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田辺元

  • yokando2
  • 2023年11月8日
  • 読了時間: 2分

2010年、岩波文庫で「田辺元哲学選」全4巻が刊行されたが、どうして、このちょっと地味な哲学者、田辺元(1985-1962年)なのだろうか、と当時、私は思った。おそらく、売り上げは全く期待できないのではないかと、危惧したほどである。しかし、私的には、さすがに岩波さん、だ。


田辺元は西田幾多郎の一番弟子である。『無常』を書いた唐木順三を弟子にもち、晩年は夏目漱石の愛弟子の野上弥生子と恋愛関係にあったと聞くと、ますます、その哲学を紐解きたくなる。昔、太平洋戦争で学徒出陣した学生が、戦場で田辺元の『哲学通論』を肌身離さずもっていた、という話を聞いて、私もその本を読んだことがあるのだが、難渋な西田幾多郎よりは読みやすく、ああ、これが哲学なんだ、と感じ入った記憶がある。


田辺元の哲学に対する真摯な態度は彼の発した折々の言葉から偲ばれる。


-哲学は、単に文化として一般に享受せられるものではなくして、各自が生命を賭し命懸けで了得せらるべきものなること、宗教的信仰におけると軌を一にするのである。


-哲学は自分が汗水垂らして血涙を流して常に自分を捨てては新しくなり、新しくするところに成立つ。


-哲学を研究するものは、自己の行住坐臥がその哲学によって規制されたものでなくてはならない。哲学が他の学問と異なるのは、それがその人の生を動かすものだからである。


-私が哲学をもつのではなく、哲学が私である。


-私の希求するところは真実の外にない。


そして、田辺元の哲学に対する真摯な態度は彼の講義を聞いた人々のことばからも分かる。


-先生の迸(ほとばし)る言々句々を通じて襲うてくる真理への情熱が私を圧倒するような感じで、ときどき頭がくらくらする経験に打たれた。(信太正三)


-先生は精神の弛緩を表現する一切のものを嫌悪し、職務上の最小限度の必要以外には、世間との接触を忌避した。・・・先生は三十余年の京都生活において京都見物をされたことはなく、大阪に行きしことなく、大学人以外と交わられしことなく、いわば病毒を避けるように世間を避けた。(相原信作)


-あの「哲学入門」に説かれたようなかたちで講義ははじまった。しかしそれとて最初のあいだに過ぎなかった。先生がなにか新しい思考に憑かれはじめると、哲学入門は忽ちおそろしく高度な御講義に一変してしまい、・・・まったく手も足も出ない始末となるのであった。(野上弥生子)

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