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古井由吉

  • yokando2
  • 2023年11月25日
  • 読了時間: 3分

僧「そなたはどこから来たのか」

娘「遠い国から来ました」

僧「そなたは誰か」

娘「師は私のことを御存知ないのですか」

僧「知らない」

娘「それは師が御自身のことをいまだお知りになっていないしるしです」

僧「それはまことだ。もしもわたしが自分のことをしかるべく、そのもっとも近きに至るまで知っているならば、あらゆる者たちのことを、そのもっとも高きに至るまで知っているはずだから」

娘「そのとおりでございます」


これは、14世紀のはじめ、娘カトライトが聴聞僧エックハルトに告解している場面で、ブーバーの著書「神秘体験告白集」の中の一節である。このドイツ語の本を古井由吉氏が日本語に翻訳したものが上の場面で、氏の『神秘の人びと』に載っている。あの著名な神秘思想家エックハルトが娘からコケ降ろされていて、とても面白い場面である。


(古井由吉氏のプロフィール)

職業:作家

副業:翻訳

興味:神秘とエロスと酒

趣味:山登りと馬


古井由吉氏(1937-2020年)のプロフィールは職業が鍼灸師でなく作家である以外は私と同じである。空海をとりあげたテレビ番組でニヤッと笑って朴訥に語りだした氏の姿に私が共感を覚えたのには一理あった訳だ。


男の色気がなくなっている。それは葬式の作法に出る。今の若者は作法を知らず、立ち居振る舞いに潔さ(男の色気)がない。エロスは差異である。住む世界の違う者同士が引かれ合う。土地の者とよそ者、身分の違う者同士、こんなところにエロスが生まれるが、今は皆平均化してしまい、エロスが希薄になっている。また、団地のような密閉空間ができたのもエロスの減退に寄与している。昔の障子や襖と違い、密閉空間では秘め事が容易にできるようになり、かえって秘め事への欲求が減退している。


というようなことを、古井由吉氏は『人生の色気』の中で語っておられる。


古井由吉訳、ヨハネス・タウラー「赤裸の歌」から:


・・・

あなたがたは知りたいか、いかにしてわたしがもろもろの形象から離れたかを。

まことの一体を自分の内に感じ取ったからだ。

それこそまことの一体であり、

それゆえ愛も苦もわたしを揺がさなくなった。

わたしは死んでしまった。

まして気が振れたぐらいで、心配することはない。


あなたがたは知りたいか、いかにしてわたしが精神から離れたかを。

あれをもこれをも自分の内に感じ取らなくなったからだ、

はかり知れぬ赤裸な神性のほかには。

するとわたしはもはや黙していられなくなった、わたしは告げずにおけなかった。

わたしは死んでしまった。

まして気が振れたぐらいで、心配することはない。


このように消え失せ、ひとつの闇を知った者は、

あらゆる苦をのがれていとも豊かになる。

このように親愛なる火がわたしを、

一度に焼き尽し、

そしてわたしは死滅した。

まして気が振れたぐらいで、心配することはない。

・・・


古井由吉訳、中世ドイツの「ミネザング」から:


・・・

信者「ああ、主よ、わたくしを繁く、わたくしを激しく、そして長く愛してください。より繁くあなたがわたくしを愛するほどに、より清浄にわたくしはなります。より激しくあなたがわたくしを愛するほどに、より美しくわたしはなります。より長くあなたがわたくしを愛するほどに、より神聖にわたくしはこの地上にありながらなるのです。」

主「わたしがそなたを繁く愛するのは、これはわたしの自然からするものだ。なぜなら、わたしはみずから愛であるからだ。わたしがそなたを烈しく愛するのは、これはわたしの渇望からするものだ。なぜなら、わたしもまた、人がわたしを烈しく愛することを渇望するからだ。わたしがそなたを長く愛するのは、これはわたしの永続性から来るものだ。なぜなら、わたしは終わりなき者であるからだ。」

・・・

 
 
 

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