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中勘助

  • yokando2
  • 2023年12月8日
  • 読了時間: 2分


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中勘助の「銀の匙」や彼の随筆集を読んでいると、明治、大正、昭和初期にかけての庶民の生活がいたるところに活写されていて、携帯とパソコンだけの今と違い、身の回りに実に多彩な玩具や催し物や遊びがあるのに感心する。


中勘助(1885~1965年)はみずみずしい感性の持ち主で、自然を愛し、その純粋で一途な心根は、「にんじん」の著者ジュール・ルナールにどことなく似ている。


【昭和17年、勘助57歳の時の日記から】

私が沢山積み重ねられたいちばん上の一冊をとって署名をし

「いつものとほりお初穂をあげませう」

といって渡したら、姉はなんともいはずに心から嬉しそうな笑みを浮かべた、近来病苦や衰弱のためめったにそういうことがなかったのだが。

あはれなにものか常住なる

わが詩もまたたちゆく鳥なり

(中略)

四月三日午後七時三十分。その鳥のあとを追つて姉もまた鳥のやうにたってしまった。

(この姉というのは、九大医学部卒で発狂して30年以上廃人同様となっていた実兄の奥さんのことで、勘助は17歳のころから終生このひとに思いを寄せていたようである。勘助はこの姉の死後、すぐに結婚したが、兄はその結婚式当日に自殺してしまう。)


【ジュール・ルナール46歳の時の日記から】

1910年4月6日

昨夜、起き上がろうとした。身体が重い。片方の脚がベッドから出ている。それから、その脚をつたわって、わずかに液体が流れる。それが踵に流れ着いてから、ようやく決心が付く。シーツの中で乾いてしまうだろう。ちょうど「にんじん」のように。

(ルナールはこの最後の日記からひと月半後の1910年5月22日に永眠。)


ふらんすへ行きたしと思へどもふらんすはあまりに遠し(萩原朔太郎)


降る雪や明治は遠くなりにけり(中村草田男)

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