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大江健三郎

  • yokando2
  • 2023年9月3日
  • 読了時間: 3分

更新日:2023年9月24日



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遠い遠い昔、私に大江健三郎(1935~2023年)を紹介してくれたのは、大学を出たばかりの若い国語の先生で、あの三島由紀夫の死を予言していた先生である。高校3年生のときのことだった。


私が最初に読んだ大江健三郎の作品は『持続する志』という分厚いエッセイ集で、途中で投げ出してしまった。次に読んだのが『我らの狂気を生き延びる道を教えよ』で、これはすごく面白く、一気に大江ワールドに入り込んでしまうことになった。わいせつな内容を含む『セブンティーン』という発禁本も、その先生が、同じく発禁本の永井荷風の『四畳半奥の下張り』といっしょにコピーしてくれたものを読んだ。


大江健三郎の世界は森の中の異界の気とエロスの世界である。


あるとき、NHKの生番組に大江健三郎が出ていて、さかんに“インディペンデント”、“インディペンデント”と言っていた。彼は、インディペンデントな人間が好きで、「近所に住む所ジョージさんはインディペンデントだから、家族みんながファンです」と語っていた。


そういえば、お釈迦様も悟りを開いたときに、「天上天下唯我独尊」と言ったといわれているから、お釈迦様もインディペンデントな人間ということになる。そして、キェルケゴールの“単独者”もインディペンデントである。“単独者”とは、たった一人で生きることに自信を持ち、たった一人で生きることで満ち足りている「哲学の主人公」と呼ぶべき人物のことである。また、“単独者”を自負する革命家・埴谷雄高もインディペンデントであり、埴谷が若いころ感銘を受けた“エゴイスト”のスティルネルもインディペンデントであろう。スティルネルのいう“エゴイスト”は、普通のエゴイストとはまったく違う。「創造的虚無」であり、国家も宗教も人類も理想も、あらゆるものが支配できない者のことである。


2023年3月13日、大江健三郎の死が報道された。3月3日、老衰のため死去。享年88歳。


ぐっと胸に迫るものがある。昨今、日本の武力増強、原発再活用の動きが加速される中、大江健三郎の動向が報じられないので、健康状態を心配していたさなかである。やはりか、と思った。


前年国葬が行われた元総理以上に、国葬にふさわしい日本人だったと思う。誠実で嘘が無く、性を賛美し、森を愛し、日本国憲法を守る運動の中心となり、ノーベル文学賞を受賞し、世界に日本の良心的な部分を発信し続けて来た人物である。が、権力を嫌い、文化勲章を拒否し、天皇制に疑問を呈し、時の政府を批判し、反戦・反原発を訴え続けて来た人物であるから、政権にとってはもっとも国葬にしたくない人物だろう。


死因が“老衰”であり、死後10日も放っておかれたことは、おそらく、穏やかで静かな最後であったのだろう。ニュースで一報があっても、元参議院議長や前大丸別荘社長の訃報にまぎれ、さほど大きく取り上げられることもなかった。しかし、生前の活動および影響力を考えると、淋しい最期である。


大江健三郎の死が報道された日、実は、私の友人からLINEが来ていた。その中に、大江健三郎のエッセイ集3冊が写っていた。『厳粛な綱渡り』『持続する志』『クジラの死滅する日』の3冊である。私は、その友人に、自分が購入していた『持続する志』を貸した記憶があったので、今も持っているか、とLINEを返した。すると、友人から、『厳粛な綱渡り』『持続する志』の2冊が手元にあり、両書とも後ページに『昭和48年3月末 HT氏より』と書いてある、という返事が来た。ああ、思い出した。その日付は、私が一浪して大学に合格したばかりの頃で、この友人が郷里の熊本から京都の私の下宿に突然やってきて、「自分はまたもや大学受験に失敗した、二浪目は京都で勉強したい」と言うのであった。友人は、私の下宿にしばらく居候して、京都の予備校を受験し、合格し、下宿を見つけ、そして私の下宿を出て行った。おそらく、そのときに、私が持っていた大江健三郎のエッセイ集2冊をかってに持ち出したのだろう。

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