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加藤周一

  • yokando2
  • 2023年12月17日
  • 読了時間: 4分

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加藤周一(1919-2008年)は小学校で芥川龍之介全集を読破し、中学校では万葉集をそらんじるほど読み込んでおり、大学では医学(血液学)を専攻したにもかかわらず、仏文研究室にも出入りし、辰野隆教授、渡辺一夫助教授、中島健蔵講師らと対等にヴァレリーやマラルメについて語り合っている。


私は、加藤周一の自叙伝『羊の歌』を何度か読んでいる。これを読むと、これぞ本物のインテリだ、と唸ってしまう。とくに、一高時代の第二次大戦中に、当時の文壇の寵児である横光利一に講演を頼み、そのあとの座談会で徹底的にこの巨匠を論破した場面は、痛快ではあるもののなんとも言えぬ悲哀を感じ(私は横光利一の大ファンでもある)、いつも考えさせられてしまう。


さらに、加藤周一の加藤周一らしさが出ているところが、戦争末期の医局での同僚との会話である。米軍が日本軍の守る島の一つに上陸したという報道を聞いた加藤周一が、「どうせまた米軍が占領するだろう」と呟いたときに、一人の若い医師が「どうせまた、とは何ですか。敗北主義だ!」と叫ぶと、俄然、加藤周一にスイッチが入ってしまった。


「ぼくは島の日本軍がおそらく敗北するだろう、といったので、敗北することが望ましい、といったのではない。その二つは、全く別のことだ。敗北することが望ましい、といったとすれば、精神的な裏切りで、敗北主義かもしれない。しかし敗北しないことがどれほど望ましいとしても、その望みと、おそらく敗北するだろうという判断とは、全く関係ない。病人に癒ってもらいたいという願いと、その病気がおそらく癒るだろうか癒らぬだろうかという判断とを、はっきり区別できなければ、そもそも医学はなりたたない・・・」


どうだろう。われわれ善良な庶民はグーの根も出ない。


加藤周一の自伝的エッセイ『羊の歌』では、生まれてから終戦の8月15日(26歳)までが語られている。実は、この本には続編があり、その『続羊の歌』では、終戦から60年安保(41歳)までが語られている。『羊の歌』では戦時中の日本での話が中心だが、『続羊の歌』ではヨーロッパ留学時代の話が中心となっている。


加藤周一はヨーロッパ留学(遊学? なにせ、医学のフランス留学なのに文筆や通訳で生活費をかせぎ、ロンドンやウィーンやフィレンツェを旅しているのである)中の3年間に、日本とヨーロッパの違いを痛切に思い知らされるのだが、国際代議士会議で通訳をした時には、その違いの大きさに茫然自失している。こうだ。


フランスの議員:「どういう理由で核兵器に反対なのか」


日本の社会党員:「日本国の憲法は武装放棄なのだ」


フランスの議員:「それは法的根拠である。政治的根拠はどういうものか」


日本の社会党員:「いちいち何故かときかれても答えられないね。とにかく党の方針として決まっているのだし。それは広島の悲願だよ。君(加藤に向かって)わかるだろ。あなた(フランス議員に向かって)は核兵器に反対ではないのか」


フランスの議員:「反対である。フランス独自の核兵器の発展は経済的にみて高くつきすぎる。社会的にみて高級技術者の他の領域での不足を強める。軍事的にみて有効な報復力になり難い。政治的にみれば冷戦を強め軍備と緊張の悪循環を起こす」


加藤周一は神仏を信じず、理路整然として冷静で、しかも激しやすい性格である。が、女性関係や肉親や友人の死など、理屈では割り切れない場面で少し感情に流れ、まごつくところがあり、やはり人間なのだと、少しほっとする。あるとき、労使交渉が泥沼化した九州の炭鉱に招かれ、甲論乙駁の労使双方の言い分を聞き、甲乙つけ難く感じていたときに、実際に坑道の中に入り、坑道から出ると美しい青空が目に入った。そして、こう考えたのだ。


「毎日一片の青空を全身の喜びをもって感じる、いや感ぜざるを得ない生活を生きている人々、彼らが酔っぱらおうと、無理な議論をしようと、毎日青空の下で暮らしているわれわれが彼らの言い分を拒否することはできないだろう。彼らが間違っているということを客観的に説明できない限り、彼らの言い分は全て正しい、と思う」

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