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入江正

  • yokando2
  • 2023年10月25日
  • 読了時間: 3分

文明と文化について、司馬遼太郎は次のように定義している。


「文明とは、たれもが参加出来る普遍的なもの・合理的なもの・機能的なもの」

「文化とは、不合理的なものであり・特定の民族においてのみ通用する特殊なもの」


鉄製農具、交通信号、ユークリッド幾何学などが文明で、気功、ヨガ、ホメオパシー、易、それに残念ながら鍼灸も文化とみなされている。その鍼灸を文化から文明にすべく奮闘した人物がいる。統計数学の専門家で漢方医で鍼灸師の入江正である。


入江正(1927-2002年)は、経別治療、経筋治療、奇経治療を再発見し、その診断と効果の確認法としてFT(フィンガーテスト)を発明した。入江正は、九州大学理学部数学科出身で薬局を経営する鍼灸師といった変り種で、鬼才、間中善雄を師と仰ぎ、実験に実験を重ね、臨床効果の高い鍼灸術を追求し、自著の中に次のようなメッセージを残している。


「空想し推理する。経絡を竹籠に見立てる。トポロジー空間を想定する。針を、電気を、磁石を、薬品を思い浮べる。上下を、左右を、前後を関連させる。このような発想である。針灸医学はやっと開発に着手され出した状態といえるかも知れない。従って自由がある。ロマンがある。私はこの自由とロマンに心ひかれるのである。」


ひと昔前、ある講習を受けた。講師の明快な説明で理屈も分かり、手技の方法も理解できるのだが、さあやってみましょう、となるとなかなかうまくいかない。この種の講習会でいつもぶつかる壁である。そして、この方法は治療効果も高くすばらしいけれど、自分がものにするには時間がかかりそうだなあ、と思い始め、知らぬ間に日常のことに忙殺されて、結局ものにならずに終わってしまうことが多い。


このことを、私の師に話した。そのとき、師は鋭い眼光を私に向け、一括された。


「何かを習得しようとするときには、その理由、目的があるはずだ。その理由、目的がしっかりして切実なものであったら決してあきらめないはずだ。何年かかろうが、人に遅れをとろうが、研鑽して必ずその技を習得する。明確な理由、目的があるからだ。」


それから、師が師の師である入江正先生に東洋医学の習得にむけての研鑽について聞かれた時に、入江先生が答えられた言葉は次のようであったと教えてくれた。


「何を研鑽するか。それは診断力だよ。どうやって研鑽するか。それはやってみることだよ。」


これもひと昔前の話だが、私の患者であり、かつ元鍼灸師でもあるおばあちゃんがいた。このおばあちゃんの希望で奇経治療を行ったことがある。私の師匠の師匠である入江正先生直伝の奇経治療である。ところが、おばあちゃんに初めて奇経治療を行った夜から3日間、今までの足のほてりがなくなって熟睡できたという。そして、2回目の奇経治療後、病院で血液検査を受けられたところ、腎機能の数値がよくなっていた。とくにBUN(尿素窒素)は今までは透析ぎりぎりの値だったのが、その時は正常に近い値になっていたそうだ。


おばあちゃんは昔、中島直胤先生の奇経治療で左耳の難聴を治してもらった経緯があって、奇経治療を望まれたのである。同じ奇経治療で腎機能が改善できたことは、施術者自身もびっくりするほどの鍼灸の威力であった。

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