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コロンブス

  • yokando2
  • 2023年12月13日
  • 読了時間: 2分

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1492年10月12日、イタリア生まれのコロンブス(1451-1506)はバハマ諸島のひとつであるサンサルバドル島に到着した。これが西洋世界から見た新大陸の発見である。コロンブスは航海日誌に、初めて見た先住民たちについてこう記している。


「・・・しばらくして彼らは泳いできて、オウムや綿糸や投げ槍や、その他いろいろなものをたくさん持参し、我らが与えるガラス玉や鈴などと交換しました。つまり、彼らはなんでも受け取る代わりに、持っているものは皆喜んでくれたのであります。・・・彼らは皆、母親が産み落とした時と同じような状態の裸で歩いており、女達も同様でした。誰も容姿が良く、美しい体つきをしており、顔立ちもなかなかよいのです。・・・彼らは武器を持っていません。鉄器は全然持っておらず、投げ槍は尖端に魚の歯などをつけております。・・・彼らは利口なよい使用人となるに違いありません。彼らは簡単にキリスト教徒になると思います。彼らはどんな宗教も持っていないようなのです。・・・」


これから数年間に何万人もの先住民が虐殺されたのを考えると、この日誌のケレンミのなさは、余計に残酷さを際立たせている。


コロンブスはサンサルバドル島上陸後、バハマ諸島からキューバ島、イスパニョーラ島を探索し、翌年1月4日、新大陸を去り帰路に着く。帰国後、本航海の後援者であるスペインのフェルナンド、イサベル両国王の歓迎を受け、同年9月25日に再び新大陸に向かう。


第1次航海ではわずか3雙だったが、第2次航海では17雙に増え、プエルトルコ島やボブ・マーリーの生地であるジャマイカ島なども探索した。探索というより略奪と虐殺であった。コロンブスは、西へ西へと船を進めればインドに着くはずで、さらに西へと行けば黄金の国であるジパングに着き、そこで黄金を手に入れることができるはずだ、と考えていた。カリブ海の諸島のいずれかがそのジパングであると思い込んでいて、その黄金のありかを白状させるための虐殺だったようである。


コロンブスはその後も2回の航海をし、1506年5月に異国の地スペインで54歳の生涯を閉じた。結局はジパングに達することはできず、我が国はコロンブスによる略奪を免れた訳だが、たとえ、コロンブスがやって来たとしても、当時の日本は、まさに戦国時代に突入せんとしていた時代であるから、コロンブスは、逆に戦国武将によって一刀のもとに切り捨てられていたかもしれない。

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