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ディオゲネス

  • yokando2
  • 2022年9月12日
  • 読了時間: 2分

更新日:2023年7月31日


perverse(天邪鬼)はギリシアにもいた。いつも頭陀袋をたずさえ、樽の中で生活していたといわれるシノペのディオゲネス(B.C.404?~B.C.323?)である。以下、ラエルティオス著『ギリシア哲学者列伝』から。


・あるとき彼が、「おおい! 人間どもよ」と叫んだので、人びとが集まってくると、彼は杖を振り上げて彼らに迫りながら、「僕が呼んだのは人間だ、がらくたなんぞではない」と言った。


・「君はもう年寄りだ。今後は、力を抜いてくつろぎたまえ」と言ったのに対して、「何だって? もしぼくが長距離コースを走っていたとして、ゴール間近になったときに、ぼくはいっそう力を入れるのではなく、力を抜くべきだというのかね」と彼は応じた。


・あるとき彼は、小さな子が両手で飲んでいるのを目にして、「簡素な暮らしぶりでは、わたしはこの子に負けたよ」と言いながら、頭陀袋のなかからコップを取り出して投げ捨てた。・・・小さな子が皿をこわしてしまったあとで、パンの凹みにレンズ豆のスープを容れているのを見ると、彼はお椀も放り出した。


・彼がクラネイオンで日向ぼっこをしていたとき、アレクサンドロス大王がやって来て、彼の前に立ちながら、「何なりと望みのものを申してみよ」と言った。すると彼は、「どうか、わたしを日陰におかないでください」と答えた。


・プラトンが、「人間とは二本足の、羽のない動物である」と定義して、好評を得ていたとき、彼は雄鶏の羽をむしりとって、それをさげてプラトンの教室に入って行き、「これがプラトンのいう人間だ」と言った。そういうことがあったので、この定義には、「平たい爪をした」という語句がさらに付け加えられることになった。


・あるとき彼は、広場で手淫に耽りながら、「ああ、お腹もまたこんなぐあいに、こすりさえすれば、ひもじくなくなるというのならいいのになあ」と言った。


・なぜ人びとは、乞食には施しをするが、哲学者にはしないのかと訊ねられると、「それは彼らが、いつかは足が不自由になったり、目が見えなくなったりするかも知れぬとは予想しても、哲学者になるだろうとは決して思わないからだよ」と彼は答えた。


・ある愚かな男がプサルテーリオンを調律しているのを見て、「君は、音の方はこの楽器に合わせるべく調律しながら、魂は生活と不調和なままにしていて、恥ずかしくないのかね」と彼は言った。


・あなたはどこの国の人かと訊ねられると、「世界市民(コスモポリテース)だ」と彼は答えた。


・世のなかで最もすばらしいものは何かと訊ねられたとき、「何でも言えることだ」と彼は答えた。


・婦人は共有であるべきだ・・・口説き落とした男が口説かれた女と一緒になればいい・・・子供もまた共有であるべきだ。

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