不容穴を押し、左手を下から右の章門穴を押すと、必ず手の下に何か巨大な柱のようなものがあって火山の噴火のようにうごめいている。力を加えてこれを押せば収まるのである。



巻第二 出産


(診断)


1.

診断について述べよう。臨月には、まず詳しく診察して順逆をきっちり判断する。一般的に、妊娠の状態は、手で按じて、お腹の中が垣根があるかのように上が張って大きく下が狭く小さくなっているのは正常位である。すなわち、手で腸骨の上を押さえると児の頭が骨盤の中にうずまっている。下の方が張って大きく上が狭く小さくなっているのは逆子である。すなわち、手で腸骨の上を押さえるとその上際がスカスカになっていて両指が入るのは難産になると分かる。胎児が片方に偏って頭が右股に入っているような場合は、治療しないでいると横産になる。


2.

一般に、生まれてくる児で、頭から尾骶骨までの長さが1尺に満たないものは必ず死ぬ。たとえ無事生まれたとしても育たない。職人の尺では8寸である。


3.

一般的に、お産のときの脈は浮、数、弦、大であるのがよい。難産のときの脈は押してみて力がある方がよい。


4.

世間では、生まれようとするときの婦人の脈は離経になると言っている。しかし、これは難経で1呼1至を離経といっているものとは違う。私は数々の臨産婦を診てきたが、脈の形がこの離経であった者は千人中わずかに一人か二人である。一般に、お産で極まり易いものは、破水してから脈が左右とも、または右か左のいずれかが必ず沈、細、滑となり、その子がまさに生まれようとするときに寸口の脈が皆離れてしまい指先に入り、出産後また元の位置に戻る。離経とはこのことを言っているのであろう。


5.

痛みが5週間続いてから出産する場合、その痛みが日に日に下に降りていって腰に至るか、あるいは、その痛みが起こったり収まったりして出産すると突然痛みが消えてしまう場合は、胎児がお腹の中で死んでいると考えてよろしい。


6.

臨産婦で顔色が青白いのはいいが、赤いのは危険である。


7.

いつ生まれるか誰が分かろうか。草の根や木の皮が出産を促すことができるとして、世間で催生薬として勧めているのは根拠がない。ただし、臨産婦が服用して気血が補われるというのは正しいかもしれない。


8.

子宮が開けば、破水して出血を見る。羊水は胎児を包む膜の中の水であり、その色は清冷として粘りがあり白いひよこの色に似ている。思うに、内気が強く締め付けられて胎盤を圧迫し、膜の中の水がまず押し出され、同時に児の頭頂の上に集められる。そして内気が強く拍動し、児が産門に及ぶと、頭のところの膜が留まることができずに自然に破れる。破水が5、6回続く場合は、膀胱からの排泄であり、腹の中の羊水ではない。


9.

一般に、破水せずに出産する場合は、膜に入ったままの児である。破水があって出てこないのは逆子である。


10.

お産のときに小便が出るのは児の頭が骨盤内に入っていないからである。横産や逆子でない場合にはその児はすでにお腹の中で死んでいる。故に、小便が出ない方が出産は順調である。しかし、死んだ胎児でも小便が出ないことがあるので、医者は出産のときは慎重に診なければならない。


11.

一般的に、出産時に破水が続くのは、胎児が死んでいる証拠である。しかし、そのときも医者が胎児の頭の上を探って、かすかに動気があり、手の指に感じるときはまだ胎児は生きているのである。胎児が死んでいる場合は動気を指に感じない。


12.

一般的に、痛みが腰にあって激しい場合は正常位である。初産で痛みがただお腹にだけあって腰や肛門まで下りないときは、横産や逆子でない場合はその児はお腹の中で死んでいる。


13.

一般的に、出産時に児がまさに出ようとするときに腰の痛みが収まり、肛門が大いに痛みだすことがある。このときの引き出す方法については、坐草の術に詳述する。


14.

産婦のいきみは児がまさに出ようとするとき、さらに強まる。その声は息をするたびに強まっていき振幅も大きくなる。産婦が終始うつ伏せにしているときは児は生きている。息をするたびに声が細く微かになり、産婦が終始仰向けにしているときは児は死んでいる。一般に、胎児が死んでいるときは、お腹を押しても気力がなく、指が沈んでいく感じがする。脈を診ると、力なく形はまさに結脈のようになっている。


15.

腰椎に接していて臍のラインの下の方にある骨は腸骨である。腸骨の一部が曲がって斜めに下ったところ、股間で合体しているのが恥骨である。その恥骨結合の長さは男子では3分、女子では5分、経産婦では1寸余りである。この部分を会陰といい、恥骨の前が陰部で恥骨の後ろが肛門である。陰部から中に4寸入ったところの肛門の上に子宮がある。子宮の長さは8寸で、その出口は常に背後を向いており、腸骨の下辺がまさにその出口に当たっている。児がまさに出ようとするときは、子宮はその出口を反転し、恥骨が全開し、陰部の肉が皆陥没し、会陰が上がり、直腸が後方に下がっていく。故に、児が子宮を出てしまうと、児の頭頂がすっと下がり、逆さに会陰に直立する。大きく回転し、飛び跳ねるように脱出して産道を出てくる。子宮の形は曲がった瓢箪に似ていて、児が出てしまえば、その口が巻いて縮んで中に退き4寸余り入って、元の位置に戻るのである。


16.

児の頭頂が子宮を出ないまま2日経っても死ぬことはない。2寸余り出ていて出産できないでいると必ず死ぬ。臍の緒が巻き付いて口鼻を閉塞するためである。出産時に児がまだ出ていないのに胞衣が先に下る場合は胎児はすでに死んでいること必定である。一般に、分娩のとき児が生まれようとして生まれず、母親が力強く何度いきんでも下すことができないときは、乾燥した便がこれを塞いでいるためである。陰中を探り、肛門の近くで硬い物があり、石のようで指背を妨げておれば、これが乾燥した便である。思うに、児の頭がこれを圧迫して乾燥した便が前の方へ向くために、産門の脹痛がますます甚だしくなるのである。すぐに蜜を指に塗り肛門に入れてこれを脱出させなければならない。大便が出ればすぐに児が出て来る。日頃便秘に苦しんでいる人にこのことが多い。知っておかないといけない。


17.

世間では、お産のときに児が体を回転させて生まれ、いまだかって体を回転させないで生まれた例はないと言っている。よって、一切の横産や逆子はみな妊娠の初めにその原因があるということを知らない。そして、その罪を産婆の巧拙と薬の服用の遅速に帰しているのである。何と嘆かわしいことであるか。逆子で片方の足から出るような場合はまだ救うことができるが、横産で手から出て来る場合は、もともと腹帯で胎児を偏らせているため、歪斜が甚だしい。医者が急いで押し戻しても、順直にならないときは胎児は必ず死んでしまう。胎児が死ねば母親だけひとり生きることはないのである。ただし、やむを得ず、死んだ児を突き刺して取り除いてあげれば母親の命を救うことができる。このことは、私が大変残念に思うところである。


18.

産婦の坐草は早すぎてはいけない。必ずそのいきみが重なって倍となり一両次となるのを待ってから坐らせるのである。そうしないと恐らく、産婦の体力が消耗してしまい出産後虚脱状態になってしまうのである。また、決して産婦に努力を強いることのないようにしなければならない。


19.

産婦のいきみが極まって、陽気が完全に尽きて上に集まった後、児が勢いに乗って脱出して生まれてくるのである。故に、生まれ落ちたときの児の肌は極めて冷たく色は白く、撫でると水のようである。しばらくして初めて声を出す。すると体全体が温まり、肌の色が赤みを帯びてきて、徐々に冷えきった体が健全になっていく。泣く前からその肌が暖かい児は3日以内に死ぬ。


20.

児がお腹の中にあるときは、皮膚や骨は極めて柔らかい。そのため、分娩の際に、頭蓋骨も圧迫を受け変形するが、脱出するとすぐに元の形に戻るであろう。ただし、世間では脱出時に風を見て膨張すると言っているがそうではない。


21.

胎児がお腹の中にあるときは、正常位であろうと逆子であろうと皆背面している。産道を出ると、男児は必ずうつ伏せになる。女児は体をひねって回転しながら出るために、脱出後は仰向けになる。


22.

臍の緒は短いもので1尺、長いもので3、4尺であるというが、どれほどの長さであるかは未だもって分からない。ただし、世間では苦しみあえぐのはこの臍の緒のせいであると言っているが、それは間違いである。数々の出産を見てきてが、首に臍の尾が巻き付いている例は10人中7、8人もある。どうして世間の妊婦が皆苦しみあえぐのか。楊子建が言うところの難産のごときは、今推量するに、乾いた便が塞ぐためではなかったのではないか。私は今まで、臍の尾が肩にかかり、そのために難産になったという者を見たことがないからである。


23.

胎盤と腸がいっしょに脱出するのは、産婆が正しい方法を知らないからである。強いて努力させるがために、その腸が脱出するのである。産後の脱腸もまた、強いて胞衣を出すよう努力させるからである。生む前に腸が脱出する者は、指でこれを押して、産門の上辺に収めてから出産させなければならない。




(治法)


1.

症状:臨産婦で嘔吐が止まらず、下腹部の気が上って何かが心臓を突き上げる感じがする。これは治療できない。

原因は、児が死んでいるためと考えられる。


2.

症状:児の手が露出して前腕や上腕まで現れてくる。これは治療できない。

児は脱出できないため必ず死ぬと考えられる。


3.

症状:脱腸、脱肛もしくは子宮脱。

治療については後述する。


4.

症状:臨月に耐えがたいほどの腰痛がある。

治療は、後の座草の術で述べる。


5.

症状:恥骨が開かない。

推量するに、子宮の出口が反転できるときは恥骨は必ず開くのに、開かないというのは、児がまだ生まれる時期ではないのに、強いて出そうとするからであり、児が子宮を傾けて出口を閉めてしまい、かえって子宮が奥の方に引っ込むのである。


6.

症状:分娩時に陰部が裂ける。

原因は、産婆のやり方がまずいためと考えられる。一般的に、お産を手助けする者は、全て上の方へ取りだすべきで、下の方へ取りだすべきではない。下の方の筋肉は脆弱である。児の頭蓋骨がそこに当たると必ず破れる。このときは生肌完膚散を主に使用する。

生肌完膚散の処方

ニンニク百銭を焼いてその成分を残す、軽粉11銭、莽草5銭を日陰で乾かしてから焼いて灰にする

以上の3種をごま油で調え、傷口に塗る。はなはだ神効がある。


7.

症状:出産時に乾燥した便のために産道が狭くなる。

治療は、論のところで述べたように、蜜または膠餅などで便を下す。膏油類でもよい。


8.

症状:自力で出産できない。

治療は、先ず、人参や附子の類を与える。それでもなかなか生まれず、胎児が死んでしまい背部や腕が露出した場合には、必ず母親の方も死ぬ。早めに決断して救済するようにしなければならない。その救済法は、医者が小さい机に寄りかかり、母親の気を静めてから、帯を解き、ムシロに寝かせ、枕を高くし、股を開いて膝を立てさせ、足底で机を突っ張らせ、仰向けにする。医者は両脚を伸ばし、足先で母親の両方の臀部を押さえて、股間を両膝に寄せさせ、外側に倒さないようにして、施術を行うようにすればよい。


9.

症状:児の半身が露出してもなお脱出できない。

推量するに、児の腰部があまりに大きくなりすぎているか、大腿部が巨大な柱のように大きくなりすぎているためで、このような場合には胎児は死んでいることが多い。自力で脱出させることができないので、医者が何らかの方法で救済する必要がある。私が経験したのは2例だけで、数万人に1、2人にすぎない。この両名の母親は私が救って死を免れている。今後のために、特にここに記しておく。


10.

症状:出産時の破水後、なお出水が止まらない。

原因は、児がお腹の中で死んでいるためと考えられる。児がすでに死んでいるのに出水がない場合もあるが、それは児の頭が腸骨の中を塞いでいるからである。そのときは母親は必ずお腹や股間が腫れてくる。児が死んで3日経過すると、その頭部が自然に3つに引き裂かれた状態になる。

治療は、主に回生の術を使う。



(治術)


1.

治療術について述べる。妊娠の治療で一番重要なのは出産である。そのときは、救護が8割で湯薬が2割である。従って、救護の術ができなければ湯薬は無効である。それなのに、今の医者はもっぱら湯薬の性質を論じて、救護の術は行えない。母親が坐草で起居し児の分娩で生死がかかるときには、ただ産婆にまかせて、漫然として手を加えることがない。そこで、少し危くなると、茫然自失し、坐草の上で母子ともに死んでいるのを見ることになる。これがどうして病人を救い人々の健康を育む医者のやっていいことと言えるだろうか。その上、世間の産婆というものは、皆後家か行かず後家で、やむを得ず行っている者がほとんどで、無知な女子であるから、ただお湯で体を拭いてあげることぐらいしか知らない。どうして、生死を推量し、成否を判断できようか。故に、妊娠治療においては救護の術がぜひとも必要なのである。その術には5つある。1に坐草、2に抒倒、3に整横、4に挙攣、5に回生である。

まず、坐草の術について述べる。分娩のときに疼痛あれば、人が手で常に腰の八髎穴以下を上下に抑按して、休まずに続けなければならない。しばらくしてその痛みがやや下がって、しきりに便意を催した場合には、帯を解いて、草の上に坐らせる。その坐り方は、足首を開かせて尻の外に出してしまう。このとき医者は産婦の前に坐り、両手を肩にかけて首の後ろに回し体を持ち上げ自分に寄りかかってもらう。医者はそこで右手を綿衣で包み産婦の股間を探り、腕骨で産婦の尾骶骨を持ち上げて坐らせる。それから左手で産婦を抱きかかえ、陣痛が起きるたびに右手で持ち上げて按じ迎え起こし、左手で強いく抱きしめ持ち上げる。陣痛が再び起これば、先ずその綿衣を外し、人差し指と中指の2本を陰部に入れて探り、胎児が横逆になっていないかどうかをみる。その方法は、先ず肛門に向けてから指頭を反転させて上に向けて探る。このとき、子宮の出口がまだ内の方にあり、胎児がその中にあり、頭が膜で覆われているときは、これを探ると濡れた絹のようなものが膜である。子宮から出ている場合は、出口が開いて張って、児の頭頂が出ており、膜で覆われていても指頭で探ることができる。まだ子宮を出ていない場合には、その膜の中に羊水が満杯になっており、今にも噴き出ようとしている。産婦の腰股の痛みが激しく引き裂かれそうなときには、医者はその張ったときを見計らって爪で膜を破らなければならない。水が漏れ出て、気が達すると、痛みが半減し、母親の気が最高潮に達すると、分娩はますます容易となる。羊水が出てしまうと、出産のときである。医者は自ら小さな机に寄りかかり、左右の膝頭で産婦の下腹を強く挟み、胎児を傾けて降ろさないようにする。また、右手で持ち上げるように按じ、左手で前述のようにして産婦の体を持ち上げる。思うに、児が子宮から出てしまえばすぐに下り、頭頂が逆さになっているので、産婦の会陰部を支えて直腸から押し出す。目の中に火が出るように痛みが極限に達し、脈が移り、激しく回転し飛び出てくる。このように産道から出てくるから、世間の産婦は分娩によって陰門の下が裂けてしまう。また、その激しく回転して脱出した際に、産婆がやさしく肛門を按じてあげないから裂けてしまうのである。だから、右手で持ち上げるように按ずるのである。これが坐草の術の最も大事なところである。周到に慎重に心を配らなくてはならない。左手で体を持ち上げる術もまた、拳上するごとに、産婦の下腹を医者の肩腕と互いに摩切するようにして少し押し上げるような感じで行うようにする。

この術を用いるときに、産婆が産婦の背後にまわり、直腸を按拒して押し出さないようにして、医者が前に来て両膝で下腹部を挟み、両手の手掌側の骨で下腹を締め付けるように圧迫して起こし、何回もこれを繰り返す。すると、臍の上方に集まり、しばらくすると胎児が肛門に達する。直ちに産婆は両手の指を互いに組んで背後から産婦の下腹を受けるようにする。腹に当ててゆっくり胎児を取り上げるようにすると、特にうまくいく。ただし、疼痛が甚だしい場合には、ただ持ち上げるように按ずるべきである。


2.

次に抒倒の術について述べる。子宮の中を探って胎児の足踝に触れたら、医者は先ず手でこれを押し戻し、そこで産婦を蓆に寝かせ、枕を高くし、股を開かせ、仰臥位にする。そのあとで、児の足の親指を握り、それが左なのか右なのかを判断する。左足であればさらに右足を探し、右足であればさらに左足を探す。両足とも探りあてたら、手の中指を児の股間に置いて左右の足を挟んでつかみ、滑脱しないようにしておいて、医者が自分の腰を上げ、膝頭で立ち、力を入れて急いで引き上げて取り出す。すると陰部の出口を傷めず出産できるのである。もし、医者が到着する前に児の足が露出し、産婆もこれを押し戻すことができず、膝または股関節が脱出したときには、同じように左右の足を探しても見つけることが出来なければ、手遅れとなり、産婦は苦痛に耐えられず、まもなく必ず死んでしまう。しかも、その児も生きて生まれることは決してない。ただ、急いで片足を綿衣で包んで、腰を持ち上げて、引き出す。各自が胎児を引き抜くのに上述のようにすると、一方の脚も引きずられて脱出してくる。急いでこの術を用いれば、母子ともに助かる。もし、ぐずぐずして決断が遅れるか、または逆子を回転させて生ませるのではないことを知らない場合には、必ずこのことが原因で母子ともに死に至る。後悔しても遅い。もし、また、前述のように児を引き抜くときにすでに児が死んでいて、首の骨が母親の腸骨の間に挟まって取り出せないときは、産婦の首を下向きにして寝かせ、股を開かせてうつ伏せにする。綿衣で胎児を包み、左手でしっかり把捉して引っ張り、右手の母指で頸だろうと咽喉だろうとかまわず、素早く叩き降ろす。左手で勢いよく一斉に腰を持ち上げて引き抜く。すると、児が出て来る。一般に、このような場合や、胎児を陰部の下側に沿って引き抜くと、必ず陰部の出口の下の方が裂けてしまう。陰部の上方に向けて引き抜くと、傷ついたり裂けたりすることがない。だから、必ず腰を持ち上げるようにしなければならないのである。また、探っていると児の臀部にあたることがあるが、これは坐産と呼ばれている。児を押し戻してから、お腹を按じて児の脚を伸ばしてやり、それから足をつかんで引き抜く。もし、胎児が死んでおれば回生の術を用いて救済する。


3.

3番目に整横の術について述べる。子宮の中を探って、手指か、または元々腕が曲がっていて肘が見えている場合は、医者は先ず、手でそれを押し戻し、そこで、産婦の枕を高くして股を開かせ仰臥位にしたのち、左手を子宮に入れ、露出している手指か肘頭を按拒して、右手を産婦の左下腹に置いて、児をつかんで力を入れて押し上げ、正しい位置に戻してあげれば、児は生きたまま出産できるのである。


4.

4番目に挙攣の術について述べる。二人とも逆子である場合を除けば、双子は皆出産させることができる。首を並べて下向きになっている場合は、探って、頭が少し退いている方を後方に戻し、頭が少し前に進んでいる方を始めに出す。その方法は、両手をそれぞれ産婦の下腹部の横に置き、後ろの方の胎児を腸骨の際から押し上げておいて、先に出す児の方を下腹の上から押して下せば出やすい。ただし、前述のように産婦を高枕で仰臥させて、後に出す方の児がいる位置で、産婦の体をやや傾けて仰臥させれば、うまくいくこと請け合いである。双子の一方が正位で他方が逆子の場合は、前述の方法を参考にして、出産することができる。首が並んで下を向いているが、胎児がお腹の中ですでに死んでいて、分かれて下って、それぞれの頭が両方の股に入り込んでおり、急いでいっしょにすることが難しい場合には、生きた胎児の首が並んで下向きの場合と同様の方法で行えばよい。


5・

最後に回生の術について述べる。一般的に、横産で、手が露出して、肘から上腕まで出ておれば、その児を取り出すことができないばかりか、母親もまたこのことによって必ず死んでしまう。児が生まれる前にお腹の中で死んでいるような場合も同様である。このときにこの術があるのである。いささか思うところがあって、その内容を書き残しておくことができない。しかしながら、私は常々この術を使って人の横災を救い、児を取り出して母親を助けたのは千回にものぼる。弟子たちの中で一、二人だけがこの術を引き継いでいる。



巻第三 産後


(診断)


1.

診断について述べよう。世間では臍帯を切ってから急いで結び、物をぶら下げておく。胞衣が上昇するのを恐れるためと思われる。これは、胞衣が本来上昇する性質ではないことを知らないからである。このことに拘泥してはならない。また、臍の方からわずか3、4寸のところで切るべきである。


2.

胞衣は小さいもので5寸、大きいのは8寸ある。双子の場合は1尺ある。また、私は以前、硬さが石のような胞衣を見たことがある。


3.

胞衣は夏は1日を過ぎるとただれてしまうが、冬は2日はもつ。ただし、2、3日下らないものは少しただれるけれどもそれほどの害はない。これを過ぎると、必ず手技を用いて下すべきである。そうしないと、胎盤に害が及ぶことが多い。


4.

一般的に、胞衣が下らないときに医者が行う按腹の術は、下腹の背後から按摩するのが正しく、決して前腹を按じてはならない。もし誤って前腹を按じると、按ずれば按ずるほど臍帯が縮こまり、切り取った残りが全部腹中に入り込んでしまうだろう。


5.

児がすでに下っているのに胞衣がまだ腹内にある場合は、胞衣が付帯しているところが逆転して上を向き、胞衣が子宮の裏の最も高いところに引っ付いているのである。これを下すのに、その方法はちゃんとあるのであるが、それを知らないで、しきりにお腹をさすると、さすればさするほど、いよいよ入り込んでしまい、ついには下すことができなくなる。このことは心得ておかねばならない。


6.

一般に、産後3日間は、諸の外症や虚実にかかわらず、必ず折衝飲を服用させなければならない。悪露がなかなか尽きないと、百病がたちどころに発症し危険な状態になる。くれぐれも用心しなければならない。


7.

脱腸が収まった後、尿意を催したら、必ず、綿衣を当ててその上で用をたすようにすること。また、両方の足首を開き、尻の外に出して坐らせるようにする。そうしないと、再び脱出する恐れがある。第一和剤でこれを調整すべきである。


8.

産後に血暈を発症する場合は、おおむね分娩後すぐに立ちあがって歩きまわったため、委食の府を動かしてしまい瘀血の気がこれを挟んでみぞおちを圧迫したためであろう。すぐに立ち上がって歩かなければ、血暈を起こすことはない。よく心得ておくこと。


9.

世間の習慣で、産後にはなはだ厳重に風冷を防ぐことが行われているが、隙間を塞ぎ窓を閉め切るなど愚かなことである。産後の人家で、戸や窓を密閉し、暖炉を作り、燃え盛る炎で蒸して、ついに産婦の気血が煽られて逆上し救えない状態になっていることがある。これは戒めとすべきである。産婦はただ下半身を風に当てないようにするだけでいいのである。その他は、住まいや飲食はもっぱら平常のとおりにしておいてよい。


10.

産後は白梅と黒豆は食べてはならない。そもそも、白梅は酸を収める性質があり、悪露の下るのを難しくしてしまい、黒豆の性質は薬の気を消しやすいため、湯薬服用の効果をなくしてしまうのである。


11.

一般に、産婦は分娩後に起こして歩かせることなく、椅子に腰かけさせないようにしなければならない。蓆に寄りかかって高枕で右側を下にして横臥させなければならない。初めての出産の後は、いろいろ思い悩むことのないようにさせてあげるのがよい。


12.

難産を医者が救って無事出産できた場合、蓆に臥して半時ばかりして多くは震えが来て発熱して呼吸が速くなることがあるが、恐れることはない。血暈がないために体が震え呼吸が速くなるのである。多くは参附湯を服用したための発熱である。


13.

一般に、産後は香蘇散を用いてはならない。産婦は貧血気味で奪しやすいためである。


14・

難産を医者が救って無事出産できた場合、児が出た後は、産婦の息遣いが落ち着いてから後に胞衣を下すようにしなければならない。母親の暴気が尽きてしまうまで待つのである。


15.

産後に乳汁が出ない者があるが、必ず30日後には出るようになる。そもそも、古い瘀血が尽きて新しい血の流れが起こってくるのである。


16.

産後14、15日間は入浴は控えること。そもそも、産後しばらくは悪露がまだ尽きず、気血が虚しているのに入浴すると、皮膚の肌理が大きく開いて、虚邪が必ず襲ってくる。そして、瘀血と熱気が交互に起こり、体を害することはなはだしい。多くの人家で入浴の悪い習慣を守って産後6日に塩湯に入浴している。入浴後衣をまとい、汗をたくさん出しているが、このために平穏であった産婦の状態が急変し、発狂し暴言を吐き、あるいは高い熱を出して湿疹が出たりなどの症状が起こる。そしてついには、衰弱して立ち上がれなくなくなってしまう者がかなり多くみられる。故に、私が、産婦を治療するときに、一切の禁忌へのこだわりをなくした、ただ沐浴だけを厳しく禁じるのは、このためである。産後8日間は、下半身は厚着して、熱湯で濡らした布巾で汚れた所を拭い去り、それが終わってから上半身の衣服を脱ぎ、布巾で拭うようにする。すると、身体が清潔になり、効果は入浴したのと同じで、しかも賊風が襲ってくることもないのである。


17.

褥癆には2種類ある。ひとつは虚証に属し、もうひとつは瘀血に属する。必ず10日後に発症する。頭痛発熱して咳が出て、体中が具合悪くなる。よく食べ、乳汁は濃いのが出るのは血虚である。瘀血の場合は、気血が上逆し、食欲なく、乳の出も少ない。


18.

産後17、8か月、順調に経行してとどまることのない者は乳汁は必ず濃いものが出る。7、8か月でたまにしか出なくなる者は房事多くて血が動ずるためである。


19.

世間の医者が、血が胞衣の中に入って大きく張って下らなくなる、と述べているが、これは間違いである。胞衣は腹中にあっても必ず自然に縮まるもので、大きく張ることはない。それが下らないのは、常に腹帯をして締めつけているからである。産後は必ず腹帯を禁じ、身につけないようにしなければならない。



(治法)


1.

症状:胞衣が下らず血暈を起こす。

診断:治りにくい者が10人に5,6人いる。

治療:先ず、血暈を治してから胞衣を下す。但し、血暈を発症してから4時間を過ぎた者は死ぬ。


2.

症状:産婦は起きなければ血暈を発症することはない。しかし、このケースでは起きないのに血暈を発症する。

診断:血熱が盛んで脈が激しく打つ。

治療:禁暈の術を主に用いる。薬は折衝飲を与える。


3.

症状:産後の精神異常。

診断:敗血が上衝するためである。

治療:鎭亢丸を主に用いる。

鎭亢丸の処方

水銀、黒錫、辰砂各々十銭

以上の3種を栗木片でかきまぜる。鉄盆の中で星が見えなくなるまで行う。糊を丸めて、先ず夜寅の刻(午前4時)にその半分を与え、それでも収まらない場合には翌日の寅の刻に残りを与える。


4.

症状:産後にたわごとを言い、斑点が出る。

診断:産後7日を過ぎていないのに入浴し、浴後に大いに汗が吸い取られるためである。

治療:冷水を顔にかけ、洞当飲を与える。のどが渇く者には、麦門冬(ばくもんとう)と括楼根(かろこん)を加え、自然に清解するようにする。虚している者は必ず死ぬ。


5.

症状:産後寒さで震え歯ががちがち鳴る。

診断:瘀血である。

治療:折衝飲を主に用いる。


6.

症状:産後に血暈を起こす。

診断:顔を伏せて眠ろうとし、覚めない者は元気が虚乏している。仰向けに寝る者は血熱の気と食穀の気とが争っている。

治療:禁暈の術を主に用いる。虚乏の者は速やかに血暈を止めてやれば生きる。止めるのが遅く、何回も血暈を発症すれば、治すのは難しい。


7.

症状:産後の崩漏(子宮の病的出血)。

診断:栄気が血を養うことができなくなっているのに、産後に起き上がるからである。故に崩下(少量の出血が長く続く)する。

治療:遏(あつ)崩の術を主に用いる。


8.

症状:産後胞衣は下ったが瘀血が下らない。

診断:血気が熱して結するのである。

治療:折衝飲を主に用いる。


9.

症状:産後の児枕痛。

診断:痛みが右腹に出るのを児枕痛という。

治療:産後すぐに痛む場合は瘀血であり、その痛みは一時的で、起き上がると収まる。もし、痛みが続くようであれば折衝飲を主に用いる。産後2、3日してからその痛みが出れば、便秘である。産婦に確かめてそうであれば、朱明丸を与えて、右を下にして横臥させること。


10.

症状:産後に胞衣が下らず、そのまま2、3日経過する。

診断:婦人が元々虚乏であり、お産によってますますそれが甚だしくなったために下すことができないのである。誤って急いでこれを下せば死んでしまう。

治療:先ず、婦人を高枕にしてゆっくり休んでもらってから、臍の下を押して動脈の拍動が微弱であれば、その胞衣を落ち着かせて、無理に下してはならない。先ず、頻繁に牛膝や附子の類を与え、しばらくして脈に力が出てくれば、その胞衣を下してもよい。


11.

症状:産後の発熱と渇き。

診断:産後に頻繁に半身浴をし、入浴後に寒冷を受けて発症したものである。

治療:洞当飲を主に用いる。


12.

症状:虚汗が止まらないか、自汗や寝汗をかく。

治療:血が順になれば治る。第三和剤湯の類を主に用いる。


13.

症状:産後に全身が痛む。熱や疼きや痒みを伴う。

診断:熱があるのは血、疼くのは寒、痒みがあるのは気に属する。

治療:熱がある場合はこれを下げるために折衝飲を主に用いる。疼く場合はこれを温めるために第四和剤湯を主に用いる。痒みがある場合はこれを巡らすために第三和剤湯を主に用いる。


14.

症状:産後に両脇が痛むか、または腹痛が長く続く。

診断:便秘の可能性がある。もし、産後2、3日して大便が気持ちよく出て、瘀血も下ったのに腹痛があれば、陽が脱して虚したためであるので治すのは難しい。


15.

症状:産後に臍の下が急に痛む。

診断:気、血がともに虚したためで治すのは難しい。また、悪露(分娩後に子宮から排出される分泌物)が固まったために痛む場合がある。


16.

症状:産後に腰がぬけて足腰がきかなくなる。

診断:産後に気血が調っていないのに強いて椅子に座らせようとしたためである。

治療:第七和剤湯を主に用いる。

第七和剤湯の処方

当帰、乾地黄各々1銭、芍薬1銭、芎5分、牛膝、杜仲各々1銭

異常の6種を水2合半で煎じて1合半をとる。


17.

症状:産後に小便が出ない。

診断:子宮が腫れてこうなる場合がある。

治療:洩閉の術を主に用いる。玄英や折衝の類を選んで用いる。


18.

症状:産後に乳の出が少ないか出なくなる。

診断:その人に元々蓄血があるのである。

治療:先ず折衝飲を用いて蓄血を下し、それから乳生湯を与える。

乳生湯の処方

白朮、芍薬、当帰、川芎、茯苓、桂枝、杜仲、乳香各々1銭、甘草1分

以上9種を水2合半で煎じて1合半をとる。


19.

症状:産門が閉じない。

診断:難産のため気が虚して、下腹部を守れなくなったのである。

治療:足を寄せて仰臥させれば、4、5日で自然に元に戻る。


20.

症状:産後に肛門が脱出して戻らない。

治療:収肛の術を主に用いる。


21.

症状:産後に下痢する。必ずお腹が張る。

治療:第三和剤湯に猪沢を加えて与える。ほかに青陽丸3両を1昼夜服用する。


22.

症状:産後の便閉。

治療:朱明丸を主に用いる。


23.

症状:妊娠中に水腫となる者は産後に必ず血暈が起きない。胸より上が腫れる者は逆水である。腹より下が腫れる者は下水である。逆水の場合は分娩後必ずすぐに死ぬ。下水の場合は産後に喘息を発症し治すのは難しい。


24.

症状:産後の頭痛。

診断:脾と胃が虚しているか便秘の可能性がある。症状に従い治療する。


25.

症状:産後の心悸亢進。

診断:血気が虚し、恐怖におののき、心悸亢進する。

治療:八物湯を主に用いる。

八物湯の処方

人参、白朮、当帰、茯苓、乾地黄、芎、芍薬各々1銭、甘草5分

以上8種を水2合半で煎じて1合半をとる。


26.

症状:産後に月経を迎え発狂する。

診断:産後に17、8か月間月経がなく、そして突然来る。すると、汚熱が煽動して血の流れが乱れ、そのために発狂するのである。

治療:鎭亢もしくは三黄に辰砂を加える。瘀血がある場合は折衝飲を用いる。


27.

症状:産後にひきつけを起こす場合は必ず7、8日後である。

診断:強いて椅子に座らせたために発症する。


28.

症状:産後の喘息。

診断:便秘による可能性がある。便秘でなければ必ず死ぬ。

治療:便秘には朱明丸を主に用いる。


29.

症状:産後のひきつけ。

診断:血気が上逆するためである。

治療:龍翔飲や抽刀散の類から選んで服用する。


30.

症状:産後の中風あるいは傷寒。

診断:栄衛が失調したためである。また、瘀血と乾燥した便に原因がある場合もある。

治療:第四和剤湯または折衝飲や朱明丸を選んで服用する。


31.

症状:産後の腹満。

診断:便秘があれば腫れは先ず腹部に起きる。

治療:先ず、朱明丸を用いて乾燥した便を下す。そのあとで第四和剤湯に猪沢湯を加えたものを主に用いる。


32.

症状:産後に言葉が出ない場合は、日を経れば自然に話せるようになる。



(治術)


治術について述べる。産後の治療は、慎重に、正しい方法を選択しなければ、かえって、たくさんの病気を生んでしまう。その治療術には、1に鉤胞、2に禁暈、3に遏崩、4に納腸、5に収宮、6に復肛がある。


1. 鉤胞の術

およそ、胞衣が下りにくいのには2種類ある。ひとつは、産婦が元々気血虚弱にして児を出産した後、真気が憔悴してしまい、再び奮い立てないがゆえに、胞衣が下ることができない。ひとつは、産婦は元来壮健であるものの、不幸にして難産となり、非常に苦しみ命がまさに尽きようとしたときに医者に救ってもらい、かろうじて死を免れて神気が混沌とし、体中から力が抜け、再び奮い立てないがゆえに、胞衣が下ることができない。およそ、このような場合には、先ず、詳細に脈を診て、微、細であればすぐにこれを下してはならない。手足の冷えている場合も同じである。産婦には人参や附子の類を与え、脈が戻り、手足が暖かくなってから胞衣を下すのである。もし、誤って早急に下そうとすると産婦は必ず死ぬ。ただし、これを下す術は非常に奥が深く、言葉に表すのは難しい。ゆえに、ここに書き残しておくことができない。しかし、世間の産婦には、胞衣が下らないために命を落とすものが常に10人に4、5人はいる。いやしくも、この術を知らないならば、産婦を治療しても末路に放り出すようなもので、ああ、私はこの術を広めたいのであるが、言葉に尽くすことがどうしてもできない。幸いに、神のような理解力を持つものが現れれば、この術を文書にして、発表してもらいたい。これは、私が後進の者に託すところなのである。


2. 禁暈の術

産婦で血暈を起こすのには3種類ある。ひとつは、気血がともに虚して産後に大いに気が動転して激しく燃え盛り、胃腸の汚物を挟んで押し上げるため胃が閉塞してしまい通らなくなったために、昏睡し人事不省に陥ってしまう。これは大変危険な徴候で、頭を伏せるようになると術で血暈を治せても、死を免れることはできない。二つ目は、子宮にもともと熱が蓄積されていて、その邪気がはなはだ敏速であったところに、出産によってお腹の中に大きな空白ができ、邪気がその虚に乗じて食穀といっしょになって上昇し、胸に迫ってきて眩暈を起こす。このような場合には4時間ほど過ぎても治らないと多くの場合救済はできない。三つ目は、産婦はもともと壮健で食欲もあるのに、分娩後誤ってやぶ医者の言葉を信じ悪習に従い椅子に腰かけようとして、無理に起き上がって椅子に座ろうとしたため、起き上がって歩いたことが胃腸の動揺を招き筋脈が引きつけを起こし血気が乱れ、食穀が拍動して石のように硬くなってしまい、ついに、上下に飛び跳ね、胃の入り口に近づいて眩暈を起こす。このような眩暈は手当を施せばすぐに治まる。先ず産婦の寝床をこしらえ、多く衣服を巻き付けて、上の方を高くし下の方に向かって徐々に低くし、枕を置く。医者は産婦をなでると、その心窩部で必ず盃を逆さにしたようなもので石のように硬い物に触れる。これが跳動するのが手に感じ取れる。このとき、腹帯があれば先ずこれを取り去り、そこで、右手の外側の骨で力を入れてその物を押さえ、左手を婦人の右脇下にもっていきこれを支えとし、右手に次第に力を加えていき、その物を押して圧迫して右側の下腹部の委食の元の位置に戻してやる。すると眩暈はたちどころに止む。止めば、その椅子の前板を引き抜き、産婦を動かさないようにして椅子の底板を引出し、そのあとで、坐っている産婦を腕で抱えゆっくり動かして、寝床の方に移す。産婦の右膝を立てて、斜めに横になってもらい、枕に頭を置き、右側を下にして寝かせる。そうすると、血暈を再発することはない。


3. 遏崩の術

産後の崩漏(子宮の病的出血)は、発症する時期がまちまちである。胞衣が下ってすぐに起こることもあり、また4、50日から1年後に突然起こることもある。その症状は血の混じった下痢のようなものが勢いよく出る。急いで流れを止めないと、皆たちどころに死んでしまう。遏崩の術では、およそ、崩漏が起これば箸を投げて立ち、急いで駆けより、産婦の右側近傍に坐る。急いで脚を伸ばし、右足の股間で婦人の腰から下を束ね、産道を強く閉じて通さないようにする。少しも出血しないようにして、急いで独参湯を与え、それから高枕にして右側を下に横臥させると、産婦を救うことができる。もし、少しでも遅れたときには、救うことはできない。故に、産婦のいる家庭では決して椅子を用いてはいけない。たまたまこの症状が出ても、4週のX板(?)があるので急いでこの術を行えないからである。また、産後は必ず床に伏して側臥するならば、この崩漏は起こることがないのである。


4. 納腸の術

およそ胎盤と腸が脱出してから後に分娩するとき、もし産後に脱腸することがあるとすれば、これは皆産婆の誤りから起こるものである。産婦に力ませすぎたせいである。これを収める術は、医者が先ず、産婦の右側に坐り産婦の腕を持ち上げて医者の項後にからませ、両股を開かせて、身体を預けさせ、坐らせる。医者の左手で産婦の背中を抱き抱え、右手で産門を受け、その腸を束ね、すくって持ち上げ、自ら体を振わせながら身体を起こす。これによって産婦がいっしょに立ち上がり、頭が仰向けで腰が伸び背中が反り返り腹が張るのを見計らって、右手で一気に送り込む。すると即座に収まる。長年収まることができないで、黒縞模様に硬く乾燥しているのは麻糸で縛っておくと日がたって自然に落下し、傷もつかない。このことはよく知っておくように。


5. 収宮の術

産後に子宮が突出して収まらないときにこの収宮の術を使う。または納腸の術を使って収めることも可能であるが、収まらないときは、医者は左膝を立てて坐り、左膝蓋骨で産婦の腰の後ろを押さえ、左の腕で産婦の背中を受け、項にからませ手を外し、脚を伸ばして仰臥させ、また背中が反り返り腹が張るのを見計らって、右手で産門を受け、これを一気に送り込む。すると即時に収まる。子宮の突出を世間では陰門の突出と呼んでいるがこれは間違いである。


6. 復肛の術

婦人が元々脱肛を患っており、産後にさらに脱出して、痛みが治まらない場合は、婦人を壁柱に向かって坐らせ、鼻先と胸骨が足の指頭に当たる所まで身体を折り曲げ、その壁柱に寄りかかりながら、直立させる。産婦が直立できないときは他の人に産婦の背中を推してもらい、医者は背後から両手でお尻の肉を押し、脱出している肛門の肉を包み、徐々に揉みながら収める。一盞(?)のころには収まる。この術ははなはだ妙味がある。



巻第四 


(産後の椅子について)


わが国では近ごろ、婦人の大きなお産の後、必ず椅子を用いている。椅子の形はさまざまだが、大抵はみな後ろに背もたれがあり、左右に板壁があり、前に小さな横板があり、底面は引戸になっている。産婦が胞衣を下せば、椅子の周囲に布団を重ねて敷き、板壁の上にもまた綿布を被せ、そのあとで婦人を立たせて歩かせ、椅子に座らせる。しかも必ずきちんとした姿勢で坐らせる。お産から7昼夜は寝ても首を伏せることを許さず、看視をつけて見守らせ、少しでも横向きになると叱ってこれを改めさせる。17日後に、始めてこの苦痛から解放される。世間では、上は天子の后妃から下は士族の妻妾に至るまで、みなこの厳しい責め苦を甘受しなければならない。幸いにこの苦痛を免れられる者は、山野海浜の樵や漁師の奥さんたちだけである。そこで、中国の医者の産後の治療について考えると、その調整法というのは、ただ、しばらく寝台に上げて、仰臥させて側臥させないようにし、膝を立てさせ脚を伸ばさないようにし、寝台の頭に寄りかからせないようにするの類で、いまだかつて、産婦用の椅子の制度があるとは聞いたことはない。また、我が国の古い風習では書伝が散失して詳細に論ずることはできないが、以前、宇津保物語を読んだときに、ある姫が産後3日目にすぐに起きだしたため、人が諭して仰臥させたという記事が載っていた。この物語は寓話ではあるが、当時は産婦用の椅子がなかったという証拠を示すものである。したがって、最近になってその場限りのやり方としてこの制度が出来上がり、それが次第に浸透して、人々がその害があることを知らないまま続けてきたのであろう。


椅子が産後に悪い理由はおおよそ八つある。産後はお腹の中が大いに空っぽになっていて、そこにに悪露が詰まって蓄積し、熱気が非常に盛んになり、ひとたび身を起こすと、必ず胃の積聚が動き、熱気と相い搏って跳動し、移動して任脈に触れると健康な婦人でも必ず血暈を発症するのであるから、起き出して椅子に座ると必ずこの症状を発症する。これが一つ目の害である。生まれてすぐの頃で怖いのは崩漏脱血である。だいたい、跪坐させて仰臥させないようにすると、急にこの症状が起こる。椅子では必ず跪坐することになる。これが二つ目の害である。脱血は急いで処置すれば回復できるが、椅子に座っていると、四面が壁板で障害となり、伸ばしてやることが難しい。往々にして手遅れとなり、救うことができない。これが三つ目の害である。疲れ果て衰弱した産婦は、産後に栄血が大いに虚しているので、強いて跪座させると、気血が滞留し、筋脈が乱れ、そのため足が萎えることが往々にしてある。これが四つ目の害である。生まれてすぐの頃、寝ても首を伏せることを許さないと、力を使うので、心安らかに眠ることができず、気血の消耗を防ごうにも無理なことである。後日の血癆不起の原因となる、これが五つ目の害である。心安らかに眠ることができないと、血気がしばしば騒がしくなり、必ず経脈が熱を留め、悪露が下りにくくなる。これが六つ目の害である。産婦は必ず穀道が脱出する。そこで跪坐すれば収めることが難しくなり、瘀熱によって流動して必ず脱肛痔瘻を起こす。これが七つ目の害である。ひとたび椅子を用いれば必ず看守をつけて終夜寝ずに監視する。すると食事や薬の類が必ず過度になってしまう。これが八つ目の害である。


これら8つの害があるのに、世間の人がこれを廃すべきだということに気付かないのはどうした訳であろうか。古い風習を改めず、その場限りで、往々にして、人家の婦女が持病もないのに死んでしまうとは、なんと悲しいことであろうか。私は幼いころ、田舎で産婦を見ているが、みな出産後2日ですぐに起き上がり、普段と変わりがない。京都に来てからは、貴賤の産婦とも、みな7、8日を経なければ歩き出さない。そのため、みな椅子による害をこうむっていた。それからは、産婦を治療するたびに、必ず、その椅子を退け、ただ高枕にし、蓆に寝させるだけである。ゆえに、寝室でしおれていても、翌日には数里を歩けるようになる。難産で苦しんだ後でも、必ず疲弊することなく、起きて動き出す。人は往々にして、私の治療を奇術というが、そうではなく、椅子を用いないだけである。ゆえに、ここで特にこのことを論じて、あえて世に知らせるのである。有能の者がいて、追試すればますます明らかになろう。後日、人家に椅子のあるのを見れば、みなこれを壊して燃やしてしまい、この害を見過ごしておくことのないようお願いしたい。これこそ、私が将来の医療にたずさわる人たちに望むところである。


(腹帯について)


我が国の婦人は妊娠5か月目に綿糸で帯を作り、胸の下に巻く。胎児の気を静め、上衝させないためだという。今、この風習は全国津々浦に広がり、代々伝えられている。


昔、神功皇后は三韓に出征するときに身ごもり、鎧を着ても鎧が合わないため、帯を作って巻いて凱旋し、そして出産した。生まれた応神天皇の時代は、家畜の害もなく、世の中が穏やかに治まり、富み栄えたため、腹帯の制度がここに創始されたのである。後世の婦人は、このことを慕って、みな真似したという。


けれども、私は若いころ医学を習い、その後妊婦を多く治療してきたが、腹帯の害を受けた例がはなはだ多かった。よって、密かに疑い、神聖の伝えるところの道はこのようではなかったのではないかと考え、国史や帝紀を紐解いたが、この帯のことに触れているのはなく、ただ、元永の寵姫懐妊のところに著帯のことが載っていたのみである。東鑑を読むと、源大将軍の夫人が妊娠5か月のとき、その諸臣が帯を勧めたことが詳しく述べられていた。そこで、腹帯の説は元々こじつけにすぎないけれども、中古からのものであると知った。また、明の医者陳朝階の奚囊便方を読むと、その中に軟らかい絹綿を用いてお腹を巻きつける方法が書いてあった。これも、我が国の腹帯と同類であると分かった。しかし、私からみれば、これらはみな凡俗の言い伝えにすぎない。


そもそも、天地は至仁をもって徳となし、生きとし生けるものをもってその化となすのであり、試しに、竹が軒下に生えてくるのを観ると、地から出て数寸で必ず自ら屈曲して節を作り、事前に軒を避けて成長するのである。ここに、天地の生命を育む徳が観られる。また、試しに、盤石の底土にある草の根を観ると、その石が移動しない限り万年といえども根は動かないが、ひとたび石が動くと根は豁然と萌え出るのである。これによっても、天地発生の機序が推察されるのである。このゆえに、天地発生の機序は、いまだかって不適切な土地では働いたことがなく、天地の至仁の徳はいまだかって土地を選ばず行われ、かえってその生を害したことがない。


産育のことは発生の大端であり、その理にも何の違いもない。母の気は産育に任しておけば、自然に生を孕むのである。何ら防護策を講じなくても異常は生じない。このゆえに、禽獣草木の胎孕といえども、いまだかつて、腹帯という道具の厄介になっていない。今、人間はこれらとは違うと言う人は、道理が全く分かっていない。ゆえに、腹帯の説はいわゆる混沌の鑿なのだ。


また、胎児はすでに首を傾けてお腹の中に入っているのであるから、その気の上逆する理由はない。今、凡俗の悪習にならい、その非を顧みず、強いて腹帯を用いれば、包膜の悪血が胎児の臀部に蓋をして、母親の胸前が常に腹帯が締め付けるところとなるので、久しく底の方に沈着して滞結し、癥を作る。そこで、お産のときになると、臍の尾が下りにくくなり、産後に崩漏や血癆といった危険な症状を発するのである。懐妊中といえども帯を常にしていると、お腹を緊縛するのであるから、母親の身体が動くたびに胎児の方はその動きの変化に合わせることができないのである。そのため、上の方への動きが制限されて下の方へ戻されることになる。胎児が歪まないようにしようとしても、どうすることもできない。胎児が一方に歪んでしまえば多くの障害の本となる。しかれば、腹帯には益がないないばかりか、かえって害がある。どうして深く憂慮しないのか。


このゆえに、私は常にこの帯を用いている者を見れば、必ず、その理由を述べて諭し、その帯を解くように説得する。そのため、危険な状態に陥らなく済む者が、10人中9人はある。ただし、その習俗がすでに久しく続いているため、丁寧に説明しても、聞き入れてくれる者と疑う者とだいたい半々である。その効果を目の当たりにする者が始めて豁然するのである。ああ、天下の大きさに比べてわが身ははなはだ小さい。一生のうちに救済できる者の数はいかほどか。誰か、私の論を引き継いで、これを天下の民、後々の世まで広く伝えてくれないだろうか。私の諸言を聞いて、その理を広げる手助けをしてほしい。例えば、園芸を行う場合、自分で植え、土を被せ、水を与え、安んじて、そのあとで、一切忘れてしまったように棄てておけば、その木はぴんと真っ直ぐ伸び、かつ美しく育つ。もし、日々、木を揺り動かし、根を叩き、枝を矯め、葉を摘めば、やせ細り枯れてしまうのがおちである。産育の理もどうしてこれと異なることがあろうか。このゆえに、およそ、矯摘の意に類するものはみな肥沃さを台無しにし、あっという間に枯渇させてしまうだけである。ただ、腹帯ひとつに限るものではないのである。



付録

子玄先生の治験48則


子玄先生は、産婦の治療が優れているということ京都随一である。すでに30年、都の多くの人が先生の治療を求め、その数は毎年1万人にものぼるという。これまでの神がかりともいうべき治療の成果については、その全てを記すことは不可能である。そこで、門人たちが常々書き記していたものを集め、その1、2を書き写した。すこぶる概略にすぎないが、議論し、実践して補足して欲しい。門人の山脇格が、これを記す。


1.

一婦人、初産で難しい。妊娠7か月で、時々出血していた。生育不調でないかと思い、先生のところに診てもらいに来た。先生は、日頃行っていることを聞いた。婦人が言うには、今もずっと腹帯をしていて、寝るときには頸膝を縄で縛っていると。先生は、「これは血を動かしているためだ。私の治療を受けたければ、今やっていることを止めなさい」と言った。同席していた姑は疑っている様子で、帰っていった。それからも出血は続き、日増しに多くなった。隣家に先生を知っている人がいて、日参して、治療に行くよう嘆願した。そこで、先生は再び往診した。刀で縄と帯を切り取って捨てた。その翌日出血は収まり、胎児は育っていった。


2.

一婦人、産後めまいを催したため、先生を呼んだ。行くと、婦人の傍に医者がいた。先生は婦人がしている腹帯を取りたいと思い、「腹帯のことは何に出ているのか」と聞いた。すると医者は、「某書に載っていた」と答えた。先生は「腹帯を取るべきだ」と言ったが、医者は「できない」と答えた。そこで、先生は、「ここに居てくれ。腹帯を取り去ってもいいことを知ってもらう」と申し出た。婦人のめまいが止むと、その医者は逃げ去った。


3.

一婦人、産後に右脚が8寸縮んだ。3年後に再び妊娠すると、恐れて、先生を呼んだ。先生は「私の治療を望めば、腹帯と椅子を外しなさい。出産後の痛みを我慢すれば足は再び伸びる」と言って去った。婦人の家族は、「先生の言葉はうそではない」と信じ、先生の言ったことを忠実に守り、そのとおりにした。無事出産し、胞衣も下った後に先生がやって来た。帯を取り、左側臥位にさせ、按蹻をほどこした。8日後には婦人の脚が6寸半伸びた。


4.

資産家の妻で産後眩暈が止まらない。先生は、このことを聞いて、急いで駆けつけた。先に3人の医者が来ていた。先生を見て、みな傲慢な態度示した。カイロ10枚をほど当てて、酢を炭でたき、大いに騒いでいた。先生が「めまいが曙から夜半まで続き、粥を摂ることのできない場合は危ない。皆さん方はただ座って、何もせず、ただ香をたいているだけであるのか」と言った。医者たちは「めまいを治したら君の手柄だ」と言った。そこで先生は中に入り、腹帯を外し、按じると、めまいが止まった。椅子を取り去り、床に寝かせたら、お粥も食べられるようになった。医者たちに話しかけようとしたが、すでに逃げ去っていた。


5.

一婦人、産後に子宮が1尺ほど脱出し、桂のようであった。産婆が双子だと思って引き出すと、さらに5寸ほど出た。3日間も戻すことができないでいた。先生が出向いて、すぐに元に戻された。婦人は痛みもなくなり、翌日には起きて歩けるようになった。


6.

一婦人、産後に血迷し、兄弟たちのことは覚えておらず、ただ母親だけが分かる状態であった。先生が折衝飲を与えると、10日で治った。


7.

ある人が先生を呼んで婦人の治療をお願いした。先生は家の門に着いて、呻吟の声を聞き、「これは横産にまちがいない。手足が出ているのか」と聞かれた。夫が答えて、「手は上腕まで出ていて、3日たっている」と言った。先生は「それでは胎児はもう死んでいる」と言い、胎児を取り出された。婦人の方は無事だった。


8.

一婦人、産後に発狂した。先生がこの婦人を診て、臍の下の左側に、瓜くらいの大きさの塊を発見された。折衝飲を与え、鎮亢丸を作って7日間服用させたところ、7日で治った。


9.

一婦人、小便するたびに、腕ほどの大きさで枯れ木のような黒色のものが陰部から出た。先生は、「これは、産後の腸脱で、戻りきっていないのだ」と言って、麻糸で繋ぎ止め、そのまま放置された。


10.

一婦人、産後に胞衣が下り、指のようなもので長さが1尺ほどのものが出た。家の人が怪しんで先生に訊いた。先生は、「これは胎児の膜の残りにまちがいない。試に、開いてみて伸ばしてみれば分かる」と言われたので、引き出してみると、果たしてその通りで、胎児の膜の横幅は1尺ほどあった。


11.

一婦人、臨月に嘔吐が止まらなくなった。先生に坐草の術で治して欲しいと願い出た。先生は先ず伏龍肝汁を用いられた。嘔吐は止んだが、先生は、「治療しても手遅れである。臨月の病というのは、産後4、5日して必ず激しい嘔吐を起こし、救うことは難しい。私がお産をみたとしても、その後のことは分からない」と言われた。それから8日後に生まれたが、その後4日して、婦人は果たして嘔吐を起こし、収まらず、死んだ。


12.

一婦人、産後に陰部脱出し、医者が礬石湯で洗浄したところ硬かった。先生は、「これは救うことができない。たとえ、戻せても、凝固が甚だしいので、必ず激しい痛みが出て助からぬ」と言われた。しかし、家人が強く望まれたので、これを元に戻された。しかし、融解せず、その婦人は翌日死んだ。


13.

格(山脇格)が以前から知っている婦人が産後15日目に、夕食後、着替えのため部屋に戻ったとき、急に昏倒し、左右がけいれんし、ひきつけを起こして収まらなかった。医者が人参湯を与えたが、ますますひどくなった。格が先生を連れて行った。先生が按蹻すると、婦人はすぐに静かになり、いびきをかいて眠りだした。虎翼飲を作って与えると目を覚まし、起き上がって座った。先生は格に正方第一和剤を作るように命じられた。帰るときに、家人にこの薬を渡して言われた。「痰が盛んに出て、夜半に嘔吐することがある。そのときは虎翼飲を与えよ。収まれば人参湯を与えよ。」先生が帰ってから、果たして嘔吐した。家人は先生の指示通りにした。その後14、5日で快癒した。


14.

一婦人、妊娠8ヶ月で指頭大の腫物ができ、出血し、止まらなくなった。先生は「便が固まり熱したため、絡脈を動かしたのだ。絡脈が大いに傷つくと、出血して止まらなくなる」と言われ、折衝飲を与えられると、症状は治まった。


15.

一婦人、子癇が治って5日後に卒倒し、前歯が折れ、ついにしゃべれなくなった。出産後も話すことができなかった。先生を呼んで治療してもらうことになった。先生は先ず、折衝飲を与え、3日で悪露を出し尽くされた。さらに正方第三和剤を与えられたところ、婦人は出入すること20日でよく話せるようになった。


16.

一婦人、産後15日で陰部に小さな肉柱ができた。左右が相連なり、小便が飛び散るため桶に坐ることができない。指でこれを動かすと、ただ両辺がひきつる感じがするだけである。先生は教え諭して、肉柱を麻糸できつく縛られた。3日後にそれが取れて5日目に治癒した。


17.

一貴人の寵姫が産後に腹の中が大急する病を患い、数十年たち、すでに尿閉となり、いろいろな薬も効果ないため、先生を呼んで治療を求められた。先生は「これは血の塊が便道を塞いでいるためである。その根はすでに結していて、もはや治すことはできない。但し、尿閉を治すことはできる」と言われた。姫の前に尿瓶を置き、侍従たちに命じて背後から両手で肥えた姫を抱え持ち上げさせると、小便が即座に通じ、出ること下痢のようであった。その他は、急ぐほどではないので、帰られた。


18.

一婦人、出産に臨み、胎児の腕が現れても娩出できないまま8日が過ぎ、妄想戯言し、四肢が冷え、脈は細微となった。先生が出向いてその児を取り出した。しかし、急いで胞衣を下すと危ないので、先生はゆっくり取り出され、婦人は死なずに済んだ。


19.

一婦人、難産甚だしく、ついに児は死んだ。先生が出向いて、この児を取り出した。その児の右脚は柱のように大きくなっていた。


20.

一婦人、難産で、膣を探ると胎児の頭が子宮を斜めに塞ぎ、脹骨の下に出ていた。先生は「これは救うことができない」と謝罪した。ついに亡くなった。


21.

一婦人、難産で、膣を探ると胎児の背中に触れた。先生は「この児はすでに死んでいる」と言われ、胎児を取り出された。その母は死なずに済んだ。


22.

一婦人、難産で、胎児の腰が下ってはいたが脱出できないでいた。先生は「この児は死んでいるが、腰が大きくなっているので脱出できないのだ」と言われ、胎児を取り出された。そのため、この婦人も死なずに済んだ。


23.

一婦人、難産が3日続いた。先生は「胎児の臭いが甚だしい。胎児はお腹の中で死んでいる。骨の構造から、前頭部が3つに折れているはずだ」と言われた。これを取り出したところ、果たして先生の言葉の通りであった。


24.

一婦人、42歳、産後百日余りで、全身腫れて、二便がともに閉塞した。医者はどうすることもできなかった。先生は、龍翔加芩蓮飲を作り与えた。数回の服用で治癒した。その後再び妊娠し、5か月目にまた同じ症状を発した。婦人の姑は耄碌していて、騒ぎ立て、終日罵しり、「孕んで病むよりは、孕まずに死んだくれた方がよい」と言った。先生は笑ってなだめ、「怒りを静めなさい。5日後には薬は不要になりましょう」と言って、前回と同じ薬を与え、朱明丸を追加した。5日目には全快した。姑は喜び、謝罪して、「これなら、毎年生まれてもいい」と言った。


25.

一婦人、32歳、初めて妊娠し、大便渋結を患った。産後3日目にたまたま母親の死を知り、激しく泣いた。一晩後、目の周りが1寸ほど腫れあがった。脈は浮にして数。先生は、「これは火症だ」と言われ、熊胆黄檗辰砂を水に浸して目を洗われた。数回にして目の腫れは収まり、そのあとで膿が出た。2年後に癒えた。


26.

一婦人、逆子のため、胎児の頤が恥骨に阻まれて晩出が甚だ難しかった。産後に便が出ないこと30日に及んだ。先生は「これは子宮が腸をさえぎっているためである。治療はできないが、養生しておればよろしい」と言われた。その後、果たして自然に治った。


27.

一婦人、三度妊娠し、全て胎児が育たなかった。4度目の妊娠で7か月となる頃、先生を呼んで診てもらった。先生は婦人のお腹を診察して、「これはXが左腹の下にあり、これが常に胎児を傷つけ、生育を阻んでいるからである。私にまかせれば、胎児を傷つけずにすむ」と言われ、毎日、その家に行かれ、按蹻された。出産間際になって先生は、その婦人に言われた。「このXは妊娠するごとに大きくなる。今、治しておかないと、将来妊娠したときに命が危い。しかし、これを治そうとすると、甚だしい痛みを伴うことになる。おそらく、中途で止めたくなると思うが、どうするか。」姑と婦人は、その言葉を聞いて、大変怖くなり、痛みを忍んで治すことを誓った。折衝飲を与えると、その日の夕方には果たして大変痛みがひどくなり忍び難かったが、翌朝、一物が下った。これを視ると、大きさ2寸ばかりで、分解してみると中身はどじょうの肉のようであり、外側は白い膜で包まれていた。自然に分裂して下ったもので、残りがまだお腹の中にあった。再び、同じ薬を服用すると、その日の日暮れ頃、残りの半分を下した。その後、二児を出産した。


28.

一婦人、清穀下痢で煩渇もまた甚だしい。水を日に2、3升飲む。先生が診断すると、脈は沈細であった。加沢瀉第三和剤を与え、青陽丸を併用して言われた。「大便の色が黒くなれば下痢も自然に治まるであろう。」しばらくするとその言葉通りになった。


29.

一婦人、お産に臨み、胎児の手足がいっしょに出てきた。先生は「これは双子だが、ふたりとも死んでいる」と言われ、胎児を取り出された。果たして、その言葉のとおりであった。


30.

一婦人、産後8日で大便燥結し、ついに半身不随になった。先生が加羗活当帰正方第三和剤を与えたところ、14、5日で全治した。


31.

一富商の妻、年30歳、懐妊して9か月目に裏急後重を患い、今は出産を終えているが嘔吐が甚だしく、瘀滞が下らず4日が経過している。先生が呼ばれて出向いたが、医者たちが産室にいて、先生はひとり後堂で待たされ、入室できないでおられた。嘔吐の声を聞いて、先生は、「これは敗血が肝を攻めている声だ。急いでこれを阻止しないと、命が危ない」と人づてに言われた。しばらくして、主人が来て謝罪し、「産婦は恥ずかしがり屋で初対面の人に会うのを好まない。強いて会わせると、おそらく血気が逆上する。どうか先生、怪しく思わないでください」と言った。そこで、先生は「医者たちは人参を用いたか」と問い、主人は「すでに4両用いております」と答えた。先生は大息して、「ああ、あなたの奥さんは医者の手で死んでしまいますよ。それでも、恥ずかしがって私を拒絶するのですね」と言って帰られた。その翌日、婦人は死んだ。


32.

一婦人、出産して4日後に入浴後すぐに発熱し全身に紫色の斑点が生じた。家人が使いの者を出して先生の所に迎えにやった。先生は「斑点は赤くなっていて脈が細くなっていることはないか。婦人はうわごとを言っていないか」と問われた。使いの者は「そのようなことは一切ありません」と答えた。「しからば、まだ救うことができる」と言わって、先生はその家へ赴かれた。口に冷水を含み、婦人の体に何度も吹きかけられた。婦人は寒さでぶるぶる震えたが、熱が退き、斑点が消え、翌日には全快した。


33.

一婦人、年17歳、嫁いで初めての妊娠。実家に帰り父母の家で出産。家は農家で富み、田間に屋敷がある。婦人は出産後1日目に発熱し、時々うわごとを言う。そのため急遽先生を迎えにやった。先生が到着して産室を見ると、奥が非常に深く、障子の間に曲屏風が設けてあり、3つ折りになっていて、そこを通って産室に入る。産室内は昼間にもかかわらず鐙が張ってあり、寒さ用にカイロを5枚当てて、婦人は椅子に腰掛けていた。周囲は覆いがしてあり、婦人の頭を見て、すぐに先生は診断を下され、笑って言われた。「婦人は本来病気ではない。父母の愛護が行き過ぎているため、この症状が出たのである。それに、娘さんは幼いころから田野に慣れ親しんでいるのに、今、妊娠したからといってこんなところに閉じ込める必要があろうか。」そこで、産室の戸を開け放ち、カイロと鐙と屏風を全て撤収させ、婦人を椅子から離し、蓆の上に寝かせ、正方第八和剤を与えたところ、3貼服用して全快した。


34.

一婦人、産気づいてから9日間生まれないままである。鼻尖と手足の指2節が皆黒変し、医者は人参を多く与えたが効果なかった。さらに喘絶すること2日におよび、先生を招き入れて、「どうか胎児を取り出して欲しい。それから葬りたい」と言う。先生は「脈は微かながらまだある。これは陽気が巡らないために死血が集まっただけである。まだ大丈夫だ」と言われ、胎児を取り出し、さらに正方第一和剤を作り、薬と粥をいっしょにして飲ませたところ、2時間ほどして脈が戻ったため、胞衣を下された。その後12日間は、まだ時々血暈を起こしたが、先生が朝夕診察され、ついに治癒した。また、治ってから後、黒変したところも消え去った。


35.

一婦人、子癇を日に3~5回、多い時は20回発症し、右痙攣を起こしている。先生が診察され、「病は性交によって胎児が圧迫されたことによる」と言われ、按蹻されると収まり、再び発症することはなかった。


36.

一婦人、産後一年ほどして突然崩漏昏倒したため、家人が先生を呼んだ。先生がまだ到着しない間に、一医者が三黄湯を与えたところ、両方の脈がついに途絶えた。先生が到着すると、家人が皆婦人を取り囲んで泣き崩れていた。先生は顔の承泣を視るとまだ赤味があったので、救えると思われた。試しに、指でそこを押すと、承泣の血色が変化した。お腹をさすると、臍下のお椀の大きさほどの部分が熱くなっていた。そこで、蓆を取り換えて、寝床をこしらえ、急いで正方第六和剤を作って飲まされた。しばらくして婦人は大いに嘔吐した。そのため独参湯を与えられると、まだ嘔吐しようとするので、虎翼飲を作って与えられた。ここで初めて落ち着き、婦人は少し話せるようになった。その後、14、5日治療されると、全快した。


37.

一婦人、初めての妊娠で腸脱し、しばらくして出産した。その腸はたびたび脱出したが、産後には、ついに胎盤ほどの大きさのものが脱出した。色は灰黒で、中に漿水が詰まっていて甚だ硬かった。先生がそれを元のところに収めると、3日後には婦人は起き上がって歩けるようになった。


38.

一婦人、お産に臨み、乾燥した便が産道を塞ぎ、出産できないでいた。先生は産婆に命じて、急いで膏薬を手に塗らせ、肛門を探り、なでて便を出した。出産後、綿花を膏薬につけて、肛門に入れた。3日後には痛みは全く収まった。


39.

一婦人が妊娠した。先生はその出産に立ち会った。出産後、先生は寝かせようとしたが、家人が反対し、姑が婦人を跪坐させた。婦人は山のように出血して倒れた。先生が急いで救おうとしたが、だめだった。先生は、ことあるごとにこのことを悔い、ときには強引に寝かしてあげないといかん、と言われる。


40.

一婦人、妊娠9か月で右足の痙攣を患った。一外科医が膏薬を与えたが、ますますひどくなった。そこで先生が按蹻したところ、たちどころに治った。


41.

一婦人、産後6日。先生はもとから入浴を禁じていたが、家人が逆らい、日暮れに密かに入浴させた。夜半に発熱し、紫斑が全身に広がり、うわごとを話した。始めて大いに驚き、先生を呼んだ。先生はこれを見て、怒って、「自らその弊を招いたのだ。私の知る所ではない。もはや救うことはできない。明日必ず死ぬ。」と言って、帰られた。翌日婦人は死んだ。


42.

一婦人、産後お腹が張り、水腫のような症状で、時々痛んだ。医者は皆瘀血とみなし、何度も破血の薬剤を処方したが、ますますひどくなった。先生は、「これは、腸廱である」と言って、これに鍼をされると、膿血が3升余り激しく射出した。その後、第三和剤加土茯苓を作って飲ませられた。鍼をして投薬すること15日で癒えた。


43.

一富商の婦人、43歳で始めて妊娠し、8か月目に水腫を患った。先生がこれを診て、正方第三和剤と猪苓沢瀉を処方して治った。満10か月になると、一産婆が婦人を診て、家人に語って言った。「夫人は高齢であるので、水腫を病むときに医者は峻剤で治療したので、胎児が死んでしまった。分娩のときに夫人も亡くなると思う。」家人はこれを聞いて、驚き悲しみ、声をあげて泣いた。たまたま先生がその家に寄って、婦人を按蹻した。皆が悲しみの理由を先生に話すと、先生は家人の中でかつて乳をあげたことのある者を呼んで、その手を引いて、婦人のお腹を触らせて、問うた。「あなたは昔妊娠したことがあろう。これはこの児の腕である。死んだ胎児がこのように動くか。」これで、家人の疑いも皆解けた。その後4日目に出産した。母子ともに無事であった。


44.

一医者の娘が妊娠7か月で、夫の家から帰ってきてその家にいた。ある朝、髪を梳いた後、突然悶倒した。家人が急いで先生を呼んだ。先生が赴いて、婦人を按蹻したところ、覚醒したので、寝床を設け、婦人を寝かせ、帰るときに、家人に警告して、「決して跪坐させてはいけない。再び発症するから」と言われた。しかし、家人は先生の言葉を疑い、痰血のあるのを恐れ、先生の帰宅後娘を跪坐させた。すると、果たして再び悶倒した。最初は、背いたことが後ろめたく、あえて先生を呼ばなかった。頻繁に参連を流し込んだが、日暮れから夜半に至るまで効果がなかったので、やむを得ず再び先生を呼びにやった。先生は聞いて自分に背いたことを知り、怒って、行こうとされなかった。家人は狼狽し、先生の所へ出向いて、謝し、お願いした。先生は、やむを得ず、その家へ赴かれた。再び按蹻すると婦人は覚醒した。さらに、寝床を強いて寝させるように命じられた。先生は娘に、お腹に気痛がないかどうか聞かれた。娘は「ある」と答えた。先生は、「しからば、明日の夜半に必ず半産する」と言われ、再び、家人に警告して、「決して跪坐させてはいけない。背くと産後に再び発症し、そのときは扁鵲や倉公でも救うことができないであろう」と言われた。家人は始めて怖くなり、あえて再び背こうとはしなかった。しばらくすると娘のめまいが止み、翌日の夜半に果たして半産した。


45.

一婦人、産後20日で肩脇の痙攣痛を患い、そのため食事が摂れなくなった。先生が診断すると、脈が大変速いので聞かれた。「左右の痛みのいずれの痛みが甚だしいか。」婦人は「右が左より甚だしい」と答えた。先生は「しからば、腰も痛むのか」と聞かれた。婦人は「腰の痛みは産後からあり、寝起きのたびにひどく痛む」と答えた。先生が按蹻すると腰痛は頓挫した。朱明丸百粒を与え、さらに「龍騰飲を夜半に飲むと、明日巳の刻(午前10時)に大便が出るはずじゃ」と言われた。婦人は先生の言葉に従って服用し、翌日の巳の刻に果たして乾燥便を下し、痙攣痛がすぐに収まった。先生は、このようなケースは治すのが難しいと言われた。


46.

まだ歯替わりしていない一妓がちょっとしたいたずらで男と交わった。その女は感じもしないで妊娠した。先生は、それを聞いて、「女の気は感ぜず、男の精がひとり結したのであるから、生まれる児は男じゃろう」と言われた。生まれてみると果たして先生の言うとおりであった。


47.

一婦人、産後に胞衣が下りない。婦人科の医者がいて、10日間これを診たが、打つ手がなくなっていた。たまたま親族の助言で先生が呼ばれた。先生が赴くと、その医者がいて先生と話した。先生は「胞衣が長い間下らないでいるから、恐らく、もう腐っていよう。急いで下さないとじきに死ぬことになる」言われた。医者は昔から先生の能力を妬んでいて、「三世の医者の伝授もある。あなた一人が正しいということはない」と、反発した。そこで先生は帰られた。その翌日、果たして夫人が死んだ。


48.

一女子が婚約して数日後、突然腹脹し、乳が出てきた。夫の家では密通を疑い、娘の父母を責めた。娘もまた日夜憂えて自殺しようと考えていた。そこで先生が診て、「そなたは処女である」と診断された。そこで、折衝飲を与えられた。3日間服用したところ、月経があり、腹脹も収まった。



山脇格による玄悦先生の経歴


先生は近江国彦根の三浦氏の出である。父の名は長富。家は代々侯藩に仕え、父長富は妾を娶り先生が生まれた。7歳のとき庶子であるために家を出て、母親の実家で育てられた。その家には子供がなかったのでついにそこの子となって、農作業を教わった。先生は少し農業を嫌っていたので、しばらくしてそこを去り京都に遊学された。幼い時から鍼灸と按蹻を学んで、その子細に通じておられた。京都に遊学されてからは、湯液の処方も学ばれ、懸命に勉強された。数年後、たまたま隣家の婦人が出産のとき、胎児の腕が露出し、婦人は瀕死の状態に陥っていた。先生はこれを視て憂慮され、すぐに自宅に戻り、その治療法を考えめぐらされた。その日の夕方、一案を思いつき、翌日、ついにその婦人を救うことができた。婦人は死なずに済んだのである。それから、この術を駆使して、産婦を治療することが多くなり、日に数百人にもなった。世間の医者たちからは疎んじられたが、先生が治療された産婦は皆よくなった。その名声が京都中に広がり、そして67歳のとき、この「産論」を著述されたのである。


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