top of page

マルティン・ブーバー

  • yokando2
  • 2023年12月3日
  • 読了時間: 3分

ree

マルティン・ブーバーは1878年2月8日にオーストリアで生まれ、1965年にエルサレムで亡くなったユダヤ系の宗教哲学者である。誕生日が2月8日ということで、お釈迦様と同じ日であり、恐縮ながら私とも同じで、なんとなく親近感を覚える。


マルティン・ブーバーは若いころは、「忘我の告白」という古今東西の神秘的な体験談を集めた本を編集し、また、本人自身も数々の神秘的な体験をしている。しかし、あるときを境に、神秘主義と決別し、「我と汝」といった現実世界の中のコミュニケーションの大切さを主張していくことになる。その転換点のことが、『対話』という著作に触れられているので紹介する。


“あるとき、朝の宗教的恍惚にひたり、虚脱状態でぼんやりしていたとき、見知らぬ青年の訪問をうけたが、おそらく、わたしはその青年にたいして親切な応対に欠けていたわけではなかったし、彼の友人たちに劣らぬもてなしをした。彼の友人たちは、当時神託でもきくように、よくわたしの話を聞きに来ていた。わたしは親しく、率直にその青年と話し合った、――ただわたしは、彼が口に出さなかった質問を察知していうようなことはさしひかえていた。ところが、その後しばらくして、彼の友人のひとりから、――その青年がもはやこの世にいないということ、――彼の発した質問の本質的な内容を聞かされたのである。彼がわたしのもとへ来たのは偶然ではなく、運命的であった。雑談をするためではなく、決意をするためであった。彼はこの時わたしのもとに来たのだ。われわれが絶望しながらも、なおひとりの人間のもとへおもむくとき、われわれはそこで何を期待しているのであろうか。おそらくそれは現存ということであろう。絶望にもかかわらず、意味が存在することをわれわれに語るのは、現存によってである。それ以来わたしは、例外であり、現存からの抽出であり、有頂天であり、恍惚であるだけといった宗教的なものをすべて棄て去ってしまった。”


マルティン・ブーバーが『対話』を書いたのは、もう100年近く前のことだが、彼が、『対話』を執筆した社会的状況は今も続いている。というか、この社会的状況というのは、「今の若いもんは」と、いつの世にも年寄りが嘆くように、太古の昔から続いている時代的閉塞感なのかもしれない。あるつらい経験を経て信仰を捨てたブーバーだったが、それは本物の信仰を見つける旅のスタートだったようだ。そして、長い模索の末到達した結論が、「我と汝」の間の「対話」という方法による神への接近だったのである。思惟は弁証法から対話法へ、大衆は集合体から共同体へと、疎外から共感へ、理知から慈悲へ価値転換していかねばならないと説いている。


“他の人間そのものに自己を向け、自らを開くもののみが、自己の中に世界を受けとる。わたしと向かい合って生きる存在の他者性のみが、わたしに永遠に輝きをもたらす。存在のすべてをあげて、相互に語り合うときにのみ、わたしたちの間に現存の住み家が存在するのである。”(ブーバー『対話』から)

コメント


©2019 by お灸とハリの洋漢堂。Wix.com で作成されました。

bottom of page