top of page

吉益東洞

  • yokando2
  • 2023年11月22日
  • 読了時間: 1分

「生死は天の司りにして人の司る所にあらず、医者はただ疾苦を救う職分にして、万病ただ一毒なりと心得、一毒を取り去る療治をなす」


これは、万病一毒説を唱えた吉益(よしまつ)東洞の「医事或問」の一節である。


吉益東洞(1702-1773年)は、非常にクールな実践家の漢方医だった。補法中心の穏やかな薬を処方する後世派(ごせいは)に対し、瀉法の薬を用い、副作用をも辞せず、毒を持って毒を制する処方を貫き、多くの難病を治癒せしめている。たとえ、患者が危篤に陥っても、一旦決めた処方は変えず、かえってその処方薬の量を増やして治癒せしめたりした。しかし、その一方で、亡くなる患者も多く、それに対しては、医者は患者の生死には関与できず、患者の死は薬の毒によるのではなく天命だとしている。


東洞は後世派を否定しただけでなく、鍼灸師が治療の根拠としている陰陽五行説や気の存在をも憶測だとして否定し、鍼灸師を占い師や錬金術師と同じ輩とみなし、医者の範疇から退けている。ところが、皮肉なことに、100年後の明治時代には、東洞が主導した革新的な漢方でさえも、海外からやってきた西洋医学によって非科学的として切り捨てられ、医療とみなされなくなったのである。悲しいことだ。

Comments


©2019 by お灸とハリの洋漢堂。Wix.com で作成されました。

bottom of page