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五井昌久

  • yokando2
  • 2023年12月5日
  • 読了時間: 3分

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“吾、誰の子たるを知らず、象は帝の先にあり(老子第4章から)。”


上を現代語に訳すと、「私が誰の子であるかは分からないが、象(すがた)は太古の先帝の前から存在していた」といったところだろう。ここで“吾”とは「道」のことなのであるが、老子が凄いのは、この「道」を“吾”、すなわち老子自身だと言い放っているところなのだ。「道」は五井昌久先生の著書『老子講義』によると、永遠の生命、光の波動である。従って、老子自身もまた永遠の生命であり光の波動ということになる。


五井昌久先生(1916-1980年)は、神我一体を経験して覚者となり、白光真宏会を主宰し、祈りによる世界平和運動を提唱した人(神?)で、先生の放つ白い光で多くの病者を救ってこられた。先生がこの『老子講義』を執筆されていたころは、老子が先生の身体に合体していたそうだから、老子の中の一言一句をことごとく実感されたという。老子が先生の心の中で、空々寂々、空寂々、自由無礙の生命の流れそのままに生き生きと輝いていたというのだ。


私は、身近に不思議な経験をされた人たちを知っているので、五井先生の老子も信じることができる。今から30年ほど前、私の身内の者が余命いくばくもない、と西洋医師から宣告されて、私は先生に救ってもらおうと、千葉県市川市にある先生の道場を訪れたことがある。しかし、すでに五井先生は亡くなられていて、後継者の方が対応してくださったのだが、私の身内はもう助からないと、すげなく言われてしまった。五井先生が生きておられたら、状況は変わっていたかもしれない。私の身内の者は運にも見放されたのか、1か月後には帰らぬ人となった。


五井先生は、人間の肉体にはその奥に優れた機能の体が幾層も存在していて、一番奥が宇宙神の心の光明の世界、すなわち神界となっていて、そこから表層に向かって次第に霊界、幽界、肉体界と、その働きの波動が愚鈍になっている、と認識されている。神の御心の波動がそのまま肉体身の言語行動となっている人が聖人と呼ばれ、偏りがなく、自然法爾の生き方をし、無為にして為さざるはなし、といった人物である。釈尊やイエスや老子といった人物のことだ。凡夫が聖人になるのは非常に難しいのであるが、先生は、簡単な方法を開発された。


肉体煩悩から出てくる想念のすべてを消えてゆく姿として、世界平和の祈りの中に投入してしまうのである。すると、無の境地となり、心が静かになり、業(カルマ)の波動が光明の波動と入れ替ってしまい、神の御心の波動がそのまま肉体身の行為となるのである。このとき、人々の天命(神が定めた使命)が完うされるように祈る。これが愛の行為であり、この愛の行為と、守護霊、守護神に対して感謝の言葉を述べるという感謝の行為を一つにする。


世界人類が平和でありますように

私達の天命が完うされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます


“May Peace Prevail on Earth”は祈りによる心の浄化である。時は今。今日こそ是非とも、悪い誤った習慣を脱出しなければならない。そのためにこそ、消えてゆく姿で世界平和を祈る必要があるのである。

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