福島弘道
- yokando2
- 2023年11月2日
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経絡治療家、福島弘道(1910-1995年)は、若いころ反戦運動に身を投じたものの、皮肉にもその戦争で失明し、その後、井上恵理、岡部素道などの諸先生に師事して古典鍼灸術を身につけ、ついには経絡治療家として一家をなした。
その福島弘道がハリ治療によって癌を治したケースが「経絡治療要綱」に載っているので、紹介する。
【患者】 66歳の男子、洋装店主。
【主訴】 左鎖骨上リンパ腺癌腫による両手マヒ痛。
【病歴】 数年前より、両手の指先がしびれて痛み出し、リウマチではないかと種々手当てをするうち、左鎖骨上リンパ腺が腫脹し、国立がんセンターほか二、三の病院にてリンパ腺癌腫と診断され、いずれの病院でも、ただちに手術するよう厳命されたが、本人はリンパ腺癌は手術後二ヶ月ないし半年で脳や脊髄内に転移し死亡しているという事実をよく知っており、あれこれと他の治療を行ったがいずれも経過不良。
【望診】 肌は白い方だが、現在青黒く、顔は土色で、とくに口唇や眉間が薄汚れたように黒く、死相を表している。丈夫な骨格ではあるが、羸痩はなはだしい。
【聞診】 錆びついたようなしゃがれ声でつぶやくごとく話し、はなはだ聞き取りにくい。咳あり、時々太息する。
【問診】 肩背部から両手に及ぶ重圧痛で苦しみ、指先がしびれ痛み、血痰あり。コバルト療法の反応であろうか、嘔気、心下満、食欲絶無、軟便、尿漏れ、動悸あり。歩行困難。体温37度2分。
【腹診】 胸部より大腹(臍より上)、小腹(臍より下)はザラザラと枯燥した皮膚におおわれ、臍の上下陥没し、動悸は臍下より心下部に向かって突き上がり、虚里の動が浮かせて著しく押せば根がある。気虚、血虚がはなはだしい。
【切診】 左鎖骨上窩には、鶏卵大の腫物が数個つらなり、その深部には耳下および腋下にわたって数珠玉のように触れる。全身の皮膚枯燥、るいそう、肩より指先にかけて浮腫。各指関節は変形して指端はサルの手のごとく曲がり、鈍麻痛はなはだしい。肩背から腰部にかけての各兪穴は硬結反応著明。腰痛、左坐骨神経痛あり、腰椎への転移が疑われる。
【脈診】 脈状は細、微にして遅。脈拍不整。沈めて左右の尺中がわずかに触れる。
【証決定】 胃の気を補い生命力の賦活を当面の目標とし、脾虚証を中心に徹底的に補法を行うこととする。
【治療】 (経絡治療は証法一致の随証療法であるから、証が決まれば治療法はおのずと決まる、具体的治療内容は以下の通り)
・ 円鍼にて足の脾経と手の心包経の通りを軽擦し補法を行う。
・ 8分の1番銀鍼にて右太白、大陵に1、2ミリの軽微な補法を加えて検脈すると、脈は少し明瞭となり、陰経はほぼ整って陽経の虚が目立つ。
・ そこで、左側の各陽経の絡穴に補法(絡補)を加える。検脈し、ほぼ整ったのを確認し標治法に移る。
・ 食欲を出すため、膻中、巨闕、中脘、不容、梁門、天枢、関元、章門に1、2ミリの軽微な補法を加える。
・ 腫物の周囲を避け、肩、上腕、前腕に軽い補的散鍼を加え、天柱、風池を補い、身柱、陽関、中脘に皮内鍼を施して治療を終える。
・ 以上の治療を3回行うと、だいぶ食欲も出て玉子かゆやお茶にも味が出、少し元気づいたもよう。検脈すると、脾虚証に加えて左尺中の虚が目立って診える。そこで、今までの後天の原気の補方に加え、先天の原気をも補うこととした。
・ 本証として右太白、大陵を補ってのち、副証として左復溜に補法を加えた。検脈すると、艶と締まりのある良い脈に整ったので、三焦の気を整えるべく左右の外関に補法を加えて本治法を終えた。
・ 標治法は、腫物の周囲には鍼尖を鋭利にした8分の1番銀鍼で静かに押しつけるようにすると、吸い込まれるごとく2、3ミリ入る。丁寧な補法。さらに指先の痛む部に数ヵ所知熱灸を施して治療を終える。
・ 翌日来院して、きのうの治療で肩から手への重苦しい痛みや指先のマヒ痛も軽くなった。昨夜も今朝も普通の食事を一人前食べ、夜はぐっすり安眠し、きょうは生まれ変わったように気持ちが良いと大変うれしそうである。
・ 同様に治療を数回行うと、ますます経過良好、諸症軽快。
・ 脾、腎の相克調整で2、3ヵ月、その後、気を労したり過労を重ねるたびに、証が肝と肺や脾と肝の相克調整に変わった。
【その後の経過】 初診は1965年5月で、70年の今日までほぼ週3回根気よく治療を続け、平常どおり元気に働き続けている。体重は12、3キロ増し、顔色は赤みを帯びた白い健康色となり、今ではとても70歳を過ぎた老人とは思われない。鎖骨上窩の腫物はほとんど見えなくなった。按圧すると、まだ深部には残っている。主訴である指先のしびれ、痛みは少し残り、指端の曲がりは治らないが、洋裁の裁断は行っている。
福島弘道がまとめた鍼灸治療技術の指導書「経絡治療要綱」から:
・ 鍼灸は学よりも術であらねばならない。鍼灸臨床家である以上、百の議論を重ねる前に一本の鍼を適正に刺しうる技術の修練が必要である。
・ この技術を身につけるには、虚心坦懐先哲のことばに耳を傾けるという素直な信頼感が絶対不可欠である。
・ 偉大なる経絡経穴を軽視することは、民族的損失であり人類の最大不幸である。
・ 経絡治療とは、病体を経絡の変動として統一的に観察し、その病変を経絡の虚実となし、経穴をこれが診断と治療の場として鍼灸をもって補瀉調整する随証療法である。
・ 経絡的鍼灸術の治療目的は気血の調整である。
・ 気血とは、経脈の内外を運行して、全身の各部を栄養し、病変の回復をはかって生命を維持し、生体を成長せしめる生命力の根源である。
・ 経絡は気血を通じて、全身各部の諸器官を生命的に統制する系統であり、経穴は、経絡現象の最も良く顕現する気の門戸である。
・ 証は、患者の表す複雑多岐な症候群を統一的に観察し、望聞問切の診察過程をへて一元的に処理し、抽象的に導き出されたもの、すなわち治療目的である。
・ 脈診を習得するには強い信念が必要である。秀でた伝統をもち、すでに多くの同志が立派な成績を挙げているのであるから、同じ人間であるからには必ず成しとげてみせるという鉄のごとき信念をもって、雑念を払いのけて、その修得に全力を集中するならば、その勉学に寄与する便宜は必ず得られるものである。
・ 補とは、正気の不足した所にこれを補うための手法であり、瀉とは、邪気の充実した所からこれを取り除く手法である。
・ 鍼灸の治療は「虚実を弁(わきま)えてこれを補瀉する」の一言に尽きる。
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