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霊枢Ⅲ

  • yokando2
  • 2023年7月29日
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霊枢・陰陽繋日月第四十一

黄帝曰く、「余聞く、天は陽を爲し、地は陰を爲し、日は陽を爲し、月は陰を爲すと。其れ之を人に合すること奈何」と。

岐伯曰く、「腰以上を天と爲し、腰以下を地と爲す。故に天は陽を爲し、地は陰を爲す。故に足の十二經脉は、以て十二月に應じ、月は水に生ず。故に下に在る者を陰と爲す。手の十指は、以て十日に應ず。日は火を主る。故に上に在る者を陽と爲す」と。

黄帝曰く、「之を脉に合すること奈何」と。

岐伯曰く、「寅は正月の生陽なり。左の足の少陽を主る。

未は六月。右の足の少陽を主る。

卯は二月。左の足の太陽を主る。

午は五月。右の足の太陽を主る。

辰は三月。左の足の陽明を主る。

巳は四月。右の足の陽明を主る。

此れ兩陽は前に合す。故に陽明と日う。

申は七月の生陰なり。右の足の少陰を主る。

丑は十二月。左の足の少陰を主る。

酉は八月。右の足の太陰を主る。

子は十一月。左の足の太陰を主る。

戌は九月。右の足の厥陰を主る。

亥は十月。左の足の厥陰を主る。

此れ兩陰は交々盡く。故に厥陰と日う。

甲は左の手の少陽を主る。

己は右の手の少陽を主る。

乙は左の手の太陽を主る。

戊は右の手の太陽を主る。

丙は左の手の陽明を主る。

丁は右の手の陽明を主る。

此れ兩火并せて合す。故に陽明を爲す。

庚は右の手の少陰を主る。

癸は左の手の少陰を主る。

辛は右の手の太陰を主る。

壬は左の手の太陰を主る。

故に足の陽は、陰中の少陽なり。足の陰は、陰中の太陰なり。手の陽は、陽中の太陽なり。

手の陰は、陽中の少陰なり。腰以上は陽と爲し、腰以下は陰と爲す。

其の五藏に於けるや、心は陽中の太陽と爲す。肺は陽中の少陰と爲す。肝は陰中の少陽と爲す。脾は陰中の至陰と爲す。腎は陰中の太陰と爲す」と。

黄帝曰く、「以て治するや奈何」と。

岐伯曰く、「正月二月三月は、人の氣左に在り。左の足の陽を刺すこと無かれ。四月五月六月は、人の氣右に在り。右の足の陽を刺すこと無かれ。七月八月九月は、人の氣右に在り。右の足の陰を刺すこと無かれ。十月十一月十二月は、人の左に在り。左の足の陰を刺すこと無かれ」と。

黄帝曰く、「五行は東方を以て甲乙木と爲し、春に王す。春は蒼色、肝を主る。肝は、足の厥陰なり。今乃ち甲を以て左の手の少陽と爲す。數に合せず。何ぞや」と。

岐伯曰く、「此れ天地の陰陽なり。四時五行の次を以て行うに非ざるなり。且と夫れ陰陽は、名有りて形無し。故に之を數えて十なる可く、之を離れて百なる可く、之を散じて千なる可く、之を推して萬なる可しとは、此を之謂うなり」と。

霊枢・病傳第四十二

黄帝曰く、「余九鍼を夫子に受けて、私に諸方を覽る。或は導引、行氣、喬摩、灸熨、刺炳、飮藥の一なる者有り。獨り守るべきや、將た盡く之を行わんや」と。

岐伯曰く、「諸方は、衆人の方なり。一人の盡く行う所に非ざるなり」と。

黄帝曰く、「此れ乃ち所謂一を守りて失うこと勿ければ、萬物畢る者なり。今余已に陰陽の要、虚實の理、傾移の過、治す可きの屬を聞けり。願くは病の變化、淫傳絶敗して治すべからざる者を聞かん。聞くを得べきか」と。

岐伯曰く、「要なるかな道を問うこと、昭なるかな其れ旦醒むるが如し。窘なるかな其の夜瞑るが如し。能く被りて之に服すれば、神と倶に成り畢り、將に之を服せんとせば、神自ら之を得ん。生神の理は、竹帛に著すべきも、子孫に傳うべからず」と。

黄帝曰く、「何をか旦醒むると謂う」と。

岐伯曰く、「陰陽に明なること、惑の解くるが如く、醉の醒むるが如し」と。

黄帝曰く、「何をか夜瞑ると謂う」と。 岐伯曰く、「瘖なるかな其れ聲無く、漠なるかな其れ形無し。毛を折り理を發す。正氣横に傾き、淫邪泮衍し、血脉傳溜して、大氣藏に入り、腹痛下淫し、以て死を致すべく、以て生を致すべからず」と。

黄帝曰く、「大氣藏に入るとは奈何」と。

岐伯曰く、「病先づ心に發す。一日にして肺に之く。三日にして肝に之く。五日にして脾に之く。三日にして已ずは死す。冬は夜半、夏は日中。

病先づ肺に發す。三日にして肝に之く。一日にして脾に之く。五日にして胃に之く。十日にして已ずは死す。冬は日入、夏は日出。

病先づ肝に發す。三日にして脾に之く。五日にして胃に之く。三日にして腎に之く。三日にして已ずは死す。冬は日入、夏は蚤食。

病先づ脾に發す。一日にして胃に之く。二日にして腎に之く。三日にして膂膀胱に之く。十日にして已ずは死す。冬は人定、夏は晏食。

病先づ胃に發す。五日にして腎に之く。三日にして膂膀胱に之く。五日にして上りて心に之く。二日にして已ずは死す。冬は夜半、夏は日昳。

病先づ腎に發す。三日にして膂膀胱に之く。三日にして上りて心に之く。三日にして小腸に之く。三日にして已ずは死す。冬は大晨、夏は早晡。

病先づ膀胱に發す。五日にして腎に之く。一日にして小腸に之く。一日にして心に之く。二日にして已ずは死す。冬は雞鳴、夏は下晡。

諸病は次を以て相い傳う。是の如き者は、皆な死期有り。刺すべからざるなり。一藏及び二三四藏を間てる者は、乃ち刺すべきなり」と。

霊枢・淫邪發夢第四十三

黄帝曰く、「願わくは淫邪泮衍するを聞かん奈何」と。

岐伯曰く、「正邪は外從り内を襲いて、未だ定まる舍り有らず。反て藏に淫して、定れる處を得ず。營衞と倶に行きて、魂魄と飛揚すれば、人をして臥せて安きことを得ずして、喜びて夢みせしむ。氣府に淫すれば、則ち外に餘有りて、内に足らず。氣藏に淫すれば、則ち内に餘有りて、外に足らず」と。

黄帝曰く、「有餘不足に形有りや」と。

岐伯曰く、「

陰氣盛んなるときは、則ち夢大水を渉りて恐懼す。

陽氣盛んなるときは、則ち大火を夢みて燔焫す。

陰陽倶に盛んなるときは、則ち相殺することを夢みる。

上盛んなるときは則ち飛ぶことを夢みる。

下甚しきときは則ち墮つることを夢みる。

盛んに飢ゆるときは則ち取ることを夢みる。

甚しく飽くときは則ち予えることを夢みる。

肝氣盛んなるときは、則ち怒ることを夢みる。

肺氣盛んなるときは、則ち恐懼し哭泣し飛揚することを夢みる。

心氣盛んなるときは、則ち善く笑い恐畏することを夢みる。

脾氣盛んなるときは、則ち歌樂し、身體重く擧らざるを夢みる。

腎氣盛んなるときは、則ち腰脊兩解して屬せざるを夢みる。

凡そ此の十二盛なる者は、至りて之を寫せば、立ちどころに已む。

厥氣心に客たるときは、則ち夢に丘山の煙火を見る。

肺に客たるときは、則ち夢に飛揚し、金鐵の奇物を見る。

肝に客たるときは、則ち山林樹木を夢みる。

脾に客たるときは、則ち夢に丘陵大澤、壞屋風雨を見る。

腎に客たるときは、則ち淵に臨みて、水中に没居することを夢みる。

膀胱に客たるときは、則ち遊行することを夢みる。

胃に客たるときは、則ち飮を夢みる。

大腸に客たるときは、則ち田野を夢みる。

小腸に客たるときは、則ち聚邑衝衢を夢みる。

膽に客たるときは、則ち鬪訟して自ら刳ることを夢みる。

陰器に客たるときは、則ち接内を夢みる。

項に客たるときは、則ち首を斬ることを夢みる。

脛に客たるときは、則ち夢行走して前むこと能わず、及び深地、窌苑の中に居することを夢みる。

股肱に客たるときは、則ち禮節拜起を夢みる。

胞触に客たるときは、則ち洩便を夢みる。

凡そ此の十五不足なる者は、至りて之を補えば、立ちどころに已ゆるなり」と。


霊枢・順氣一日分爲四時第四十四

黄帝曰く、「夫れ百病の始めて生ずる所の者は、必ず燥濕、寒暑、風雨、陰陽、喜怒、飮食、居處に起こる。氣合して形有り。藏を得て名有り。余其の然ることを知るなり。夫れ百病は、多くは以て旦に慧く晝に安く、夕に加わり夜に甚だしきは、何ぞや」と。

岐伯曰く、「四時の氣然らしむ」と。

黄帝曰く、「願わくは四時の氣を聞かん」と。

岐伯曰く、「春は生じ夏は長じ、秋は收め冬は藏す。是れ氣の常なり。人も亦た之に應ず。一日を以て分けて四時と爲す。朝は則ち春と爲し、日中は夏と爲し、日入は秋と爲し、夜半は冬と爲す。朝には則ち人氣始めて生じ、病氣衰う。故に旦に慧し。日中には人氣長ず。長ずるときは則ち邪に勝つ。故に安し。夕には則ち人氣始めて衰う。邪氣始めて生ず。故に加わる。夜半には人氣藏に入り、邪氣獨り身に居る。故に甚だしきなり」と。

黄帝曰く、「其の時に反する者有るは、何ぞや」と。

岐伯曰く、「是れ四時の氣に應ぜず、藏獨り其の病を主る者、是れ必ず藏氣の勝たざる時の者を以てすれば甚だし。其の勝つ所の時の者を以てすれば起つなり」と。

黄帝曰く、「之を治すること奈何」と。

岐伯曰く、「天の時に順じて、病與に期すべし。順ずる者を工と爲し、逆する者を粗と爲す」と。

黄帝曰く、「善し。余聞く、刺に五變有りて、以て五輸を主る。願わくは其の數を聞かん」と。

岐伯曰く、「人に五藏有り。五藏に五變有り。五變に五輸有り。故に五五二十五輸。以て五時に應ず」と。

黄帝曰く、「願わくは五變を聞かん」と。

岐伯曰く、「

肝は牡藏と爲す。其の色は青、其の時は春、其の音は角、其の味は酸、其の日は甲乙。

心は牡藏と爲す。其の色は赤、其の時は夏、其の日は丙丁、其の音は徴、其の味は苦。

脾は牝藏を爲す。其の色は黄、其の時は長夏、其の日は戊己、其の音は宮、其の味は甘。

肺は牝藏を爲す。其の色は白、其の音は商、其の時は秋、其の日は庚辛、其の味は辛。

腎は牝藏を爲す。其の色は黒、其の時は冬、其の日は壬癸、其の音は羽、其の味は鹹。

是れを五變と爲す」と。

黄帝曰く、「以て五輸を主ること奈何」と。

岐伯曰く、「藏は冬を主る。冬は井を刺す。色は春を主る。春は滎を刺す。時は夏を主る。夏は輸を刺す。音は長夏を主る。長夏は經を刺す。味は秋を主る。秋は合を刺す。是れ五變は以て五輸を主ると謂う」と。

黄帝曰く、「諸原安くにか合し、以て六輸を致す」と。

岐伯曰く、「原獨り五時に應ぜず。經を以て之に合して、以て其の數に應ず。故に六六三十六輸」と。

黄帝曰く、「何をか藏は冬を主どり、時は夏を主どり、音は長夏を主どり、味は秋を主どり、色は春を主ると謂う。願わくは其の故を聞かん」と。

岐伯曰く、「病藏に在る者は、之を井に取る。病色を變ずる者は、之を滎に取る。病時に間あり時に甚だしき者は、之を輸に取る。病音を變ずる者は、之を經に取る。經滿ちて血ある者は、病胃に在り。及び飮食節ならざるを以て病を得る者は、之を合に取る。故に命じて味は合を主ると日う。是を五變と謂うなり」と。

霊枢・外揣第四十五

黄帝曰く、「余九鍼九篇を聞く。余親しく其の調を授かり、頗る其の意を得る。夫れ九鍼は、一に始まりて九に終わる。然れども未だ其の要道を得ざるなり。夫れ九鍼は、之を小にするときは則ち内無く、之を大にするときは則ち外無し。深くして下と爲すべからず、高くして蓋と爲すべからず。恍惚として窮り無く、流溢として極り無し。余其の天道人事四時の變に合することを知るなり。然れども余願くは之を毫毛に雑え、渾束して一と爲し、可ならんや」と。

岐伯曰く、「明らかなるかな問いたまうこと。獨り鍼道のみに非ず、夫れ國を治むるも亦た然り」と。

黄帝曰く、「余願くは鍼道を聞かん。國事に非ざるなり」と。

岐伯曰く、「夫れ國を治むる者は、夫れ惟だ道のみなり。道に非ずは、何ぞ小大深淺を、雜え合せて一と爲すべけんや」と。

黄帝曰く、「願くは卒かに之を聞かん」と。

岐伯曰く、「日と月と、水と鏡と、鼓と響となり。夫れ日月の明、其の影を失わず。水鏡の察、其の形を失わず。鼓響の應、其の聲に後れず。動搖すれば則ち應和す。盡く其の情を得たり」と。

黄帝曰く、「窘れるかな、昭昭の明、蔽うべからず。其の蔽うべからざるは、陰陽を失わざるなり。合して之を察し、切して之を驗す。見て之を得、清水明鏡の其の形を失わざるが若きなり。五音彰かならず。五色明らかならず。五藏の波蕩す、是の若くば則ち内外相襲いて、鼓の桴に應じ、響の聲に應じ、影の形に似る。故に遠き者は外を司がい内を揣る。近き者は内を司がい外を揣る。是れ陰陽の極、天地の蓋と謂い、請う之を靈蘭の室に藏して、敢て泄らさしめざるなり」と。

霊枢・五變第四十六

黄帝少兪に問うて曰く、「余聞く百疾の始めて期するや、必ず風雨寒暑に生ず。毫毛を循りて腠理に入る。或は復た還り、或は留止す。或は風腫を爲して汗を出し、或は消癉を爲し、或は寒熱を爲す。或は留痺を爲し、或は積聚を爲す。奇邪淫溢し、勝げて數うべからず。願わくは其の故を聞かん。夫れ時を同じくして病を得る。或は此を病み、或は彼を病む。意うに天の人の爲に風を生ずるや、何ぞ其れ異なるか」と。

少兪曰さく、「夫れ天の風を生ずる者は、以て百姓に私するに非ざるなり。其の行は公平正直。犯す者は之を得。避る者は殆きこと無きを得。人に求むるに非ずして、人自から之を犯す」と。

黄帝曰く、「一時風に遇いて、時を同じくして病を得る。其の病各々異なる。願わくは其の故を聞かん」と。

少兪曰さく、「善きかな問いたまう。請う、論ずるに匠人に比べんことを以てせん。匠人は斧斤を磨き、刀を砺いて、材木を削斲す。木の陰陽、尚お堅脆有り。堅き者は入らず。脆き者は皮弛む。其の交節に至りて、斤斧を缺く。夫れ一木の中、堅脆同じからず。堅き者は則ち剛く、脆き者は傷れ易し。况や其の材木の不同、皮の厚薄、汁の多少にして、各々異なるに於いてをや。夫れ木の蚤く花き、先づ葉を生ずる者は、春霜烈風に遇うときは、則ち花落ちて葉萎ゆ。久く大旱に曝すときは、則ち脆木薄皮なる者は、枝條汁少くして葉萎ゆ。久陰淫雨なるときは、則ち薄皮多汁なる者は、皮潰れて漉びる。卒風暴に起こるときは、則ち剛脆の木、枝折れ扤傷る。秋霜疾風のときは、則ち剛脆の木、根搖ぎて葉落つ。凡そ此の五者は、各々傷るる所有り。况や人に於てをや」と。

黄帝曰く、「人を以て木に應ずるは奈何」と。

少兪荅えて曰さく、「木の傷るる所や、皆な其の枝を傷る。枝の剛脆にして堅きは、未だ傷るることを成さざるなり。人の常に病有るや、亦た其の骨節皮膚腠理の堅固ならずに因る者は、邪の舍る所なり。故に常に病を爲すなり」と。

黄帝曰く、「人の善く風厥を病みて汗を漉びさす者は、何を以てか之を候わん」と。

少兪荅えて曰さく、「肉堅からず、腠理疏なるときは、則ち善く風を病む」と。

黄帝曰く、「何を以てか肉の堅からずを候わん」と。

少兪荅えて曰さく、「膕肉堅からずして分理無き者は、粗理なり。粗理にして皮緻ならざる者は、腠理疏なり。此れ其の渾然たる者を言う」と。

黄帝曰く、「人の善く消癉を病む者は、何を以てか之を候わん」と。

少兪荅えて曰さく、「五藏皆な柔弱なる者は、善く消癉を病む」と。

黄帝曰く、「何を以て五藏の柔弱を知るや」と。

少兪荅えて曰さく、「夫れ柔弱なる者は、必ず剛強有り。剛強は怒り多く、柔なる者は傷れ易きなり」と。

黄帝曰く、「何を以てか柔弱と剛強とを候わん」と。

少兪荅えて曰さく、「此れ人皮膚薄くして、目堅固にして以て深き者は、長衝直揚なるは、其の心剛し。剛ければ則ち多く怒る。怒れば則ち氣上逆し、胸中畜積し、血氣逆留し、臗皮肌に充ちて、血脉行かず、轉じて熱を爲す。熱するれば則ち肌膚を消す。故に消癉を爲す。此れ其の人暴剛にして肌肉弱き者を言うなり」と。

黄帝曰く、「人の善く寒熱を病む者は、何を以てか之を候わん」と。

少兪荅えて曰さく、「小骨弱肉なる者は、善く寒熱を病む」と。

黄帝曰く、「何を以てか骨の小大、肉の堅脆、色の不一を候わん」と。

少兪荅えて曰さく、「顴骨は、骨の本なり。顴大なるときは則ち骨大なり。顴小なるときは則ち骨小なり。皮膚薄くして、其の肉醸無く、其の臂懦懦然たり。其の地の色殆然として、其の天と色を同じうせず。汚然として獨り異なり。此れ其の候なり。然して後、臂薄き者は、其の髓滿たず。故に善く寒熱を病むなり」と。

黄帝曰く、「何を以てか人の善く痺を病む者を候わん」と。

少兪荅えて曰さく、「粗理にして肉堅からざる者は、善く痺を病む」と。

黄帝曰く、「痺の高下處有りや」と。

少兪荅えて曰さく、「其の高下を知らんと欲する者は、各々其の部を視る」と。

黄帝曰く、「人の善く腸中の積聚を病む者は、何を以てか之を候わん」と。

少兪荅えて曰さく、「皮膚薄くして澤しからず、肉堅からずして淖澤たり。此の如くなるは則ち腸胃惡し。惡きときは則ち邪氣留止して、積聚し乃ち脾胃の間傷る。寒温次らず、邪氣稍く至る。稸積留止して、大聚乃ち起こる」と。

黄帝曰く、「余病形を聞き、已に之を知る。願わくは其の時を聞かん」と。

少兪荅えて曰さく、「先づ其の年を立てて、以て其の時を知る。時高きときは則ち起こる。時下きときは則ち殆し。陷下せずと雖ども、年に當て衝通有れば、其の病必づ起こる。是を形に因って病を生ずと謂う。五變の紀なり」と。

霊枢・本藏第四十七

黄帝岐伯に問うて曰く、「人の血氣精神は、生を奉いて性命を周る所以の者なり。經脉は、血氣を行らして、陰陽を營し、筋骨を濡し、關節を利する所以の者なり。衞氣は、分肉を温め、皮膚を充たし、腠理を肥やし、開闔を司る所以の者なり。志意は、精神を御し、魂魄を収め、寒温を適え、喜怒を和する所以の者なり。是の故に血和するときは、則ち經脉流行し、營陰陽を覆い、筋骨勁強にして、關節清利なり。衞氣和するときは、則ち分肉解利し、皮膚調柔し、腠理緻密なり。志意和するときは、則ち精神專直にして、魂魄散ぜず、悔怒起らず、五藏邪を受けず。寒温和するときは、則ち六府穀を化し、風痺作らず、經脉通利し、肢節安きことを得。此れ人の常平なり。五藏は、精神血氣魂魄を藏する所以の者なり。六府は、水穀を化して津液を行らす所以の者なり。此れ人の天に具受する所以なり。愚智賢不肖と無く、以て相い倚ること無きなり。然して其の獨り天壽を盡して、邪僻の病無く、百年まで衰えざること有り、風雨卒寒大暑を犯すと雖ども、猶お能く害せざること有るなり。其の屏蔽室内を離れず、怵惕の恐れ無く、然して猶お病を免れざること有るは、何ぞや。願わくは其の故を聞かん」と。

岐伯對えて曰く、「窘いかな問いたまうこと。五藏は、天地に參わり、陰陽に副いて、四時に連なり、五節を化する所以の者なり。五藏は、固より小大、高下、堅脆、端正偏傾の者有り。六府も亦た小大、長短、厚薄、結直、緩急有り。凡そ此の二十五の者は、各々同じからず。或いは善く或いは惡しく、或いは吉、或いは凶なり。請う其の方を言わん」と。

心小なるときは則ち安く、邪傷ること能わず、憂を以て傷られ易し。心大なるときは、則ち憂傷ること能わず、邪に傷られ易し。心高きときは、則ち肺中に満ち、悗して善く忘れ、開くに言を以てし難し。心下きときは、則ち外に藏して寒に傷られ易く、恐るに言を以てし易し。心堅きときは、則ち藏安くして守り固し。心脆きときは、則ち善く消癉熱中を病む。心端正なるときは、則ち和利して傷られ難し。心偏傾なるときは、則ち操持一ならずして、守司すること無きなり。

肺小なるときは、則ち飮少なく、喘喝を病まず。肺大なるときは、則ち飮多く、善く胸痺、喉痺、逆氣を病む。肺高きときは、則ち上氣、肩息して欬す。肺下きときは、則ち賁に居し肺に迫り、善く脇下痛む。肺堅きときは、則ち欬上氣を病まず。肺脆きときは、則ち消癉を病むことを苦しみ傷られ易し。肺端正なるときは、則ち和利して傷られ難し。肺偏傾なるときは、則ち胸偏痛むなり。

肝小なるときは、則ち藏安くして、脇下の病無し。肝大なるときは、則ち胃に逼り咽に迫る。咽に迫るときは則ち膈中を苦しみ且つ脇下痛む。肝高きときは、則ち上支賁切し脇悗し息賁を爲す。肝下きときは、則ち胃に逼り、脇下空し。脇下空しきときは則ち邪を受け易し。肝堅きときは、則ち藏安く傷られ難し。肝脆きときは、則ち善く消癉を病み傷られ易し。肝端正なるときは、則ち和利して傷られ難し。肝偏傾なるときは、則ち脇下痛むなり。

脾小なるときは、則ち藏安くして、邪に傷られ難きなり。脾大なるときは、則ち苦次に湊りて痛み、疾行すること能わず。脾高きときは、則ち次季脇に引きて痛む。脾下きときは、則ち下りて大腸に加わる。下りて大腸に加わるときは、則ち藏邪を受くことを苦しむ。脾堅きときは、則ち藏安く傷られ難し。脾脆きときは、則ち善く消癉を病み傷られ易し。脾端正なるときは、則ち和利して傷られ難し。脾偏傾なるときは、則ち善く滿し善く脹するなり。

腎小なるときは、則ち藏安くして傷られ難し。腎大なるときは、則ち善く腰痛を病み、以て俛仰すべからず、以て邪に傷られ易し。腎高きときは、則ち背膂痛を苦しみ、以て俯仰すべからず。腎下きときは、則ち腰尻痛み、以て俛仰すべからず、狐疝を爲る。腎堅きときは、則ち腰背痛を病まず。腎脆きときは、則ち消癉を病むを苦しみ傷られ易し。腎端正なるときは、則ち和利して傷られ難し。腎偏傾なるときは、則ち腰尻痛を苦しむなり。凡そ此の二十五變は、人の常に病むことを苦しむ所なり」と。

黄帝曰く、「何を以てか其の然ることを知らん」と。

岐伯曰く、「赤色小理なる者は、心小なり。粗理なる者は、心大なり。臼骬無き者は、心高し。臼骬小短にして擧がる者は、心下し。臼骬長き者は、心下堅し。臼骬弱小にして以て薄き者は、心脆し。臼骬直ぐ下りて擧らざる者は、心端正なり。臼骬一方に倚る者は、心偏傾なり。

白色小理なる者は、肺小なり。粗理なる者は、肺大なり。巨肩、反膺、陷喉なる者は、肺高し。腋を合して脇の張る者は、肺下し。好肩、背厚なる者は、肺堅し。肩背薄き者は、肺脆し。背膺厚き者は、肺端正なり。脇偏疏なる者は、肺偏傾なり。

青色小理なる者は、肝小なり。粗理なる者は、肝大なり。廣胸、反骹なる者は、肝高し。脇を合して兔骹なる者は、肝下し。胸脇好き者は、肝堅し。脇骨弱き者は、肝脆し。膺腹好く相い得る者は、肝端正なり。脇骨偏り擧がる者は、肝偏傾なり。

黄色小理なる者は、脾小なり。粗理なる者は、脾大なり。掲脣なる者は、脾高し。脣下縱なる者は、脾下し。脣堅き者は、脾堅し。脣大にして堅からざる者は、脾脆し。脣の上下好き者は、脾端正なり。脣偏り擧がる者は、脾偏傾なり。

黒色小理なる者は、腎小なり。粗理なる者は、腎大なり。高耳なる者は、腎高し。耳後陷なる者は、腎下し。耳堅き者は、腎堅し。耳薄く堅からざる者は、腎脆し。耳好く前は牙車に居する者は、腎端正なり。耳偏りて高き者は、腎偏傾なり。凡そ此の諸變は、持するときは則ち安く、減ずるときは則ち病むなり」と。

帝曰く、「善し。然れども余の問う所に非ざるなり。願わくは聞かん。人の病むべからざる者有りて、至りて天壽を盡し、深憂、大恐、怵惕の志有りと雖も、猶お減ずること能わざるなり。甚寒、大熱も、傷るること能わざるなり。其の屏蔽室内を離れず、又た怵惕の恐れ無く、然れども病を免れざる者有るは、何ぞや。願わくは其の故を聞かん」と。

岐伯曰く、「五藏六府は、邪の舍なり。請う其の故を言さん。五藏皆な小なる者は、病少なく、燋心を苦しみ、大いに愁憂す。五藏皆な大なる者は、事に緩にして、以て憂えしめ難し。五藏皆な高き者は、高く擧措するを好む。五藏皆な下き者は、人の下に出づるを好む。

五藏皆な堅き者は、病無し。五藏皆な脆き者は、病に離れず。五藏皆な端正なる者は、和利して人の心を得。五藏皆な偏傾なる者は、邪心にして善く盗み、以て人平なることを爲すべからず。言語を反覆するなり」と。

黄帝曰く、「願わくは六府の應を聞かん」と。

岐伯荅えて曰く、「肺は大腸に合す。大腸は、皮其の應なり。心は小腸に合す。小腸は、脉其の應なり。肝は膽に合す。膽は、筋其の應なり。脾は胃に合す。胃は、肉其の應なり。腎は三焦膀胱に合す。三焦膀胱は、腠理毫毛其の應なり」と。

黄帝曰く、「之に應ずること奈何」と。

岐伯曰く、「肺は皮に應ず。皮厚き者は、大腸厚く、皮薄き者は、大腸薄し。皮緩く腹裏大なる者は、大腸大にして長く、皮急なる者は、大腸急にして短し。皮滑なる者は、大腸直し。皮肉相い離れざる者は、大腸結る。

心は脉に應ず。皮厚き者は、脉厚く、脉厚き者は、小腸厚し。皮薄き者は、脉薄く、脉薄き者は、小腸薄し。皮緩き者は、脉緩く、脉緩き者は、小腸大にして長し。皮薄くして脉沖小なる者は、小腸小にして短し。諸陽の經脉は、皆な多く紆屈する者は、小腸結る。

脾は肉に應ず。肉醸堅大なる者は、胃厚し。肉醸麼き者は、胃薄し。肉醸小にして麼き者は、胃堅からず。肉醸身に稱わざる者は、胃下し。胃下き者は、下管約して利せず。肉醸堅からざる者は、胃緩し。肉醸小裹累無き者は、胃急なり。肉醸少裹累多き者は、胃結る。胃結る者は、上管約して利せざるなり。

肝は爪に應ず。爪厚く色黄なる者は、膽厚し。爪薄く色紅なる者は、膽薄し。爪堅く色青き者は、膽急なり。爪濡い色赤なる者は、膽緩む。爪直く色白にして約無き者は、膽直し。爪惡しく色黒く紋多き者は、膽結るなり。

腎は骨に應ず。密理厚皮なる者は、三焦膀胱厚し。粗理薄皮なる者は、三焦膀胱薄し。腠理疏なる者は、三焦膀胱緩し。皮急にして毫毛無き者は、三焦膀胱急なり。毫毛美にして粗なる者は、三焦膀胱直し。毫毛稀なる者は、三焦膀胱結るなり」と。

黄帝曰く、「厚薄美惡、皆な形有り。願わくは其の病む所を聞かん」と。

岐伯荅えて曰く、「其の外應を視て、以て其の内藏を知るときは、則ち病む所を知る」と。

霊枢・禁服第四十八

雷公黄帝に問うて曰く、「細子業を受くることを得て、九鍼六十篇に通ず。旦暮に勤めて之に服す。近き者は編絶す。久しき者は簡垢る。然ども尚お諷誦して置かざるも、未だ盡く意を解せず。外揣に言う渾束して一と爲す。未だ謂う所を知らざるなり。夫れ大なれば則ち外無し。小なれば則ち内無し。大小極り無く、高下度ること無し。之を束すること奈何。

士の才力、或は厚薄有り。智慮褊淺にして、博大深奥なること能わず。自から學を強いること、細子の若し。細子其の後世に散じて、子孫に絶えんことを恐る。敢えて問う、之を約すること奈何」と。

黄帝曰く、「善きかな問うこと。此れ先師の禁ぜし所、坐して私に之を傳うるなり。臂を割き血を歃るの盟なり。子若し之を得んと欲せば、何ぞ齋せざるや」と。

雷公再拜して起ちて曰く、「請う命を是に聞かん」と。

乃ち齋宿すること三日にして請うて曰く、「敢えて問う、今日は正陽なり。細子願わくは以て盟を受けん」と。

黄帝乃ち與に倶に齋室に入り、臂を割きて血を歃る。

黄帝親しく祝して曰く、「今日は正陽なり。血を歃りて方を傳えん。敢えて此の言に背く者有らば、反て其の殃を受けん」と。

雷公再拜して曰く、「細子之を受けん」と。

黄帝乃ち左に其の手を握り、右に之の書を授けて曰く、「之を愼しめ之を愼しめ。吾れ子が爲に之を言わん。凡そ刺の理、經脉を始と爲す。其の行く所を營し、其の度量を知る。内は五藏を刺し、外は六府を刺す。審らかに衞氣を察するは、百病の母爲り。其の虚實を調えれば、虚實乃ち止む。其の血絡を寫すれば、血盡きて殆からず」と。

雷公曰く、「此れ皆な細子の通ずる所以、未だ其の約する所を知らざるなり」と。

黄帝曰く、「夫れ方を約する者は、猶を嚢を約するがごときなり。嚢滿ちて約せざるときは、則ち輸泄す。方成りて約せざるときは、則ち神と倶にせざる」と。

雷公曰く、「願わくは下材爲る者は、滿たずして之を約さんか」と。

黄帝曰く、「未だ滿ずして之を約するを知るは、以て工と爲し、以て天下の師と爲すべからず」と。

雷公曰く、「願わくは工爲ることを聞かん」と。

黄帝曰く、「寸口は中を主どり、人迎は外を主る。兩つの者は相い應じ、倶に往き倶に來ること、繩を引くが若く、大小齊等なり。春夏は人迎微かに大、秋冬は寸口微かに大。是の如き者を、名づけて平人と日う。

人迎大なること寸口に一倍なるは、病足の少陽に在り。一倍にして躁は、手の少陽に在り。

人迎二倍なるは、病足の太陽に在り。二倍にして躁は、病手の太陽に在り。

人迎三倍なるは、病足の陽明に在り。三倍にして躁は、病手の陽明に在り。

盛んなるは則ち熱と爲す。虚するは則ち寒と爲す。緊は則ち痛痺と爲す。代は則ち乍ち甚乍ち間。盛んなるは則ち之を寫す。虚するは則ち之を補す。緊痛は則ち之を分肉に取る。代は則ち血絡に取り、且つ藥を飮ましむ。陷下するは則ち之を灸す。盛んならず虚せずは、經を以て之を取る。名づけて經刺と日う。

人迎四倍なる者、且つ大且つ數は、名づけて溢陽と日う。溢陽は外格と爲す。死して治せず。必ず審らかに其の本末を按じ、其の寒熱を察して、以て其の藏府の病を驗む。

寸口大なること人迎に一倍なるは、病足の厥陰に在り。一倍にして躁は、手の心主に在り。

寸口二倍なるは、病足の少陰に在り。二倍にして躁は、手の少陰に在り。

寸口三倍なるは、病足の太陰に在り。三倍にして躁は、手の太陰に在り。

盛んなれば則ち脹滿し寒中して食化せず。虚すれば則ち熱中して糜を出し氣少なく溺色變ず。緊なれば則ち痛痺す。代なれば則ち乍ち痛み乍ち止む。

盛んなれば則ち之を寫す。虚すれば則ち之を補す。緊なれば則ち先づ刺して後に之を灸す。代なれば則ち血絡を取りて後に之を調う。陷下すれば則ち徒だ之に灸す。陷下する者は、脉血中に結び、中に著血有り。血寒す。故に宜しく之に灸す。盛んならず虚せずは、經を以て之を取る。

寸口四倍なる者は、名づけて内關と日う。内關は、且つ大且つ數にして、死して治せず。

必づ審らかに其の本末の寒温を察し、以て其の藏府の病を驗む。

其の營輸を通じ、乃ち大數を傳うべし。大數に曰く、盛んなれば則ち徒だ之を寫す。虚すれば則ち徒だ之を補す。緊なれば則ち灸刺して且つ藥を飮ましむ。陷下すれば則ち徒だ之を灸す。盛んならず虚せずは、經を以て之を取る。

所謂經治は、藥を飮ましめ亦た曰く灸刺す。脉急なれば則ち引き、脉大にして以て弱きときは、則ち安靜を欲す。力を用いて勞すること無きなり」と。

霊枢・五色第四十九

雷公黄帝に問うて曰さく、「五色獨り明堂に決するや。小子未だ其の所謂を知らざるなり」と。

黄帝曰く、「明堂は鼻なり。闕は眉間なり。庭は顏なり。蕃は頬側なり。蔽は耳門なり。其の間は方大にして、之を去ること十歩、皆な外に見われんと欲す。是の如き者は壽しき。必ず百歳に中る」と。

雷公曰さく、「五官の辨は奈何」と。

黄帝曰く、「明堂は骨高くして以て起こり、平らにして以て直し。五藏は中央に次り、六府は其の兩側を挾む。首面は闕庭に上り、王宮は下極に在り。五藏は胸中に安んずれば、眞色以て致し、病色見われず。明堂潤澤にして以て清ければ、五官惡んぞ辨無きことを得んや」と。

雷公曰さく、「其の辨ぜざる者は、聞くを得べきや」と。

黄帝曰く、「五色の見わるるや、各々其の色部に出づ。部骨陷る者は、必ず病を免れず。其の色部乘襲する者は、病甚だしと雖も死せず」と。

雷公曰さく、「五色を官どること奈何」と。

黄帝曰く、「青黒は痛と爲す。黄赤は熱と爲す。白は寒と爲す。是を五官と謂う」と。

雷公曰さく、「病の益々甚しきと、其の方に衰うると、如何」と。

黄帝曰く、「外内皆在り。其の脉口を切するに、滑小緊にして以て沈なる者は、病益々甚しく中に在り。人迎の氣、大緊にして以て浮なる者は、其の病益々甚しく外に在り。其の脉口浮滑なる者は、病日に進む。人迎沈にして滑なる者は、病日に損ず。其の脉口滑にして以て沈なる者は、病日に進みて内に在り。其の人迎の脉滑盛にして以て浮なる者は、其の病日に進みて外に在り。脉の浮沈、及び人迎と寸口の氣と、小大等しき者は、病已え難し。

病の藏に在り、沈にして大なる者は已え易し。小を逆と爲す。病の府に在り、浮にして大なる者は、其の病已え易し。人迎盛堅なる者は、寒に傷らる。氣口盛堅なる者は、食に傷らる」と。

雷公曰さく、「色を以て病の間甚を言うこと奈何」と。

黄帝曰く、「其の色麤にして以て明なり。沈夭なる者は甚と爲す。其の色上行する者は、病益々甚だし。其の色下行すること、雲の徹散するが如き者は、病方に已む。五色に各々藏部有り、外部有り、内部有るなり。色外部從り内部へ走る者は、其の病外從り内に走る。其の色内從り外に走る者は、其の病内從り外に走る。病内に生ずる者は、先づ其の陰を治し、後に其の陽を治す。反する者は益々甚だし。其の病陽に生ずる者は、先づ其の外を治し、後に其の内を治す。反する者は益々甚だし。其の脉滑大にして以て代にして長なる者は、病外從り來たる。目に見る所有り、志に惡む所有るは、此れ陽氣の并するなり。變じて已むべし」と。

雷公曰さく、「小子聞く、風は百病の始なり、厥逆は寒濕の起なりと。之を別つこと奈何」と。

黄帝曰く、「常に闕中を候う。薄澤を風と爲す。沖濁を痺と爲す。地に在るを厥と爲す。此れ其の常なり。各々其の色を以て其の病を言う」と。

雷公曰さく、「人病まずして卒に死するは、何を以てか之を知らん」と。

黄帝曰く、「大氣藏府に入る者は、病まずして卒に死す」と。

雷公曰さく、「病小しく愈えて卒に死する者は、何を以てか之を知らん」と。

黄帝曰く、「赤色兩顴に出で、大いさ母指の如き者は、病小しく愈ゆと雖も、必ず卒に死す。黒色庭に出で、大いさ母指の如きは、必ず病まずして卒に死す」と。

雷公再して曰さく、「善いかな。其の死に期有りや」と。

黄帝曰く、「色を察して以て其の時を言う」と。

雷公曰く、「善いかな。願わくは卒に之を聞かん」と。

黄帝曰く、「庭は、首面なり。闕上は、咽喉なり。闕中は、肺なり。下極は、心なり。直下は、肝なり。肝の左は、膽なり。下は、脾なり。方上は、胃なり。中央は、大腸なり。大腸を挾むは、腎なり。腎に當るは、臍なり。面王より以上は、小腸なり。面王より以下は、膀胱子處なり。顴は、肩なり。顴の後は、臂なり。臂の下は、手なり。目の内眥の上は、膺乳なり。繩を挾みて上るは、背なり。牙車を循りて以て下るは、股なり。中央は、膝なり。膝より以下は、脛なり。脛に當たりて以て下るは、足なり。巨分は、股裏なり。巨屈は、膝臏なり。此れ五藏六府肢節の部なり。各々部分有り。部分有れば、陰を用いて陽を和し、陽を用いて陰を和す。當に部分を明らかにすべし。


萬擧萬當ならん、能く左右を別つ、是を大道と謂う。男女位を異にす。故に陰陽と日う。審らかに澤と夭を察するは、之を良工と謂う。沈濁を内と爲す。浮澤を外と爲す。黄赤を風と爲す。青黒を痛と爲す。白を寒と爲す。黄にして膏潤なるを膿と爲す。赤きこと甚だしき者を血と爲す。痛甚だしきを攣と爲す。寒甚だしきを皮不仁と爲す。五色各々其の部に見わる。其の浮沈を察して、以て淺深を知る。其の澤夭を察して、以て成敗を觀る。其の散搏を察して、以て遠近を知る。色の上下を視て、以て病處を知る。神を心に積みて、以て往今を知る。故に相氣微なずんば、是非を知らず。意を屬けて去ることなければ、乃ち新故を知る。色明らかにして麤ならず、沈夭なるを甚と爲す。明らかならず澤ならずは、其の病甚だしからず。其の色散じ駒駒然として、未だ聚ること有らずは、其の病散じて氣痛む。聚未だ成らざるなり。

腎心に乘ずれば、心先づ病む。腎を應と爲す。色は皆な是の如し。男子の色は面王に在るを、小腹痛と爲す。下きを卵痛と爲す。其の圜かに直きを、莖痛と爲す。高きを本と爲す。下きを首と爲す。狐疝躰陰の屬なり。女子面王に在るを、膀胱子處の病と爲す。散を痛と爲す。搏を聚と爲す。方圓左右は、各々其の色の形の如し。其の隨いて下り胝に至るを、淫と爲す。潤有ること膏状の如きを、暴食不潔と爲す。

左を左と爲す。右を右と爲す。其の色に邪有りて、聚散して端しからずは、面色指す所の者なり。色は、青黒赤白黄、皆な端しく滿ちて別郷有り。別郷赤き者は、其の色も亦た大なること楡莢の如く、面王に在るは、不日と爲す。其の色上に鋭なるは、首空上に向う。下に鋭なるは下に向う。左右に有るは法の如し。五色を以て藏に命づく。青を肝と爲し、赤を心と爲し、白を肺と爲し、黄を脾と爲し、黒を腎と爲す。肝は筋に合し、心は脉に合し、肺は皮に合し、脾は肉に合し、腎は骨に合するなり」と。



霊枢・論勇第五十

黄帝少兪に問うて曰く、「人の此に有り、並び行き並び立つ。其の年の長少等しきなり。衣の厚薄均しきなり。卒然として烈風暴雨に遇う。或いは病み或いは病まず。或いは皆な病み、或いは皆な病まず。其の故は何ぞや」と。

少兪曰く、「帝問うこと何れか急なる」と。

黄帝曰く、「願わくは盡く之を聞かん」と。

少兪曰く、「春は青風、夏は陽風、秋は涼風、冬は寒風。凡そ此の四時の風は、其の病む所各々形を同じゅうせず」と。

黄帝曰く、「四時の風、人を病ましむること如何」と。

少兪曰く、「黄色薄皮弱肉なるは、春の虚風に勝えず。白色薄皮弱肉なるは、夏の虚風に勝えず。青色薄皮弱肉なるは、秋の虚風に勝えず。赤色薄皮弱肉なるは、冬の虚風に勝えざるなり」と。

黄帝曰く、「黒色病まざるか」と。

少兪曰く、「黒色にして皮厚く肉堅きは、固より四時の風に傷られず。其の皮薄くして肉堅からず、色一ならざる者は、長夏至りて虚風有れば病む。其の皮厚くして肌肉堅き者は、長夏至りて虚風有れども病まず。其の皮厚くして肌肉堅き者は、必づ重ねて寒に感じ、外内皆な然して乃ち病む」と。

黄帝曰く、「善し」と。

黄帝曰く、「夫れ人の痛みを忍ぶと痛みを忍びずとは、勇怯の分に非ざるなり。夫れ勇士の痛みを忍びざる者は、難を見ては則ち前み、痛みを見ては則ち止まる。夫れ怯士の痛みを忍ぶ者は、難を聞きて則ち恐れ、痛みに遇いて動かず。夫れ勇士の痛みを忍ぶ者は、難を見て恐れず、痛みに遇いて動かず。夫れ怯士の痛みを忍びざる者は、難と痛みとを見て、目轉じ面盻み、恐れて言うこと能わず。氣を失い驚きて、顏色變化す。乍ち死し乍ち生く。余其の然ることを見るなり。其の何の由なるかを知らず。願わくは其の故を聞かん」と。

少兪曰く、夫れ痛みを忍ぶと痛みを忍びざるとは、皮膚の薄厚、肌肉の堅脆緩急の分なり。勇怯の謂に非ざるなり」と。

黄帝曰く、「願わくは勇怯の由て然る所を聞かん」と。

少兪曰く、「勇士は、目深くして以て固く、長衡直揚なり。三焦理に横り、其の心端直なり。其の肝大にして以て堅く、其の膽滿ちて以て傍う。怒るときは則ち氣盛んにして胸張り、肝擧がりて膽横る。眥裂けて目揚がり、毛起ちて面蒼し。此れ勇士の由て然る所の者なり」と。

黄帝曰く、「願わくは怯士の由て然る所を聞かん」と。

少兪曰く、「怯士は、目大にして減せず。陰陽相い失い、其の焦理縱み、臼骬短にして小なり。肝系緩く、其の膽滿たずして縱み、腸胃挺み、脇下空なり。方さに大いに怒ると雖も、氣其の胸を滿たすこと能わず。肝肺擧す雖も、氣衰えて復た下る。故に久しく怒ること能わず。此れ怯士の由て然る所の者なり」と。

黄帝曰く、「怯士の酒を得て、怒りて勇士を避けざるは、何れの藏が然らしむるや」と。

少兪曰く、「酒は、水穀の精、熟穀の液なり。其の氣慓悍、其の胃中に入るときは、則ち胃脹り、氣上逆して胸中に滿つ。肝浮き膽横る。是の時に當り、固に勇士に比す。氣衰うるときは則ち悔ゆ。勇士と類を同じくして、之を避くることを知らず。名づけて酒悖と日うなり」と。

霊枢・背腧第五十一

黄帝岐伯に問うて曰く、「願わくは五藏の腧、背に出る者を聞かん」と。

岐伯曰く、「胸中の大腧は、杼骨の端に在り。肺腧は、三焦の間に在り。心腧は、五焦の間に在り。膈腧は、七焦の間に在り。肝腧は、九焦の間に在り。脾腧は、十一焦の間に在り。腎腧は、十四焦の間に在り。皆な脊を挾みて相い去ること三寸の所、則ち得て之を驗さんと欲せば、其の處を按じ、應は中に在りて痛み解く。乃ち其の腧なり。之に灸するは則ち可なり。之を刺すは則ち不可なり。氣盛んなるときは則ち之を寫し、虚するときは則ち之を補う。火を以て補う者は、其の火を吹くことなかれ。須らく自ら滅せしむべきなり。火を以て寫す者は、疾かに其の火を吹く。其の艾に傳え、須らく其の火を滅すべきなり。


霊枢・衞氣第五十二

黄帝曰く、「五藏は、精神魂魄を藏す所以の者なり。六府は、水穀を受けて物を化し行らす者なり。其の氣五藏に内りて、外は肢節を絡う。其の浮氣の經を循らざる者を、衞氣と爲す。其の精氣の經に行ぐる者を、營氣と爲す。陰陽相隨い、外内相貫き、環の端無きが如く、亭亭淳淳たり。孰れか能く之を窮めん。然して其の陰陽を分別するに、皆な標本虚實離るる所の處有り。能く陰陽十二經を別つ者は、病の生じる所を知る。虚實の在る所を候う者は、能く病の高下を得。六府の氣街を知る者は、能く結を解き門戸に契紹するを知る。

能く虚石の堅軟を知る者は、補寫の在る所を知る。能く六經の標本を知る者は、以て天下に惑うところ無かるべし」と。

岐伯曰く、「博いかな聖帝の論。臣請う意を盡して悉く之を言さん。

足の太陽の本は、跟以上五寸の中に在り。標は兩絡の命門に在り。命門は目なり。

足の少陽の本は、竅陰の間に在り。標は窓篭の前に在り。窓篭は耳なり。

足の少陰の本は、内踝の下上三寸の中に在り。標は背の腧と舌下の兩脉とに在るなり。

足の厥陰の本は、行間の上五寸の所に在り。標は背の腧に在るなり。

足の陽明の本は、厲兌に在り。標は人迎、頬頏顙を挾むに在るなり。

足の太陰の本は、中封の前上四寸の中に在り。標は背の腧と舌本とに在るなり。

手の太陽の本は、外踝の後に在り。標は命門の上一寸に在るなり。

手の少陽の本は、小指の次指の間上二寸に在り。標は耳後の上角の下外眥に在るなり。

手の陽明の本は、肘骨の中に在り、上りて別陽に至る。標は顏下に在り、鉗上に合するなり。

手の太陰の本は、寸口の中に在り。標は腋内の動に在るなり。

手の少陰の本は、鋭骨の端に在り。標は背の腧に在るなり。

手の心主の本は、掌後の兩筋の間二寸の中に在り。標は腋下の下三寸に在るなり。


凡そ此れを候うに、下虚するときは則ち厥し、下盛んなるときは則ち熱し、上虚するときは則ち眩し、上盛んなるときは則ち熱痛す。故に石なる者は絶して之を止め、虚なる者は引きて之を起す。

請う、氣街を言さん。胸氣に街有り。腹氣に街有り。頭氣に街有り。脛氣に街有り。故に氣の頭に在る者は、之を腦に止む。氣の胸に在る者は、之を膺と背の腧とに止む。氣の腹に在る者は、之を背の腧と衝脉の臍の左右の動脉なる者とに止む。氣の脛に在る者は、之を氣街と承山踝上より以下とに止む。此を取る者は毫鍼を用ゆ。必ず先づ按じて在ること久しくして、手に應じて、乃ち刺して之を予う。治する所の者は、頭痛眩仆、腹痛中滿暴脹。及び新積に痛み有りて移るべき者は、已み易きなり。積痛まざるは、已み難きなり」と。

霊枢・論痛第五十三

黄帝少兪に問うて曰く、「筋骨の強弱、肌肉の堅脆、皮膚の厚薄、腠理の疏密、各々同じからず。其の鍼石火焫の痛みに於けるや何如。腸胃の厚薄堅脆も亦た等しからず。其の毒藥に於けるや何如。願わくは盡く之を聞かん」と。

少兪曰く、人の骨強く筋弱く肉緩かにして皮膚厚き者は、痛みに耐ゆ。其の鍼石の痛みに於ける、火焫も亦た然り」と。

黄帝曰く、「其の火焫に耐ゆる者は、何を以てか之を知らん」と。

少兪荅えて曰く、「加うるに黒色にして美骨なるを以てする者は、火焫に耐ゆ」と。

黄帝曰く、「其の鍼石の痛みに耐えざる者は、何を以てか之を知らん」と。

少兪曰く、「堅肉薄皮なる者は、鍼石の痛みに耐えず、火焫に於いても亦た然り」と。

黄帝曰く、「人の病、或は時を同じくして傷れ、或は已え易く、或は已え難し。其の故何如」と。

少兪曰く、「時を同じくして傷れ、其の身熱多き者は已え易く、寒多き者は已え難し」と。

黄帝曰く、「人の毒に勝ゆる、何を以てか之を知らん」と。

少兪曰く、「胃厚く色黒く、大骨にして及び肥えたる者は、皆な毒に勝ゆ。故に其の痩にして胃薄き者は、皆な毒に勝えざるなり」と。

霊枢・天年第五十四

黄帝岐伯に問うて曰く、「願わくは人の始て生ずるを聞かん。何れの氣か築いて基を爲し、何れか立ちて楯を爲し、何れか失いて死を爲し、何れか得て生ずるか」と。

岐伯曰く、「母を以て基と爲し、父を以て楯と爲す。神を失う者は死し、神を得る者は生ずるなり」と。

黄帝曰く、「何れの者を神と爲すか」と。

岐伯曰く、「血氣已に和し、榮衞已に通じ、五藏已に成るときは、神氣心に舍し、魂魄畢く具わり、乃ち成りて人と爲る」と。

黄帝曰く、「人の壽夭各々同じからず。或は夭壽し、或は卒かに死し、或は病久し。願わくは其の道を聞かん」と。

岐伯曰く、「五藏堅固にして、血脉和調し、肌肉解利し、皮膚致密なり。營衞の行、其の常を失わず、呼吸微徐にして、氣度を以て行き、六府穀を化し、津液布揚すること、各々其の常の如し。故に能く長久す」と。

黄帝曰く、「人の壽百歳にして死す。何を以てか之を致すか」と。

岐伯曰く、「使道隊くして以て長く、基牆高くして以て方しく、營衞を通調し、三部三里起こり、骨高く肉滿つるは、百歳にして乃ち終わるを得」と。

黄帝曰く、「其の氣の盛衰、以て其の死に至るまで、聞くを得べきか」と。

岐伯曰く、「人生れて十歳にして、五藏始めて定まり、血氣已に通ず。其の氣下に在り。故に好て走る。二十歳にして、血氣始めて盛んに、肌肉方に長ず。故に好て趨る。三十歳にして、五藏大いに定まり、肌肉堅固にして、血脉盛んに滿つ。故に好て歩む。四十歳にして、五藏六府、十二經脉、皆な大いに盛んに以て平らかに定まり、腠理始めて疏く、榮華頽落し、髮は班白に頗く。平盛にして搖がず。故に好て坐す。五十歳にして、肝氣始めて衰え、肝葉始めて薄く、膽汁始めて減じ、目始めて明かならず。六十歳にして、心氣始めて衰え、善く憂悲し、血氣懈惰す。故に好て臥す。七十歳にして、脾氣虚し、皮膚枯る。

八十歳にして、肺氣衰え、魄離る。故に言善く悞る。九十歳にして、腎氣焦れ、四藏の經脉空虚す。百歳にして、五藏皆な虚し、神氣皆な去り、形骸獨り居して終る」と。

黄帝曰く、「其の壽を終わること能わずして死する者は、何如」と。

岐伯曰く、「其の五藏皆な堅からず。使道長からず、空外以て張り、喘息暴疾し、又た基牆卑く、脉薄く血少なく、其の肉石からず、數々風寒に中り、血氣虚し、脉通ぜず、眞邪相攻め、亂れて相引く。故に中壽にして盡くなり」と。

霊枢・逆順第五十五

黄帝伯高に問うて曰く、「余聞く氣に逆順有り、脉に盛衰有り、刺に大約有りと。聞くことを得べきか」と。

伯高曰く、「氣の逆順は、天地陰陽四時五行に應ずる所以なり。脉の盛衰は、血氣の虚實有餘不足を候う所以なり。刺の大約は、必ず明らかに病の刺すべきと、其の未だ刺ささざるべきと、其の已に刺すべからざるべきとを知るなり」と。

黄帝曰く、「之を候うこと奈何」と。

伯高曰く、「兵法に曰く、逢逢の氣を迎うことなく、堂堂の陣を撃つことなしと。刺法に曰く、熇熇の熱を刺すことなく、漉漉の汗を刺すことなく、渾渾の脉を刺すことなく、病と脉と相い逆する者を刺すことなしと。」と。

黄帝曰く、「其の刺すべきを候うこと奈何」と。

伯高曰く、「上工は其の未だ生ぜざる者を刺すなり。其の次は其の未だ盛んならざる者を刺すなり。其の次は其の已に衰うる者を刺すなり。下工は其の方に襲う者と、其の形の盛んなる者と、其の病の脉と相い逆する者とを刺すなり。故に曰く、其の盛んなるに方りてはや、敢えて毀傷することなかれ。其の已に衰うるを刺すは、事必ず大いに昌なり。故に曰く、上工は未病を治し、已に病むを治さずとは、此れ之を謂うなり」と。

霊枢・五味第五十六

黄帝曰く、「願わくは聞かん、穀氣に五味有りて、其の五藏に入る分別は奈何」と。

伯高曰く、「胃は、五藏六府の海なり。水穀皆な胃に入る。五藏六府、皆な氣を胃に稟く。五味各々喜む所に走る。穀味の酸なるは先づ肝に走る。穀味の苦なるは先づ心に走る。穀味の甘なるは先づ脾に走る。穀味の辛なるは先づ肺に走る。穀味の鹹なるは先づ腎に走る。穀氣津液已に行き、營衞大いに通ず。乃ち糟粕を化して、次を以て傳え下る」と。

黄帝曰く、「營衞の行くこと奈何」と。

伯高曰く、「穀始めて胃に入り、其の精微は、先づ胃に出でて、兩焦に之き、以て五藏を漑す。別れ出でて營衞の道を兩行す。其の大氣の搏て行かざる者は、胸中に積む。命じて氣海と日う。肺に出でて、喉咽を循る。故に呼するときは則ち出で、吸するときは則ち入る。天地の精氣、其の大數は常に三を出でして一を入るる。故に穀入らざること半日なるときは則ち氣衰え、一日なるときは則ち氣少し」と。

黄帝曰く、「穀の五味、聞くことを得べきか」と。

伯高曰く、「請う盡く之を言さん。

五穀、秔米は甘、麻は酸、大豆は鹹、麥は苦、黄黍は辛なり。

五菓、棗は甘、李は酸、栗は鹹、杏は苦、桃は辛なり。

五畜、牛は甘、犬は酸、猪は鹹、羊は苦、雞は辛なり。

五菜、葵は甘、韭は酸、藿は鹹、薤は苦、葱は辛なり。

五色、黄色は宜しく甘かるべく、青色は宜しく酸なるべく、黒色は宜しく鹹なるべく、赤色は宜しく苦なるべく、白色は宜しく辛なるべし。凡そ此の五つの者は、各々宜しき所有り。五色と言う所の者なり。


脾を病む者は、宜しく秔米飯、牛肉、棗、葵を食すべし。

心を病む者は、宜しく麥、羊肉、杏、薤を食すべし。

腎を病む者は、宜しく大豆黄卷、猪肉、栗、藿を食すべし。

肝を病む者は、宜しく麻、犬肉、李、韭を食すべし。

肺を病む者は、宜しく黄黍、雞肉、桃、葱を食すべし。

五禁、肝病は辛を禁ず。心病は鹹を禁ず。脾病は酸を禁ず。腎病は甘を禁ず。肺病は苦を禁ず。

肝の色は青し。宜しく甘を食すべし。秔米飯、牛肉、棗、葵、皆な甘し。

心の色は赤し。宜しく酸を食すべし。犬肉、麻、李、韭、皆な酸し。

脾の色は黄なり。宜しく鹹を食すべし。大豆、豕肉、栗、藿、皆な鹹し。

肺の色は白し。宜しく苦を食すべし。麥、羊肉、杏、薤、皆な苦し。

腎の色は黒し。宜しく辛を食すべし。黄黍、雞肉、桃、葱、皆な辛し」と。


霊枢・水脹第五十七

黄帝岐伯に問うて曰く、「水と膚脹、鼓脹、腸覃、石瘕、石水とは、何を以てか之を別たん」と。

岐伯荅えて曰く、「水の始めて起こるや、目窠の上微かに腫れ、新に臥して起きるの状の如し。其の頚脉動き、時に欬す。陰股の間寒え、足の脛瘇れ、腹乃ち大なるは、其の水已に成る。手を以て其の腹を按ずれば、手に隨いて起こること、水を裹むの状の如し。此れ其の候なり」と。

黄帝曰く、「膚脹、何を以てか之を候わん」と。

岐伯曰く、「膚脹は、寒氣皮膚の間に客し、塹塹然として堅からず。腹大にして、身盡く腫れ、皮厚し。其の腹を按ずるに窅くして起こらず、腹の色變ぜざる。此れ其の候なり」と。

「鼓脹は何如」と。

岐伯曰く、「腹脹りて、身は皆な大となる。大となること膚脹と等しきなり。色蒼黄にして、腹筋起こる。此れ其の候なり」と。

「腸覃は何如」と。

岐伯曰く、「寒氣腸外に客し、衞氣と相い搏つときは、氣榮することを得ず。繋る所有るに因りて、癖して内に著く。惡氣乃ち起こり、瘜肉乃ち生ず。其の始めて生ずるや、大いさ雞卵の如く、稍以て益々大なり。其の成るに至りては、子を懷くの状の如し。久しき者は歳を離る。之を按ずれば則ち堅く、之を推せば則ち移る。月事時を以て下る。此れ其の候なり」と。

「石瘕は何如」と。

岐伯曰く、「石瘕は胞中に生ず。寒氣子門に客たり。子門閉塞すれば、氣通ずることを得ず。惡血當に寫すべくして寫せずんば、衃以て留止し、日以て益々大なり。子を懷くの状の如し。月事時を以て下らず。皆な女子に生ず。導きて下すべし」と。

黄帝曰く、「膚脹、鼓脹は邪を刺すべきや」と。

岐伯曰く、「先づ其の脹の血絡を寫し、後に其の經を整う。刺して其の血絡を去るなり」と。

霊枢・賊風第五十八

黄帝曰く、「夫子言う、賊風邪氣の人を傷るや、人をして病ましむと。今其の屏蔽を離れず、室穴の中を出でずして、卒然と病む者有り。賊風邪氣を離ざるにあらず。其の故何ぞや」と。

岐伯曰く、「此れ皆な嘗て濕氣に傷らる所有りて、血脉の中、分肉の間に藏れ、久しく留まりて去らず。若しくは墮墜する所有りて、惡血内に在りて去らず。卒然として喜怒節ならず、飮食適せず、寒温時ならざれば、腠理閉じて通ぜず。其の開きて風寒に遇うときは、則ち血氣凝結し、故邪と相い襲うときは、則ち寒痺を爲す。其の熱有るときは則ち汗出づ。汗出づるときは則ち風を受く。賊風邪氣に遇わずといえども、必ず因有りて加わりて發す」と。

黄帝曰く、「今夫子の言う所の者は、皆な病人の自ら知る所なり。其の邪氣に遇う所なく、

又怵惕の志す所なく、卒然として病む者は、其の故何ぞや。唯だ鬼神の事に因ること有るか」と。

岐伯曰く、「此れ亦故邪有り。留りて未だ發せず。因て志惡む所有り、及び慕う所有れば、血氣内に亂れ、兩氣相い搏つ。其の從い來る所の者は微かにして、之を視れども見えず、聽けども聞こえず。故に鬼神に似たり」と。

黄帝曰く、「其の祝うて已む者は、其の故何ぞや」と。

岐伯曰く、「巫を先とする者は、因て百病の勝を知る。先づ其の病の從て生ずる所の者を知れば、祝うて已むべきなり」と。


霊枢・衞氣失常第五十九

黄帝曰く、「衞氣の腹中に留まり、稸積して行かず、苑蘊して常の所を得ず、人をして肢脇胃中滿し、喘呼逆息せしむる者は、何を以てか之を去らん」と。

伯高曰く、「其の氣胸中に積む者は、上に之を取る。腹中に積む者は、下に之を取る。上下皆な滿つる者は、傍らに之を取る」と。

黄帝曰く、「之を取ること奈何」と。

伯高對えて曰く、「上に積むは、大迎、天突、喉中を寫す。下に積む者は、三里と氣街とを寫す。上下皆な滿つる者は、上下に之を取り、季脇の下一寸とともにす。重き者は雞足に之を取る。其の脉を診視するに、大にして弦急、及び絶して至らざる者、及び腹皮急甚なる者は、刺すべからざるなり」と。

黄帝曰く、「善し」と。

黄帝伯高に問うて曰く、「何を以てか皮肉氣血筋骨の病を知らん」と。

伯高曰く、「色兩眉の起こりて薄澤なる者は、病皮に在り。脣の色青黄赤白黒なる者は、病肌肉に在り。營氣霈然たる者は、病血氣に在り。目の色青黄赤白黒なる者は、病筋に在り。耳焦枯して塵垢を受くるは、病骨に在り」と。

黄帝曰く、「病形は何如、之を取ること奈何」と。

伯高曰く、「夫れ百病の變化は、勝げて數うべからず。然かも皮に部有り、肉に柱有り、血氣に輸有り、骨に屬有り」と。

黄帝曰く、「願わくは其の故を聞かん」と。

伯高曰く、「皮の部は、四末に輸す。肉の柱は、臂脛諸陽分肉の間と、足の少陰の分間とに在り。血氣の輸は、諸絡に輸す。氣血留居するときは、則ち盛んにして起る。筋部に陰無く陽無く、左無く右無し。病の在る所を候う。骨の屬は、骨空の益を受けて腦髓を益する所以の者なり」と。

黄帝曰く、「之を取ること奈何」と。

伯高曰く、「夫れ病の變化、浮沈、深淺、勝げて窮むべからず。各々其の處に在り。

病間ある者は之を淺くし、甚しき者は之を深くす。間ある者は之を小にし、甚しき者は之を衆くす。變に隨いて氣を調う。故に上工と日う」と。

黄帝伯高に問うて曰く、「人の肥痩、大小、寒温、老壯、少小有り。之を別つこと奈何」と。

伯高對えて曰く、「人の年五十已上を老と爲し、二十已上を壯と爲し、十八已上を少と爲し、六歳已上を小と爲す」と。

黄帝曰く、「何を以てか其の肥痩を度かり知らん」と。

伯高曰く、「人に肥有り膏有り肉有り」と。

黄帝曰く、「此れを別つこと奈何」と。

伯高曰く、「膕肉堅く皮滿つる者は肥、膕肉堅からずして皮緩き者は膏、皮肉相い離れざる者は肉」と。

黄帝曰く、「身の寒温は何如」と。

伯高曰く、「膏つく者は其の肉淖いて、粗理なる者は身寒し、細理なる者は身熱し。脂ある者は其の肉堅くして、細理なる者は熱し、粗理なる者は寒し」と。

黄帝曰く、「其の肥痩、大小は奈何」と。

伯高曰く、「膏つく者は氣多くして皮縱緩す。故に能く縱腹垂腴す。肉つく者は身體容大なり。脂ある者は其の身收小なり」と。

黄帝曰く、「三者の氣血多少は何如」と。

伯高曰く、「膏つく者は氣多し。氣多き者は熱し。熱き者は寒に耐ゆ。肉つく者は血多きときは、則ち形充つ。形充つるときは則ち平なり。脂ある者は、其の血清く、氣滑にして少なし。故に大なること能わず。此れ衆人と別つ者なり」と。

黄帝曰く、「衆人は奈何」と。

伯高曰く、「衆人の皮肉脂膏は、相い加うること能わざるなり。血と氣と、相い多きこと能わず。故に其の形小ならず大ならず。各々自ら其の身に稱う。命けて衆人と日う」と。

黄帝曰く、「善し。之を治すること奈何」と。

伯高曰く、「必ず先づ其の三つの形、血の多少、氣の清濁を別ちて、後に之を調う。治するに常經を失うこと無かれ。是の故に膏つく人は縱腹垂腴し、肉つく人は上下容大にして、脂ある人は脂あると雖も大なること能わざるなり」と。

霊枢・玉版第六十

黄帝曰く、「余は小鍼を以て細物と爲すなり。夫子乃ち言う、上は之を于に合し、下は之を地に合し、中は之を人に合すと。余以爲らく鍼の意に過ぎたり。願わくは其の故を聞かん」と。

岐伯曰く、「何れの物か天より大なるや。夫れ鍼より大なる者は、惟だ五兵のみなるなり。

五兵は、死の備えなり。生の具に非ず。且つ夫れ人は、天地の鎭なり。其れ參ぜざるべからず。夫れ民を治する者は、亦た唯だ鍼のみなり。夫れ鍼と五兵とは、其れ孰れか小なるや」と。

黄帝曰く、「病の生ずる時、喜怒測られず、飮食節ならず、陰氣足らず、陽氣餘有ること有りて、營氣行らず、乃ち發して癰疽を爲す。陰陽通ぜず、兩熱相い搏ちて、乃ち化して膿と爲る。小鍼能く之を取らんか」と。

岐伯曰く、「聖人化せしむること能わざる者は、之を邪と爲して留むべからざるなり。故に兩軍相い當たり、旗幟相い望み、白刃中野に陳する者は、此れ一日の謀に非ざるなり。能く其の民をして令行禁止せしめ、士卒をして白刃の難無からしむる者は、一日の教、須臾の得たるに非ざるなり。夫れ身をして癰疽の病を被らしめ、膿血の聚に至る者は、亦た道を離るること遠からずや。夫れ癰疽の生じ、膿血の成るや、天從り下らず、地從り出でず、積微の生ずる所なり。故に聖人は自から未だ形有らざるを治するなり。愚者は其の已に成るに遭うなり」と。

黄帝曰く、「其の形を以すを予遭せず、膿已に成るを予見せず。之を爲すこと奈何」と。

岐伯曰く、「膿已に成るときは、十は死して一は生く。故に聖人は已に成らしめず、而して明かに良方を爲くり、之を竹帛に著わし、能者をして踵ぎて之を後世に傳え、終る時有ること無からしむる者は、其の予遭せざるが爲めなり」と。

黄帝曰く、「其の已に膿血有りて、而して後遭わば、之を道びくに、小鍼を以て治せざらんや」と。

岐伯曰く、「小を以て小を治する者は、其の功小なり。大を以て大を治する者は、害多し。故に其の已に膿血を成す者は、其れ唯だ砭石鈹鋒の取る所なり」と。

黄帝曰く、「害多き者は、其れ全くすべからずや」と。

岐伯曰く、「其れ逆順に在り」と。

黄帝曰く、「願わくは逆順を聞かん」と。

岐伯曰く、「以て傷を爲す者は、其れ白眼青く、黒眼小なり。是れ一の逆なり。藥を内れて嘔するは、是れ二の逆なり。腹痛みて渇すること甚しきは、是れ三の逆なり。肩項の便ならずは、是れ四の逆なり。音嘶れ色脱るは、是れ五の逆なり。此の五を除く者を順と爲す」と。

黄帝曰く、「諸病には皆な逆順有り。聞くを得べきか」と。

岐伯曰く、「腹脹り、身熱し、脉大なるは、是れ一の逆なり。腹鳴りて滿ち、四肢清え、泄し、其の脉大なるは、是れ二の逆なり。衄して止まず、脉大なるは、是れ三の逆なり。咳して、且つ溲血し、脱形し、其の脉小にして勁なるは、是れ四の逆なり。欬し、脱形し、身熱し、脉小にして以て疾なるは、是れ五逆と謂うなり。是の如き者は、十五日を過ぎずして死す。其の腹大いに脹り、四末清え、脱形し、泄すること甚しきは、是れ一の逆なり。腹脹り、便血し、其の脉大にして時に絶ゆるは、是れ二の逆なり。欬し、溲血し、形肉脱し、脉搏つは、是れ三の逆なり。嘔血し、胸滿ちて背に引き、脉小にして疾なるは、是れ四の逆なり。欬し、嘔し、腹脹り、且つ飧泄し、其の脉絶ゆるは、是れ五の逆なり。是の如き者は、一時に及ばずして死す。工此れを察せずして、之を刺すは、是れを逆治と謂う」と。

黄帝曰く、「夫子の鍼を言うや甚だ駿にして、以て天地に配す。上は天文を數え、下は地紀を度り、内は五藏を別ち、外は六府に次る。經脉二十八會、盡く周紀有り。能く生人を殺すも、死者を起こすこと能わず。子能く之に反せんや」と。

岐伯曰く、「能く生人を殺すも、死者を起こすこと能わざるなり」と。

黄帝曰く、「余之を聞けば、則ち不仁と爲す。然ども願わくは其の道を聞きて、人に行わざらんことを」と。

岐伯曰く、「是れ明らかなる道なり。其れ必ず然らん。其れ刀劔の以て人を殺すべきが如く、酒を飮して人をして醉わしむるが如きなり。診することなしと雖も、猶お知るべし」と。

黄帝曰く、「願わくは卒に之を聞かん」と。

岐伯曰く、「人の氣を受ける所の者は、穀なり。穀の注ぐ所の者は、胃なり。胃は、水穀氣血の海なり。海の雲氣を行う所の者は、天下なり。胃の氣血を出す者は、經隧なり。經隧は、五藏六府の大絡なり。迎えて之を奪うのみ」と。

黄帝曰く、「上下に數有りや」と。

岐伯曰く、「之を五里に迎え、中道にして止む。五たび至るのみ。五たび往きて藏の氣盡く」と。故に五五二十五にして、其の輸を竭く。此れ所謂其の天氣を奪する者なり。能く其の命を絶ちて、其の壽を傾くる者なり」と。

黄帝曰く、「願わくは卒かに之聞かん」と。

岐伯曰く、「門を闚いて之を指す者は、家中に死す。門に入りて之を刺す者は、堂上に死す」と。

黄帝曰く、「善いかな。明なるかな道、請う之を玉版に著わして、以て重寳と爲し、之を後の世に傳え、以て刺の禁と爲し、民をして敢て犯すことなからしむるなり」と。

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