岡潔
- yokando2
- 2023年12月16日
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岡潔(1901-1978年)は、多変数関数論の研究で世界的に著名な数学者である。岡潔は奈良女子大学の先生をされていた。それで、私は、奈良に奈良女子大学という女性だけの国立大学があるというのを知った。岡潔という人は、一風、変った人だったようである。
広島文理科大学で助教授をしていたとき(昭和11年、35歳)、広島の二俣川の土手を帰宅中に、夜学の中学生達を襲って帽子や本や靴、自転車などを奪い、牛田山の笹原に寝そべって一夜を明かした。これが警察沙汰となり、病気とみなされ、3ヶ月間入院させられている。
また、広島文理科大学を休職中の昭和14年(38歳)には、和歌山の自宅から京都に出かけ、急に鳴門海峡を見たくなったと言って、淡路島に出かけ、その後消息を絶った。結局、福良港にお遍路さんといっしょにいたところを警察に保護されている。
さらに、北海道大学で研究補助員であった昭和17年(41歳)には、東京の学会を終えて宿に帰っていたとき、突然興奮状態になり、宿の内外で大声を上げ、買ってきた花籠を往来に投げつけたりした。このときは静岡から友人が駆けつけ、しばらく東京での入院生活を余儀なくされている。
これらの奇妙な事件は、全て、心血を注いだ論文を完成した直後または直前であったそうだから、弓の弦を引き絞ったような張り詰めた精神的状態とその後の弛緩などによって心と体のバランスが崩れたためと推量されている。これは、岡潔がそれほどまでに思索の人であったことの証であり、前人未踏の研究にはこれほどまでの凄まじい精神の集中・継続が必要だということかもしれない。あのアルキメデスも、公衆浴場で浮力の原理を発見した時には、「ユーリカ(分かったぞ)!」と叫びながら裸のまま町を走り回ったそうである。
岡潔は、広島事件のときのことを、遺稿「春雨の曲」に次のように書き綴っています。
「よく晴れた夜、わたしは家の後ろの小高い丘の斜面に、北西の方を向いて、笹原に背をもたせかけたまま、金星から来た娘の話を聞いていた。娘はわたしの今生の越し方行く末を詳しく説明してくれたのであるが、わたしには夢の中の話のようであった。満天の星斗も水上に乱れ飛ぶ蛍のように見えた。」
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