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三木清

  • yokando2
  • 2023年12月7日
  • 読了時間: 2分

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・人間は対象でなく存在である。


・人間は問わるべき存在である。


・人間の存在は無限と虚無の間の中間者である。


・すべての運動、すべての数、すべての時間は、いかに増さるとも無限に大なるものに至ることなく、いかに減ぜらるるとも無限に小なるものに達することなく、ただつねに無限と虚無の間の中間にある。あらゆるものは全体と無とのいずれにも固着せず、またいずれからも脱出し得ずして、この二つの中間の領域を絶えず定めなく往来している。


・慰戯(=気晴らし)は生の自己逃避である。


・我々の自然の状態はかよわい、はかないものである。我々がそれについて親しく思いめぐらすならば何物も我々を慰めることの出来ぬほど不幸に満ちている。そこで我々はみずからを幸福ならしめるために一般に自己の状態については考えぬことを欲し、かようにして慰戯を工夫する。


・神のほか愛せず、自己のほか厭わぬこと。


・真にして唯一の徳は自己を厭うことと、真に愛すべき存在をそれを愛するために求めることである。けれど、我々は我々の外にあるものを愛することができないから、我々の裡にありしかも我々でないところの存在を愛せねばならない。しかるにかかるものは普遍的なる存在(=神)のほかないのである。


以上、三木清『パスカルに於ける人間の研究』から。


三木清(1897~1945年)は、哲学者・西田幾多郎の弟子。ドイツに留学してハイデガーに師事し、パスカルの研究を行った。その成果が、1926年、『パスカルに於ける人間の研究』として結実した。戦時中に治安維持法違反で保釈逃走中の知人を支援したことで逮捕拘禁され獄死した。彼の『人生論ノート』(1938年)は、学生の頃の私の愛読書だった。

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