唐木順三
- yokando2
- 2023年11月7日
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唐木順三(1904-1980年)は、京都大学哲学科卒の中世歴史の評論家であり、西田幾多郎の孫弟子にあたる。劇作家の唐十郎と混同してはならない。
今、私は昔読んだ唐木順三の「無常」を再び読んでいるが、全く新鮮である。道綱の母から始まり、紫式部、和泉式部、建礼門院右京太夫、法然、親鸞、一遍、兼好法師、心敬、宗祇、芭蕉と続き、最後に道元。ここで語られる人々は、みな魅力的だ。心敬のいう「心の艶」をもった人々である。中世には、まだ霊性が漂っており、はかなし、無常が一切であり、その無常を楽しむ数寄者が多くいたようだ。
最初に登場する道綱の母は「かげろふの日記」の作者であるが、地方官藤原倫寧の娘で、道長の父である藤原兼家の妻であり、「吾朝の三美人」のひとりでもあった。当時は一夫多妻で、兼家の第二夫人であるから、息子の名前でもってしか呼ばれざるをえなかったところに、すでに「はかなし」が隠れている。「かげろふの日記」の作者は、その序文で自分のことを、
「かくありしときすぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、よにふる人ありけり」
と記している。無常を意味する「はかなし」が日本の文芸に出現してきたのである。唐木順三によると、王朝女官の個人的な「はかなし」がここに現れたのを端緒に、中世では死と隣り合わせの兵(つわもの)どもの「無常」へと進み、さらに道元によって「吾我を離るるには無常を観ずる是れ第一の用心なり」と言わしめている、普遍的「無常」へと至るのである。
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