カール・ヒルティ
- yokando2
- 2023年12月2日
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スイスの法学者カール・ヒルティ(1833-1909年)は、眠れない夜があっても、悩む必要はなく、それこそ神と一体になる絶好の機会ではないか、と考えた。そこで、眠れぬ夜に、神のことを考えるきっかけになる手軽な本ということで、「眠れぬ夜のために・第一部&第二部」を書いた。1月1日から12月31日までの日付順に、聖書の言葉を引用しながら、神の愛についてエッセイ風につづっている。キリスト教徒でないひとたちも、その真摯な人生観には感銘を受けると思う。しかし、その真摯さは、やはり仏教国の日本の真摯さとは、ちょっと違う。例えば、9月17日にはこんなことが語られている。
「神の恩恵のもとにあるという意識をのぞいては、義務を果たしたという意識が、最も強い幸福感をあたえるものである。前者は、いつもそれを受ける資格なしにさずけられるものだから、自分で手に入れることはできない。しかし、後者はたしかに自分で獲得することができる。これは全くあなたの心がけ次第だからである。」
ヒルティはキリスト教を篤く信仰していたから、キリスト教の神の愛について語ったわけだが、日本の道元禅師や一遍上人を知ったとしたら、また違った夜を送ることになり、「眠れぬ夜のために・第三部」を執筆してくれたかもしれない。
と、まあ、こんなことを12年前に書いたのだが、今思うと、ヒルティのこの9月17日の文章は、かなり日本人的なところがあるように思える。“前者”は浄土宗のような他力本願的なところがあり、“後者”は禅宗のような自力本願的なところがあるではないか。
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