「すべての存在は、一つであることによって存在なのである。」
そして、
「健康も、その肉体が綜合的に一つに秩序づけられているところに成り立つ。」
とプロチノス(205?-270年)は言う。しかし、存在も、肉体も、精神も、知性も、真の一つではない。万有が一つでないように、存在、肉体、精神、知性も多数あるからである。究極の真の一つというものは、名付けようがなくて、しかたなくプロチウスは「一者」と呼んでいるが、神以上のものであり、明確な定義も難しく、次のような言い方で説明している。
・万物を生むもの、万物の始めをなすところのもの、存在を超越した彼方
・真実の光明、かのもの
・最善なものの源泉、他のいっさいの善を超越した善
・存在を生む力として、自己自身のうちに止まり、減少することのないようなもの
・あらゆるものの中の最大のもの、大きさにおいてではなく、能力において最大のもの
・自分だけであるもの、何ものもこれに外から加えられることのないもの
・いっさいの邪悪から清められた、精神のいこいの場
・真実の生が生きられるところ、美を生み、正を生み、徳を生むところ
・自分が「ある」ためにも、「よくある」ためにも、何ら他に求めることないもの
そして、プロチノスは、我々はいつもこの一者を見ているとはかぎらないが、ひとたびこの一者を見るに至るならば、そのとき我々は最終目的を達成して、そこにやすらいを得ることができ、そしてこの一者と合体することによって、自己自身を識り、自分がどこから由来するかということを知るようになる、と言う。一者を観、一者と合体する方法については、あらゆる外物から身を引いて内部へ全面的に転向すること、すなわち、忘我、エクスタシスの状態まで行き、一者を直観し、そして一者と合体するのだ、と言う。
この「一者」というものは、東洋医学の「太極」、大乗仏教の「空」であり、また、「一者との合体」は、禅における「止観」、密教における「即身成仏」に通じているようである。