原田芳雄
- yokando2
- 2023年11月23日
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ひと昔前、映画館によく通っていた。が、観る映画はマイナーなものがほとんどで、映画館の中は閑散としていて、いつも観客の数は10名前後だった。2011年の夏に観た「マーラー 君に捧げるアダージョ」も「大鹿村騒動記」もそうだった。
「大鹿村騒動記」は、去りゆく古きよき日本を見事に再現したものである。山村と歌舞伎というテーマもよく、ストーリー展開のテンポもよく、主演の原田芳雄をはじめとしたキャスティングもよく、最後に忌野清志郎が歌う主題歌「太陽の当たる場所」もよかった。
私が、原田芳雄(1940-2011年)を初めて知ったのは、京一会館という汚い映画館で観た「赤い鳥逃げた?」である。初々しい桃井かおりとシャイな原田芳雄の演技が抜群だった。それ以降も、原田芳雄はマイナーな話題作によく出ており、そして、今回の「大鹿村騒動記」だ。残念ながら、この最高傑作が遺作となってしまった。
その夏、なでしこジャパンの快挙から原田芳雄の訃報と、天国から一気に地獄に突き落とされた感じがした。
原田芳雄の原風景は、幼少のころの疎開先だという。そこには田舎の田園風景があり、SLがゆっくり走っていたそうだ。だから、彼の一番の趣味は鉄道模型で、また、若いころは日本中の山を登り、晩年はことあるごとに日本中の田舎へ出かけ、祭りなどに参加していたのである。
「なぜ、大鹿村騒動記を撮ったか」の質問に、「田舎には、祭りにしろ、歌舞伎にしろ、都会にないエネルギーがある。まだ、元気と仲間意識が残っている。それを描きたかった」と答えている。
葬儀のとき、原田芳雄の祭壇には飲みかけのボトルが一本置いてあり、ラベルには彼の好きだったバーボンのI.W.HARPERをもじって「I♡HARADA」と書き込んであった。恐らく、このバーボンとタバコの飲みすぎが彼の体内に上行結腸癌を作り、そして彼の命をうばってしまったのだろうが、それは仕方のないことだ。
扨、映画館の話をする。
当時、京一会館もなくなっていたので、京都で好きな映画館は祇園会館だけになっていた。あとの映画館は、皆外国のまねをして、無菌室的でデジタル的なつまらないシアターになってしまっていた。
祇園会館は、まず新聞の勧誘者が配っている招待券が使える(ただし、当時は当局の目が厳しいために新聞勧誘者は招待券をくれない)。次にいいのは、上映中いつでも入場できることである。たいていは2本立てになっていて、一本目の映画の途中から入って、二本目を観て、また一本目を観、その途中で出ることも可能なのである。劇場の入場口はいくつかあり、しかも正面の入り口は、観客の邪魔にならないように、ドアの先に緞帳が降りており、それをくぐって館内に入ることになる。そして、スクリーンがいいのだ。コマーシャルや予告編の間は左右から緞帳が伸びてきていて幅の狭いスクリーンになっているが、本編が始まると、やおら緞帳が両サイドに引いて、横長の銀幕になるのである。また、観客席がいい。正面入り口から入ると、中央の廊下みたいなところへ出て前か後ろの好きなところへ行ける。そして、左右には一段高いところに招待席みたいな出っ張りがあり、そこで観ることもできる。それから、最後尾の席の後ろには窓があり、そこから映写機の光線が出て、前方に向かって光の束が広がっていき、スクリーンに投影される。これこそがアナログの世界である。こうなると、ふところから日本酒を取り出し、スルメをかじりながらの観覧とあいなる訳である。
ちょうどいい機会なので、ツタヤへ出かけ、原田芳雄の映画をあるだけ借りてきた。「八月の濡れた砂」、「ツィゴイネルワイゼン」、「さらば箱舟」の3本。3本ともエロチックで、おどろおどろしく、前衛的なのか、古典的なのか、意味不明だった。原田芳雄がマイナーであるのは当然だ。
「ツィゴイネルワイゼン」は、40年前に一度観ていたが、変な映画だったことだけは印象に残っていて、覚えているのは大谷直子がしきりに牛鍋にちぎり蒟蒻を入れているシーンだけで、そのほかは全く覚えておらず、原田芳雄が出演していることさえ知らなかった。年を経て私もいろいろ経験をしてきているので、そのときは理解できるのではと期待したのだが、全く不可解千万で、手も足も出なかった。原作が内田百閒の「サラサーテの盤」ということなので、さっそく向島の図書館で借りて読んでみたものの、これを読んでもサッパリ分らぬ。分ったのは、牛鍋と思っていたのが豚鍋だったことぐらいで、どうも、このよく分からないところの恐怖とエロスが、この物語の真骨頂のようである。
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