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白川静

  • yokando2
  • 2023年8月1日
  • 読了時間: 2分

白川静(1910―2006年)は、中国の古代歌謡「詩経」の研究を行いながら、日本の万葉集との類似点を探った。しかし、文字としては同じ漢字を使いながら、また同じ題材を扱いながらも、両歌謡には画然たる違いがあった。万葉では社会的な問題もおおむね個人の心情の次元に収斂されてしまっているが、詩経では個人の問題も社会の問題として投影され、社会との関係という形で表現されている。文学の焦点が、中国では国家に、日本では個人に結んでいるのだ。



古代の人びとにとって愛情とは、まずたがいに霊の往来が可能であるということであり、その魂の授受の場としては、草摘みなどの予祝や神の許したもうた感情解放の機会である歌垣が利用された。


詩経鄭風から:

子われを惠思せば

裳を褰りて溱を涉れ

子われを思はざれば

豈に他の人無からむや

狂童の狂よ

子われを惠思せば

裳を褰りて洧を涉れ

子われを思はざれば

豈に他の士無からむや

狂童の狂よ


万葉集10巻から:

君がため山田の沢にゑぐ摘むと雪消の水に裳の裾濡れぬ


白川静は、「詩経」の研究から万葉集の研究に向かい、1979年に『初期万葉論』を上梓し、1995年に『後期万葉論』を仕上げている。『初期万葉論』から『後期万葉論』まで、16年の歳月がかかっているが、なんと、このあいだに、あの浩瀚な字典三部作『字統』、『字訓』、『字通』を書き上げているのである。


白川静は、漢文学者と同時に歌人でもあった。彼の詩経の訳もなかなかのもので、そんな静先生の詩的センスがうかがえる訳文を、詩経鄘風から拾ってみた。こんなだ。


君子偕老    ともしらがなす

副笄六珈    髪飾り玉緒もゆらに

委委佗佗    やすらかにいます

如山如河    山とこそ河とこそ

象服是宜    絵模様のふさはしかりし

子之不淑    その人のはかなくて

云如之何    いはむかたなし


瑳兮瑳兮    あざやかにあざやかに

其之展也    丹の御衣

蒙彼縐絺    うすものの

是紲袢也    下着清らに

子之清揚    めもとすずしく

揚且之顏也   ひたひふくよかに

展如之人兮   まことこの人ぞ

邦之媛也    邦のあて人なりけるを

 
 
 

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