ガウス
- yokando2
- 2023年12月14日
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1800年、ガウス(1777-1855年)23歳のとき、ガウスの周りには以下のような著名な数学者がいた。
ラグランジュ 64歳
ラプラース 51歳
ルジャンドル 48歳
フーリエ 32歳
ポアソン 19歳
コーシー 11歳
そして
アーベル -2歳
ヤコービ -4歳
ガロア -18歳
数学史上最も重要な人物は誰か、と問われれば、答えは三者三様であろうが、数学を専門に研究している人の中ではガウスの名を挙げる人が多いようだ。では、数学史上ガウスはどういう貢献をしたのかと問えば、第一には整数論の研究が挙げられる。が、その他にも数学全般にわたっており、どうも、古い数学を脱皮せしめて近代的な数学を築いた中心人物、と言えるようである。
高木貞治は、数学の進歩は時代の単調関数ではなく、上昇緩慢な区間にところどころ飛躍的進歩の不連続が見られるとし、アルキメデス、ユークリッドの時代以降停滞していた数学がニュートンとライプニッツによる微積分法の発見によって一気に近代化され、続く18世紀の緩慢な上昇期にベルヌーイ、オイラー、ラグランジュ、ラプラースらによって微積分法が拡充されていき、そして19世紀初頭にガウス、アーベル、ガロアらによってさらに数学の近代化が加速された、と述べている。
ガウスの日記によって以下のようなことが判明している。
・楕円関数は1828年ころヤコービとアーベルによって発見されたとされているが、実は1808年にガウスによってすでに発見されていた。
・1800年、ガウスはモジュラー関数を発見しているが、これは50年後にデデキントによって再発見された。
・関数論はコーシーによって1825年から研究されているが、ガウスは1811年にはコーシーと同じ積分定理を駆使していた。
・最小二乗法については、1805年にルジャンドルによって発表されたが、ガウスは1795年にはこの理論に到達していた。
・さらに、1829年にロバチェフスキー、1832年にボヤイによって独立に非ユークリッド幾何学が発見されたが、これもすでに1818年にはガウスによって発見されていた。
ガウスは論文として発表するのにものすごく慎重な人で、そのために、上のように、ガウスがすでに発見していたにもかかわらず、後世の人がそのことを知らずに自分が最初の発見者だと思ってしまったわけなのだ。「狭くとも深く」を信条としていたガウスはこう言っている。
「予の性分として不完全なものには興味が持てない。そうして興味の持てないものは予には不快の感を与える。要するに各自その好む所に従って進むより外はあるまい。」
「予の草稿の中にある多くのものに関して、あるいは発表の先発権を失うかもしれない。しかしそれには構わないで、むしろそれらのものの熟するのを待つのである。」
ガウスは計算マニアでもあった。例えば正17角形の内角ΦのcosΦを最初に計算したのもガウスである。ガウスによるとこうなる。
cosΦ=-1/16+√(17)/16+√(34-2√(17))+ √(17+3√(17)- √(34-2√(17))-2√(34+2√(17)))
また、数字の羅列そのものにも興味をもち、例えば素数の逆数の循環小数については1000以下の表を作成している。なんだろう? この途方もない執着力は。
1/71=0.01408450704225352126760563380280281690 14・・・・・・・
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