賀川玄悦
- yokando2
- 2023年11月10日
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賀川玄悦(1700-1777年)、江戸時代の按摩・鍼師にして、産科医。彦根の生まれで、7歳のときに実母を出産で亡くし、医者をめざし京都に出て、独学で按摩術と鍼灸術を身につけた。
当初、家は貧しく、昼間は古鉄を回収して納める仕事で食い扶持を稼ぎ、夜は貧しい人々のために按摩や鍼をしてあげていた。あるとき、隣家の奥さんの死産のときに、鉄鉋を使って死産の児を子宮から引き出すことに成功する。それから、この技で、多くの死産の産婦の命を救うことができるようになったそうだ。
また、自分の家の隣に「済世館」という屋敷を建て、色町の妊婦を住まわせ、出産までの世話をしながら定期的に内診をして、妊婦の変化を観察し、赤ちゃんの取り上げも行い、死産ばかりでなく安産の方法も研究した。
玄悦は、「お腹の子は始め頭を上にしているが、出産のときにくるりと回転して頭を下に出てくる」とか、「出産は座って行う方が安産になりやすい」とかいう、それまでの間違った常識を実際の出産を通して正していった。
晩年、自分が知りえたこれらの知識を後世のために残そうと、儒者の皆川淇園と弟子の玄迪と共同で『産論』を執筆、完成させる。この辺の経緯は、植松三十里の小説『千の命』に活写されている。
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